小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

電波さん。

INDEX|2ページ/2ページ|

前のページ
 



 本当は紺色と藍色と、とにかく深く澄んだ深海の色が部屋中に巻き散らかされるはずだったのになぁ、と思いながら、僕に背を向けて黙々とキャンバスに色をつける鶴岡さんをずっと見ていた。
 荷物運びにかりだされた僕の両手を塞いだのは、結局鶴岡さんの可愛らしい手ではなくて、鮮やかな原色の、それこそ油絵の具だ。
 画材屋さんについて一目散に鶴岡さんが選んだのは、目に優しくない、ピンクの絵の具で、僕はそれが鶴岡さんの言った恋の色なのだと思った。
 コンクリート打ちっぱなしの部屋に、水に浮かんで鈍く光るような虹色が散乱して行く。

「ねえ、鯨はやめちゃったの、鶴岡さん。」
「鯨じゃないよ、シャチだよ。」
「うん、そう、シャチ。」

 話しかける僕の声が聞こえたり、聞こえなかったり。
 鶴岡さんは断片的に会話に答えて、でもそんなことどうでもいいように筆を動かしていく。
 顔にもエプロンにも絵の具をくっつけて、髪だけは白いタオルで覆って。絵を描く鶴岡さんは人がいつも言うような小馬鹿にされるような存在では決してなかった。そして、いつも、僕が見ている女の子の鶴岡さんでもない。
 そこにいるのは一人の絵描きだ。
 乾かしては塗って、塗っては乾かして。60号の大きなキャンバスに、彼女の世界が出来ていく。

 乱立したビルの灰色と、虹色の電波と、マシュマロの浮かぶ空。

 多分、それが鶴岡さんの観た世界なのだ。
 僕には見えない、鶴岡さんだけの世界。

「なんで、亀ちゃんには見えないものが多いんだろう」

 ぎらぎらと自己主張を続ける虹色の影に隠れるような、淡い優しい太陽を描きながら、鶴岡さんがぽつりと呟いた。

「うーん、なんでだろう」
「世界にはこんなに綺麗なものが溢れてるのに。亀ちゃんの目が節穴なの?」
「多分、鶴岡さんの目が特別製なんだと思うよ」
「そうかなぁ。皆の目が曇ってるだけじゃないの、」

 同意を求めているような、そうでもなさそうな声で言葉を紡ぐ。誰にも見えないなんてと嘆きながら、やっぱり筆は止まらない。
 べたべたの油絵の匂いが部屋の窓から抜けていくよりも早く、どんどん絵の具が重なっていく。

「そんなの、寂しいよね。もったいないよね。」
「……うん、そうだね。」
「世界はこんなに幸せなのに」

 大きくべたりとピンクを乗せて、鶴岡さんの手が止まった。

「……おわり!」

 水を入れたバケツに筆を突っ込んで、背伸びをする。そのままベッドに腰掛けていた僕へくるりと向き直って、鶴岡さんはピースした。
 キャンバスの虹色の電波は、とてもぎらぎらしているのに、なんだかとても優しく見えた。

「乾くの、まって。そしたら、これ、あげる。」
「……大きいなぁ。」
「いらない?」
「ううん、欲しいよ。」
「ありがと、亀ちゃん」

 くひひ、と笑ってエプロンを脱いで、まだ絵の具がこびりついた指で僕の手を握った。乾いてないそれは、僕の指にもピンク色を乗せる。

「ねえ、鶴岡さん。」
「なあに。」
「僕の周りには、電波、飛んでないの。」
「やっぱり、亀ちゃんの目は節穴なんじゃないの?」

 最初に出会ったときから飛びまくってるじゃない、真っピンクの奴。
 呆れたように呟かれて、僕はなるほどと頷いた。

「そりゃ、うん、鶴岡さんの世界が綺麗なもので一杯な筈だよ。」
「なにそれ。」
「なんでもない。」

 小さなピンク色の手を握りながら、僕は彼女の視界をそれが埋め尽くさないことを祈って、額に一つ、きすをした。












Happy end !

作品名:電波さん。 作家名:御門