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ゾンビ映画は現代の人間の本性や欲望を映す鏡か?ホラー映画論

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ゾンビ映画は今では一つのディストピアストーリーである。しかしながら、ゾンビ=生きる屍は、1950年代までのホラー映画では脇役の脇役であり、基本的に死んだ肉体だから操り人形であり、またまた、ゾンビは自ら動き出した訳では無く、主役であるドラキュラや悪魔!生身の人間だとしても黒魔術!を勉強して扱う事が出来るようになった黒魔術師や女性なら魔女がご主人様となって扱うだけの存在で、操っている主人公?悪い方の従順?なのか分からないけど所謂!下部である。

現代であれば、黒魔術?魔法の様なことを身に付けなくても、現代のテクノロジー?サイエンスを勉強していれば悪のロボット軍団なり、生きている人間達を現代医学で手術し、ロボトミーにしたり、またはマインドコントロールすることも出来!言わば、これが1950年代のゾンビ=悪の組織なり、悪の意志を持つ者の下部の進化系なのかもしれないし、所詮!ゾンビは土葬された腐れかけた肉体だから、賞味期限が圧倒的に少なく、しかも汚いし、凄い腐敗臭だと思う。特にドラキュラ伯爵としては、伯爵だけに汚い臭いには我慢出来ないと思うから、現代ではゾンビは使わずに、最新テクノロジーのアンドロイド?レプリカントを下部に起用するかもしれない。

そんな脱線話は置いといて!だから今まで、1950年代までのゾンビは、ただ死んだ人間が動き出し、悪のご主人様の言う通りも攻撃対象にゆっくりとした動作で近付き、子供の喧嘩の様な!ひっかく?噛む?髪を引っ張る?そして、エスカレートして生身の人間を食べ始めるんですが、それさえも1950年代ゾンビは、悪の御主人に「止め!」なんて指令が出たら止めると思うんですが、そんな、ハッキリ言って戦力にならない、または墓場の近くでの正義の主人公との戦いにだけしか使用できないような、そんな使い勝手の悪いゾンビ下部を、ジョージ・A・ロメロは完全な新解釈として、新生ゾンビを!誰に操られる訳でも無く、自由気ままなゾンビを誕生させたんですね。この発想とアイデアは凄い!の一言に尽きるし、もはや半世紀は過ぎた21世紀でさえも、ゾンビ映画は製作され続けています。

新生ゾンビ誕生は泥沼化するベトナム戦争がきっかけか?
ジョージ・A・ロメロ監督はアメリカの監督であり現在71歳!だから当然ベトナム戦争(1965年アメリカ参戦)当時は20代だったから、最も影響を受けた時期だと思う。だから、映画『ゾンビ』(78)でのゾンビ狩り!特にアメリカの州兵やアメリカ市民達がお祭り気分でライフルや銃で撃つシーンは、なんともドキュメンタリーな質感で、現在のアクション演出が過剰なゾンビ映画とは一線を今でも引いている。

特に今でも感心するのは、現代メディアの最高峯であるTV局の大混乱から映画が始まり、もはやアメリカの街としての機能が破綻してきていることが伺え、一気にジョージ・A・ロメロ監督のゾンビの世界観に引き込まれる。今思えば、と言うか、今でも突っ込み処満載なゾンビではあるが、それでも1978年製のゾンビは今観ても古臭さを感じない。そこには、やはりなんとも乾いた70年代アメリカ映画のドキュメンタリー的な、リアル志向が入っているからかもしれない。

人間としての尊厳とは?区別すれば安易に人?のようなモノを殺せる?
また、ゾンビ映画を観ていると、いつも思うのが、噛まれる前の仲間!が、ゾンビに噛まれて、死んで蘇ったゾンビなら平気で殺す事が出来る!のか?であるし、これって、拡大解釈すれば!平和な時代は同じ人類なんだけど、一度戦争体制、有事になれば黄色人種はイエローモンキー!とか黄色い猿と区別したり、白人達や戦う相手には、基本的に各国のプロパガンダなんでしょうけど、鬼畜米英!所謂!鬼や畜生、獣や家畜と分類区別し、さあ皆さん!躊躇わずに迅速丁寧に射殺しましょう!なんですね。その矛盾したメタファーが映画『ゾンビ』に見え隠れして、映画を観ていて、たまに自分自身の中にある残酷性にぞくっとします。

恐るべき!ゾンビの世界観!
ゾンビ同士では絶対に共食いはしないし、基本的には今の地球の中では最も地球に優しい!究極のエコ!な存在です。しかしながら、このゾンビもいずれ、人間が絶滅すると共に遅かれ早かれ絶滅すると思います。映画的にはゾンビ達は細胞が一旦、固定化される?というのか?腐敗が一旦止まるような、そんな錯覚を起こさせたり、21世紀からは完全に死んだ身体!これからは地球上の蟲や微生物によって腐敗させられ、朽ち果てるべき死体=改めゾンビがまるでオリンピック陸上選手の様な運動能力抜群の速さで、生きている生身の人間達を追いかけ、捕まえ喰い殺すんですから、これは、もはや!ただのマンガです。
個人的には、早く動くゾンビとか、ジョージ・A・ロメロ監督以外のゾンビ映画を一切認めていません。

21世紀のゾンビ映画の課題!
リアル志向に徹しなければ、ゾンビ映画もいずれ終焉を迎えるでしょう。因みに!しばらくゾンビに主役の座を奪われていたドラキュラ!ヴァンパイアー映画が復活し、今では狼男までもコラボして、乙女マンガ宜しく!な恋愛映画『トワイライト』(08)となって世界を席巻しています。また、逆説的な、世界の殆どはヴァンパイアーの世界になり、人間は血液生産牧場になってしまった近未来映画『デイブレイカー』(09)のまで出て来て、またまたゾンビは彼らの下部に成り下がるのか?
ゾンビを神?なのか大いなる宇宙の存在が生み出したシステム?と解釈してのゾンビサーガ的な映画を構築するべきでは?とか、人類の生き残りと、ゾンビの腐敗していなくなる期間率をテーマにしたリアルゾンビ映画?の出現は!
他にも考えられるアプローチがあるのかもしれないが、如何せん、身体能力の良いゾンビはもう沢山だし、ジョージ・A・ロメロの最近のゾンビ映画傾向!ゾンビの形態を調べ、理解する?なのも正直!破綻してるような気がします。良く考えたら、ゾンビは元から死んでいるのだから、細胞はどんどんと腐敗して行くし、子供を!子孫を増やすことは出来ません。所謂まるでオセロゲームのように相手を感化させて一時的に仲間にするだけで、いずれその仲間達も自然の摂理で腐敗して完全にゾンビとしての機能も停止します。後は新解釈として、ゾンビになれば細胞の腐敗は停止する?!ゾンビが生身の人間の肉を食べると段々と新ゾンビ的な新人類?な新しい種族が生まれる?な世界観がありっちゃ、アリだけど、なんだかカニバリズム信仰?な、野蛮で未開の土地の食人族的な、相手の肉を食べて、相手の能力を勝ち取る?な、考えも正直!気持ち悪い、かな?
なんにしても、ゾンビと言う人類に対しての抑止力が誕生し、このまま何処に進化して行くのか分からない人類を一旦、止める?リセットする存在として現れたゾンビと人類終焉世界を世界の人々は密かに待ち望んでい続けることは間違いが無いようです。