魔物達の学園都市
◆ ◆ ◆
(黎九郎急ぎなさい! ゲートはあと一回しか生成できない! リアクターがもうもたないわ!)
タケミナカタが武則天に穿った大穴。そこに降り立った俺の脳裏に、切迫した声が響く。
(ウズメ! 次のHEEPキャノンの発射タイミングはいつだっ?)
(三十秒後! その次はその二分後よ!)
ゲート生成はあと一回。俺に残された時間は二分二十九秒という訳だ。
俺は、砲台基部が在ったその場所に手を伸ばす。そこにはリニアガンを操作していた端末の配線が剥き出しになっていた。ここから中央のメインコンピュータにハッキングを仕掛ける。
勝負は一瞬。ちょっとでもモタつけば、ハッキングルートを遮断されて終わりとなる。
俺は、配線を掴んだ。
刹那、俺の脳裏に1と0の羅列が高速で走り始める。何千万行という文字列が、たった一瞬で現れては消えていく。
(やめて! もうやめて黎九郎! せめてキミだけは傷つけたくないの!)
文字列の奥から、リーユンの叫びが聞こえた。とても悲しみに満ちた、聞くだけで胸を抉られるかのような叫び。
(私、もうダメだよ! もう戻れないの! ツヴァイハーとして覚醒して、もう、私の意志は意味を持たないから、だからっ!)
なおも続く悲痛な叫び。だが、俺はむしろその声を聞いて安堵した。
その声は、言葉は、明らかにリーユンのものだ。彼女の心はまだ存在する。
程なく俺の中に、武則天の全てのデータが流れ込んできた。
リアクター部、各砲台のコントロールルート、エネルギー残量や、どこから飛来してきたのかまで。もちろん、コックピットの位置さえも。
「さぁて、開けゴマ、ってとこかな。ゴマってのがなんだか解んねーけど」
俺がそう呟くと同時に、武則天の前部装甲の上部が、まるでクジラの口のように上下に開いた。そしてその奥に、コックピットのハッチが在る。俺は、砲台を飛び移りながらそこへと向かった。
エアロックになっているハッチまでは、ものの数秒で辿り着いた。が、それと同時に再びリーユンの声が響いた。
(お願いよ黎九郎! これ以上私を苦しめないで! このまま、魔物を一掃させてよ!)
悲痛な叫び。それは変わらない。
しかし、俺はそのセリフを聞いて違和感を感じた。
「……この野郎……」
怒りが、憎しみが、俺の奥底から湧き出てくる。
紛れもないリーユンの声で吐き出されたその言葉が、むしろ俺の怒りを誘っていた。
こんなセリフをリーユンは言わない。
何よりも、
誰よりも、
周りの奴らが好きだったからこそ、リーユンは今まで苦しんで耐えてきた。
傷付けないように、どんな言葉を吐きかけられても。
「出てこいごるああぁぁぁ!」
俺はハッチを開けた。
パシュ! と、気密が破られる音と共に、ただ一人、棺桶のように狭いその場所のシートに、リーユンは座っていた。
俺は息を呑んだ。
全身を包み、しかしその優美な身体の線の浮き上がる、水色のスーツ。
だがそれは、まるで拘束衣のように幾本ものコードで武則天と繋がっている。
いや、それだけではない。
首と、そして両の手足に枷のような金属製の環が取り付けられている。
ぎり、と、知らず俺の奥歯が鳴った。
虚ろな双眸。
全身には力がなく、まるでそれは生きながらにして死んでいるような気がした。
そんなリーユンが、不意に俺を見上げる。
輝きを失った双眸に、じわりと溜まっていくものがあった。
それは見る間に大きくなり、堰を切って頬を伝い落ちていく。
微かに口が開き、俺は通信ではない彼女の生の声を、しっかりと耳で聞いた。
「……殺して……れい……く……ろ」
俺には分かった。
それはリーユンが、全身の力を振り絞って俺に伝えた紛れもない自分の意志だ。
俺は堪らなくなり、そのままリーユンを抱き締めた。
「帰ろうぜ、リーユン。もう、こんな所から出るんだ。お前の居場所はこんな寂しいところじゃないだろ」
「れい……く、ろ……わた、し……」
何かに抗いながら、途切れ途切れに呟くリーユン。
刹那――
「あぐっ……」
不意に伸びたリーユンの両手が、俺の首を絞め上げた。
そして彼女は泣き濡れたまま口を開くと、まるで何者かに乗り移られているかのように、男の声色で言葉を発した。
「異端者め……お前は危険だ。なぜマインドコントロールが利いていない? なぜこちらの介入を許さない? 危険な存在だ……だから、排除させてもらう」
ぎりぎりと、俺の首を絞め上げるリーユンの細い手。
俺よりもずっと華奢なその手を、しかし俺は振りほどくことが出来ない。
みし、と、頸骨が軋んだ。
視界がぼやけ、意識が薄れる。それは同時に、二つの危機を連れてきた。
「高エネルギー素粒子集積開始……」
コックピット内で、サンプリング音声がそれを告げる。
「バレルフィールド内、素粒子加速開始……」
一旦は俺が掌握した武則天のコントロール権だったが、それが次々とリーユンに奪われていく。
そして、
「HEEPキャノン、照射開始」
コックピットの前方で、光が弾けた。
(ウズメ! 防御!)
(やってるわ! けど! もうこれが最後よ! それと――)
ウズメの言葉の続きを、俺は理解していた。もう一つの危機のことだ。
それは、ついに武則天が学園都市の上空に到達したという事。これで、機体下部のリニアガンでも、効率的に都市の破壊が可能となった。
「各砲台、斉射開始」
コックピット内のアナウンスが、無慈悲に告げた。
ぼやける視界の中で、俺は武則天下部のカメラが捉えた様子を見る。
逃げ惑う魔物達の様子が、そこには映っていた。
リニアガンの集中砲火で基部を破壊され、倒壊していく高層ビル。
一番最初に俺が世話になった病院まで、無差別に攻撃の対象とされている。
「や、めろ……ちくしょ……なんで、だよ……」
首を絞められていることすら忘れてしまうほどの惨劇。
俺が好きになった場所が、俺が好きになった連中が、俺が好きになった者の手で悲惨な目に遭っている。
俺は微動だにしないリーユンの手首を握り締め、彼女の双眸を真正面から見詰めた。
「起きろリーユン! お前、このままでいいのかよ! リーユン!」
幾度も彼女の名を呼ぶ。
が、虚ろな眼差しは変わらず、彼女の代わりに俺に答えるのは、あの忌々しい声だった。
「高位人類としての役割を忘れた貴様に、リーユンを責める資格はない。何より、貴様とあの吸血鬼の一戦こそが、リーユンの覚醒を促す最後の鍵だったのだからな」
リーユンの口からこぼれる男の声。俺はその内容に、言葉を失ってしまった。
「リーユンの胚を完成させた後、C一八の人類は滅んだ。だが、ありがたい事に、地上を跋扈していた化物の雌性体が、リーユンを胎内で育ててくれたという訳だ。しかも自らの敵対者となるリスクを承知でな」
『声』は続ける。
リーユンの覚醒条件とは、まず一つはリーユンが母体となれる年齢まで成長すること。
二つ目に、リーユンと対になる人類、またはハイ・ヒューマンの雄性体の出現。
三つ目が、人類以外の知的生命体の、人類に対する脅威性の分析。