LAST CHAPTER
都会の夜が遠くなる。物語の終わりを告げる夜明けは、もうすぐそこまで来ている。
[ LAST CHAPTER ]
すっかり寝静まった東京を抜けて、車は明け方の海を目指す。
時刻は午前5時。車内には俺たち三人が好んでいるバンドの音楽が流れ、彼女はときどきヴォーカルの乾いた声に重なりながらそのフレーズを口ずさんだ。
窓を開けると、夜から朝に移り変わる空が顔を出し、光を失いかけた淡い月が見下ろしている。
「潮の匂いがする」
助手席で外を見ていた遥が言うと、車を運転する大地が思いきり吹き出した。
「まだ潮の匂いはしないだろ!海までだいぶあるし」
「えー、するって。絶対もうすぐだよ。ねえ響(ひびき)?」
「いや、お前の鼻がおかしいだろ」
「ちょっと、二人とも鼻詰まってんじゃないの?」
遥はさっきから無邪気に海を探している。
少し冷たい空気が外を流れた。後部座席の俺の鼻は、まだ彼女が言う潮の匂いを捕えることはできない。
心地良い疾走感とともに車は順調に道を進み、色々なものが窓の横を通り過ぎていった。
ビルの群れも、雑踏も、オレンジの灯りも。真っ暗な夜さえずいぶん後ろに行ってしまった。
そうして長いトンネルを出たとき、薄明るい群青の空と出会う。
もうすぐ夜が明けるんだろう。
「あ、今潮の匂いした」
「俺も」
「ほら!やっぱりそうでしょ?」
何故か得意げに遥が笑う。
海はまだ見えない。
けれどすぐ近くにそれがあることを、三人とも感じていた。
俺と遥と大地は高校からの親友で、学校を卒業して五年目に入る今でも相変わらずつるんでいる。
暇さえあれば連絡を取り合い、三人でどこかに行くなんてこともよくあるし、二人が俺のアパートに転がり込んでくることもしょっちゅうだ。
明るくてさっぱりした性格の遥は、女友達といるよりも、俺や大地と一緒にいる方がラクらしい。俺も集団行動が苦手だから、周りに疎遠に思われがちな性格だけど、そんな俺たちをまとめて面倒見てくれるのが、兄貴的存在の大地だった。
思えばいつだって、この三人で調和された世界が、ずっと傍にあったと思う。
今日も三人で過ごす、いつもと何も変わらない穏やかな朝。のはずだった。
だけど、違うんだ。
まだ信じられない。今日が俺たち三人の、最後の日、だなんて。
びゅう、と、湿った風が、ガードレールを吹き抜けた。
「ねえ、海!」
遥が叫ぶ。瞬間、眼下に飛び込んできた広い海原。
ずっとずっと俺たちを待っていたみたいに静かに呼吸しながら、海はそこにあった。
遥は高揚した声ではしゃいでいる。その様子を見て、俺と大地はバックミラー越しに笑い合った。
海が見える駐車場に車を止めて、三人で浜辺までの道を歩き出す。
アスファルトにぱたぱたと軽快な音を響かせて先を走る遥。それを俺と大地が後ろで見守りながら歩く。
頬をかすめる潮風が気持ち良かった。
砂浜に辿り着くと、遥は打ち寄せる波を目の前に歓喜した。
「海入りたい!」
「おい落ち着け!今3月だから!」
「風邪ひくぞ、遥」
海の方に走っていく遥の腕を、大地と俺が慌てて掴む。
引き摺られるように海から離された遥はかなり不満そうだった。
「とりあえず座ろうな」
「……はーい」
三人で少し砂浜を歩いた後、防波堤の上に座って朝日が出てくるのを待つことにした。
水平線の向こうでは赤や青や紫のグラデーションが空を彩っている。
雲の隙間から微かな光が、見えそうで、見えないで、なんだかもどかしい。
「もうすぐだね」
真ん中に座っていた遥がぽつりと呟いた。
「でも夜が明けたら、私たちさよならしなきゃいけないんだね……」
遥の出発は今日の午後だった。彼女は4月から就職する仕事の関係で遠い町へ行く。
そして大地もまた、春から仕事と勉強が忙しくなるから今までのように会えなくなるそうだ。
だから今日は、それぞれが歩き出すための、最後の朝。
永遠に続くようにも思えた三人の日々も終わってしまう。
心から望んでいたわけではないのに、自然と三人ともこの道を選んでいた。
それは仕方ないことだと思う。悲しいけど、どこかに新しい明日を望む気持ちがあるから。
たとえ今の居場所を失うことになっても、夢や目標のために前に進みたいと、俺たちはずっと願ってきた。
「さよならとか言うなって。寂しいじゃん」
「そうだよ。せっかく海来てんだし、そういうのは今はなしな」
大地と俺が無理に笑いながらそう言うと、遥は黙って小さく頷いた。
「悲しむんじゃなくてさ、今までのこと思い出して笑えよ。そっちのがお前らしいだろ」
「……うん、そうだね。ありがと」
「さすが響。かっこいいこと言うなー」
「別に普通のこと言ってんだろ」
思い出したら、キリがないくらいに。どれも大切で、どれも欠けたくない、沢山の記憶が胸に刻まれている。
だけどその中で一つだけ。俺は、この関係が崩れてしまうのではないかと、いつも不安なことがあった。
それは、
おそらく大地は、遥のことが好きだ、と、いうことだった。
俺が直感しただけで、大地がそういう素振りを見せたことは一度もないけど、なんとなくわかる。
俺も大地と同じように、遥のことを大事に想う気持ちがあるから、わかってしまう。
友達でもなく、恋人でもなく、その微妙な狭間を俺たち三人は揺れ続けていた。
もし俺か大地のどちらかが遥に本気で恋をしていたら、三人は一緒にいられなくなっていた。
そのことを三人とも、どこかで悟っていたんだろう。
三人でいる時間が何よりも大切だから、俺たちは今日まで親友の関係を築いてきた。
そしてこのまま親友として終わろうとしている。それが最後に一番相応しい形だと心に言い聞かせて。
海は相変わらず夜明けの呼吸を繰り返す。
次第に空が明るみを増してきて、雲間から陽の光が差し、海がきらきらと輝き始めた。
「朝日出てきたー……」
「おー、ほんとだ。すっげー綺麗」
「やっぱ来てよかったな」
「だね。だってよく考えたら三人で海来るの初めてじゃない?」
「行こう行こうとは言ってたけど来れなかったもんなー」
「うん、良かったー、三人で来れて」
ざあ、と海が鳴いた。不意に会話が途切れ、前を向いたまま誰も喋らなくなる。
あまりに美しい景色に言葉を失ったのか、それとも徐々に明るくなる朝の光が重く突き刺さったのか。
多分、そのどちらにも当てはまっていた。
そのとき、急に遥が俺の肩に寄り掛かり、ぽろぽろと涙を流し始めたから。
俺も大地も今のこの時間を何よりも愛おしく感じた。
「泣いて、ごめ、ん……最後だから、笑いたい、のに」
遥のすすり泣く声が海のざわめきに混じって聞こえる。
体温が伝わってきて、俺はきゅっと締め付けられるような小さな痛みを知った。
この熱をずっと感じていたいと願ってしまうのは、いけないこと、なんだろうか。
「ねえ、やっぱり寂しいよ」
「……ん、そうだよな」
「私本当は、響と大地に会えなくなって、一人でやっていけるか不安なの」
情けなさそうに遥は苦笑する。大地が遥の頭を撫でてやると、また大粒の涙が溢れた。
「大丈夫。お前なら一人でも絶対。お前は優しくて強いヤツだから」
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すっかり寝静まった東京を抜けて、車は明け方の海を目指す。
時刻は午前5時。車内には俺たち三人が好んでいるバンドの音楽が流れ、彼女はときどきヴォーカルの乾いた声に重なりながらそのフレーズを口ずさんだ。
窓を開けると、夜から朝に移り変わる空が顔を出し、光を失いかけた淡い月が見下ろしている。
「潮の匂いがする」
助手席で外を見ていた遥が言うと、車を運転する大地が思いきり吹き出した。
「まだ潮の匂いはしないだろ!海までだいぶあるし」
「えー、するって。絶対もうすぐだよ。ねえ響(ひびき)?」
「いや、お前の鼻がおかしいだろ」
「ちょっと、二人とも鼻詰まってんじゃないの?」
遥はさっきから無邪気に海を探している。
少し冷たい空気が外を流れた。後部座席の俺の鼻は、まだ彼女が言う潮の匂いを捕えることはできない。
心地良い疾走感とともに車は順調に道を進み、色々なものが窓の横を通り過ぎていった。
ビルの群れも、雑踏も、オレンジの灯りも。真っ暗な夜さえずいぶん後ろに行ってしまった。
そうして長いトンネルを出たとき、薄明るい群青の空と出会う。
もうすぐ夜が明けるんだろう。
「あ、今潮の匂いした」
「俺も」
「ほら!やっぱりそうでしょ?」
何故か得意げに遥が笑う。
海はまだ見えない。
けれどすぐ近くにそれがあることを、三人とも感じていた。
俺と遥と大地は高校からの親友で、学校を卒業して五年目に入る今でも相変わらずつるんでいる。
暇さえあれば連絡を取り合い、三人でどこかに行くなんてこともよくあるし、二人が俺のアパートに転がり込んでくることもしょっちゅうだ。
明るくてさっぱりした性格の遥は、女友達といるよりも、俺や大地と一緒にいる方がラクらしい。俺も集団行動が苦手だから、周りに疎遠に思われがちな性格だけど、そんな俺たちをまとめて面倒見てくれるのが、兄貴的存在の大地だった。
思えばいつだって、この三人で調和された世界が、ずっと傍にあったと思う。
今日も三人で過ごす、いつもと何も変わらない穏やかな朝。のはずだった。
だけど、違うんだ。
まだ信じられない。今日が俺たち三人の、最後の日、だなんて。
びゅう、と、湿った風が、ガードレールを吹き抜けた。
「ねえ、海!」
遥が叫ぶ。瞬間、眼下に飛び込んできた広い海原。
ずっとずっと俺たちを待っていたみたいに静かに呼吸しながら、海はそこにあった。
遥は高揚した声ではしゃいでいる。その様子を見て、俺と大地はバックミラー越しに笑い合った。
海が見える駐車場に車を止めて、三人で浜辺までの道を歩き出す。
アスファルトにぱたぱたと軽快な音を響かせて先を走る遥。それを俺と大地が後ろで見守りながら歩く。
頬をかすめる潮風が気持ち良かった。
砂浜に辿り着くと、遥は打ち寄せる波を目の前に歓喜した。
「海入りたい!」
「おい落ち着け!今3月だから!」
「風邪ひくぞ、遥」
海の方に走っていく遥の腕を、大地と俺が慌てて掴む。
引き摺られるように海から離された遥はかなり不満そうだった。
「とりあえず座ろうな」
「……はーい」
三人で少し砂浜を歩いた後、防波堤の上に座って朝日が出てくるのを待つことにした。
水平線の向こうでは赤や青や紫のグラデーションが空を彩っている。
雲の隙間から微かな光が、見えそうで、見えないで、なんだかもどかしい。
「もうすぐだね」
真ん中に座っていた遥がぽつりと呟いた。
「でも夜が明けたら、私たちさよならしなきゃいけないんだね……」
遥の出発は今日の午後だった。彼女は4月から就職する仕事の関係で遠い町へ行く。
そして大地もまた、春から仕事と勉強が忙しくなるから今までのように会えなくなるそうだ。
だから今日は、それぞれが歩き出すための、最後の朝。
永遠に続くようにも思えた三人の日々も終わってしまう。
心から望んでいたわけではないのに、自然と三人ともこの道を選んでいた。
それは仕方ないことだと思う。悲しいけど、どこかに新しい明日を望む気持ちがあるから。
たとえ今の居場所を失うことになっても、夢や目標のために前に進みたいと、俺たちはずっと願ってきた。
「さよならとか言うなって。寂しいじゃん」
「そうだよ。せっかく海来てんだし、そういうのは今はなしな」
大地と俺が無理に笑いながらそう言うと、遥は黙って小さく頷いた。
「悲しむんじゃなくてさ、今までのこと思い出して笑えよ。そっちのがお前らしいだろ」
「……うん、そうだね。ありがと」
「さすが響。かっこいいこと言うなー」
「別に普通のこと言ってんだろ」
思い出したら、キリがないくらいに。どれも大切で、どれも欠けたくない、沢山の記憶が胸に刻まれている。
だけどその中で一つだけ。俺は、この関係が崩れてしまうのではないかと、いつも不安なことがあった。
それは、
おそらく大地は、遥のことが好きだ、と、いうことだった。
俺が直感しただけで、大地がそういう素振りを見せたことは一度もないけど、なんとなくわかる。
俺も大地と同じように、遥のことを大事に想う気持ちがあるから、わかってしまう。
友達でもなく、恋人でもなく、その微妙な狭間を俺たち三人は揺れ続けていた。
もし俺か大地のどちらかが遥に本気で恋をしていたら、三人は一緒にいられなくなっていた。
そのことを三人とも、どこかで悟っていたんだろう。
三人でいる時間が何よりも大切だから、俺たちは今日まで親友の関係を築いてきた。
そしてこのまま親友として終わろうとしている。それが最後に一番相応しい形だと心に言い聞かせて。
海は相変わらず夜明けの呼吸を繰り返す。
次第に空が明るみを増してきて、雲間から陽の光が差し、海がきらきらと輝き始めた。
「朝日出てきたー……」
「おー、ほんとだ。すっげー綺麗」
「やっぱ来てよかったな」
「だね。だってよく考えたら三人で海来るの初めてじゃない?」
「行こう行こうとは言ってたけど来れなかったもんなー」
「うん、良かったー、三人で来れて」
ざあ、と海が鳴いた。不意に会話が途切れ、前を向いたまま誰も喋らなくなる。
あまりに美しい景色に言葉を失ったのか、それとも徐々に明るくなる朝の光が重く突き刺さったのか。
多分、そのどちらにも当てはまっていた。
そのとき、急に遥が俺の肩に寄り掛かり、ぽろぽろと涙を流し始めたから。
俺も大地も今のこの時間を何よりも愛おしく感じた。
「泣いて、ごめ、ん……最後だから、笑いたい、のに」
遥のすすり泣く声が海のざわめきに混じって聞こえる。
体温が伝わってきて、俺はきゅっと締め付けられるような小さな痛みを知った。
この熱をずっと感じていたいと願ってしまうのは、いけないこと、なんだろうか。
「ねえ、やっぱり寂しいよ」
「……ん、そうだよな」
「私本当は、響と大地に会えなくなって、一人でやっていけるか不安なの」
情けなさそうに遥は苦笑する。大地が遥の頭を撫でてやると、また大粒の涙が溢れた。
「大丈夫。お前なら一人でも絶対。お前は優しくて強いヤツだから」
作品名:LAST CHAPTER 作家名:YOZAKURA NAO