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電波さん。

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「あ、電波。」

 鶴岡さんが呆けた顔をして、空を仰いだ。つられて僕も空を仰ぐ。ビルに切り取られた春先の穏やかな青空を、雀がぴーちくぱーちくとさえずりながら視界の端から端まで横切って行く。器用に電線の間をくぐりぬけて行く雀以外に動くのは、薄く伸ばしたマシュマロのような雲だけだ。
 今日もとてもいい天気だと思いながら、僕は隣でぽかんと口を開けたままじいっと空を見上げている鶴岡さんの肩をぽんと叩いた。

「また何か見えたの、鶴岡さん。」

 ふわ、とした癖っ毛を縦に揺らして、鶴岡さんは大きく「うん」と頷いた。くひひと口に手を当てて忍び笑いをする鶴岡さんは、傍目からみるととても変な人に、見える。
 実際、僕の目から見ても変わってる人だなぁとは思うけれど。
 そばかすの散ったあどけない穏やかな顔に、赤い丸眼鏡をかけた鶴岡さんは、これでも僕と同い年だ。
 一見するとそうとは思えないくらい子供みたいに純粋な女の子。二十も半ばを折り返した彼女を、「女の子」と表現するたびに可笑しくて笑ってしまうのだけれど、彼女を言い表すのに他のどんな呼び方もふさわしくはない気がしてしまう。それくらい、鶴岡さんは、女の子という生き物だ。
 だから結局、僕は鶴岡さんを紹介する時はいつも忍び笑いを噛み殺しながら、女の子、と言うことにしている。
 僕の目には捕えることのできなかった「何か」を、鶴岡さんは確かに追っているようで、そこかしこに乱立したビルの谷間から谷間まで視線が動く。僕のことを見ているふりをして揺れる黒目が、すっと細くなって、ぱちりと瞬きをした。焦点を再び僕に戻して、鶴岡さんはまたうん、と頷いた。

「電波が飛んでいったよ、亀ちゃん。」
「電波、」
「うん、電波。」

 へぇ、と呟いて、僕はもう一度鶴岡さんが見ていた空を眺め返した。僕の目に見えるのはほんわりとした雲と、街の空を縦横無尽に駆け巡る電線と、その後ろにそびえ立つビル群だけだ。
 街ゆく人の誰も、その姿を捉えられない。
 鶴岡さん以外には、誰も。
 人には見えないものが見える彼女を、人は電波さんと呼ぶ。
 僕はそんなことないんだけどな、と鶴岡さんのくりくりとした目を覗きこんで、そうなの? と言った。

「電波って、普通に見えるんだね。」

 素直に僕がそう伝えると、鶴岡さんは心底残念そうな顔をして、そうかーと言った。

「亀ちゃんにはまた見えないのかー……」
「毎回そうやって残念そうだよね、鶴岡さんは。」
「だって、綺麗だったよ。電波。雨降りの日に水たまりに浮いてる油みたいな虹色の服を着てたもの。亀ちゃんも見えたらよかったのに」
「……それは僕も見てみたいな。というか、人の形なんだね、電波って。」
「うん。知らなかった?」
「知らなかった。」
「そっかー、じゃあ一つ賢くなったねー亀ちゃん。」
「うん、そうだね。」

 僕の手をとって、鶴岡さんが笑う。くひひと零れる笑い声を掬いあげるように、僕も一緒に笑った。
 ゆるりと弧を描いた口元をそのままに、鶴岡さんはじゃあ、行こっかと言った。僕には見えない電波の去っていったらしい方向に、鶴岡さんが足を向ける。進行方向は僕たちの当初の目的地。でもこれだと、まるで電波を探しに行くみたいだなあ、と思いながら、僕は鶴岡さんの横を出来るだけ同じ歩幅で歩いた。
 淡いベージュのスニーカーの靴音高く、隣をずんずんと歩いていく鶴岡さんの横顔をちらりと見る。緩んだ口元と、くるくるとビルとビルの合間を縫うように動く瞳が可愛らしい。
 そんなふうに鶴岡さんのことを眺めている僕のことを、もちろん彼女は気にしないし、見てもいない。鶴岡さんの頭の中は今、きっと電波のことで一杯なのだ。僕はそれをとても可愛いと思うし、羨ましかった。
 鶴岡さんの世界はいろんなもので鮮やかに彩られているのだ、と僕は想像する。
 彼女の見る世界は、鈍い原色が乱反射する世界だろうか。色とりどりの何かが空の青を煩く散らかす、そんな世界だろうか。
 ふらふらと動かしていた左手を僕の肩に乗せて、鶴岡さんがさっきのあれは、と言った。

「あの電波は、恋の電波だよ、亀ちゃん。」
「そんなことわかるの、鶴岡さん。」
「わかるに決まってるじゃない。」
「すごいなぁ、鶴岡さんは。」
「もっと褒めてもいいんだよ、亀ちゃん。」

 自信満々に言い切って、スキップをする。道行く人が怪訝な顔をしているのなんて鶴岡さんは一向に気にしないで、ご機嫌に鼻歌混じりでお喋りを続けた。

「でも、なんで、恋の電波なの?」
「普通の子よりピンクの色が濃かったし、ちょっと、丸かった。それに、すごく、ふわふわしてた。幸せそう。いいなぁ、可愛い。素敵。」

 右手の人差指で宙に輪郭をなぞって、もう一度いいなあと鶴岡さんは呟いた。
 そうして、よし、と何かを決めたように頷いて、きゅっと右手を握って、小さな拳をつくって空高く突き出した。

「次はあの子!」

 きらきらと目を光らせてそう宣言して、鶴岡さんはくひひと笑った。


作品名:電波さん。 作家名:御門