狐
鞠
少し朱の剥げた鳥居をくぐり、小さな賽銭箱に銭を投げ入れる。長助は、ここはひとつ、己の書いた小説が世に出ますようにと祈ることにした。
「はて、お稲荷さんってのは五穀豊穣の神様だったかな……まあお門違いだったらごめんなさい、っと。」
独りごちて祈りつつ、さてぼちぼち先生の家に向かおうと拝殿に背を向けると、左側の稲荷像の脇に手鞠が落ちているのに気付いた。
古ぼけてはいるものの、上等なものであることがなんとなく感ぜられる。近所の子どもが忘れたものだろうか。それならお稲荷様に預けておけば、なくなることもなかろう。
拾い上げようとかがんだ時、右目の奥の方にちりりとした痛みが走った。大きな痛みではなかったし、最近寝不足だからなぁなどと呑気に考えた長助はさして気に留めることもなかった。
小さな鞠を手に取り、さてどこに置こうかとあたりを見回した。
すると、ちりん、という細い鈴の音と共に……
「かえして」
子どもらしい甲高い声ながら、凛として空気を震わせるような、そんな不思議な声が聞こえた。長助は、今度は声の主を探してあたりを見回すことになる。
すると右側の稲荷像の陰から、8つくらいだろうか、艶やかな黒髪と赤みがかった瞳が印象的な女の子がこちらを覗いていた。
「君のかい」
長助は、自分の柔らかな物腰が子どもに受けが良いことを承知していた。近所の子供らの子守は長助の副業とも言えた。
しかしこの女の子は長助をひたと見据えて表情一つ動かさない。
少し観察するとなんとなくその理由もわかった。女の子の着物は汚れ一つない綺麗なもので、しかも普段着というには瀟洒な一品である。
綺麗に切りそろえられた緑の黒髪には鈴をあしらった小ぶりな髪飾りがついていた。最前の鈴の音は彼女の髪飾りによるものだろう。
さては深窓のご令嬢で、殆ど外の人間と触れあったことのない子なんだな、と長助は勝手に納得し、さらに優しく声をかけた。
「盗ったつもりじゃないんだ。」
目線を合わすように膝を折り、鞠を差し出す。ややためらうように鞠と長助を交互に見、女の子はようやく鞠を手に取った。
ほっとして長助が微笑むと、女の子は鞠を胸にぎゅっと抱きしめた。
「大切なものなんだね」
女の子は黙って上目遣いにこちらをうかがっている。鞠を盗られたことに怒っているでもなく、鞠が返ってきたことに安心してる風でもない。
ただ淡々と、目の前の長助を見つめているのだ。さすがの長助も少しばかり、気まずいような気分になってしまう。
「ええっと……もう、なくさないようにね。じゃあ、僕は行くよ」
「…………とう」
「え?」
「ありがとう」
消え入りそうな声でそれだけ言うと、年相応の少し羞恥んだ表情を浮かべ、女の子は社の裏へと走り去った。
ちりん、ちりん、と、鈴が鳴く音が遠くなるまで、長助はその背中を見送った。
……社の裏に道が通じているのだろうか。ずいぶんこのあたりの地理にも明るくなったつもりだったが、まだまだ知らないことがあるものだ。
長助はそう思い、先生の家へと急ぐことにした。
「やあ、深山くん。よく来たね。」
先生の家で道明寺の包みを開けると、そこには四つの道明寺が入っていた。長助は、狐につままれたような気分で四つの道明寺を見つめるのであった。