家に憑くもの
Ⅸ.夫(2F)
裕子は階段を上がりきると、振り向いて今上って来た階段を見下ろした。踊り場には、無表情の健次郎がナイロンロープを手にして立っていた。健次郎は裕子を見上げると、階段に足をかけた。裕子は体の芯から這い上がって来る恐怖と闘いながら廊下を走り、寝室に飛び込んだ。シリンダー錠のシリンダー部分を押し込んでロックする。
一息ついた裕子は、ドアに寄りかかったまま、へたり込んだ。一時的に緊張が緩み、自然と涙が溢れて来る。しかし裕子はすぐに自分を奮い立たせた。
―― とりあえず、これで一安心。鍵が無ければここでは入ってこられない。
―― でも、まだ終わったわけじゃないわ。
―― これからどうしよう、携帯電話は、バッグに入れたままリビングに置いてきてしまった。
そう考えたとき、背後のドアノブが回される音がした。裕子は飛び跳ねるようにしてドアから離れた。外からドアノブを回そうとしているが、鍵がかかっているので回らない。しかし、その音を聞きながら裕子は、自分が再びパニックになりそうになっていることに気付いた。
―― 落ち着かなきゃ、大丈夫、鍵がかかっている。入っては来られない。
―― そうだ、ベランダだ。ベランダから大声を出そう。恥ずかしいなんて言っている場合じゃない。
裕子は窓に駆け寄り、サッシを開けようとした。しかし開かない。
―― いやだ、鍵をかけてあるんだ。慌てちゃだめ。パニックになったら助からない。
裕子は自分に言い聞かせながらサッシのクレセント錠を開けようとした。しかし、錠はまったく動かない。
―― ロックね。防犯上、いつも錠をロックしてあるんだった。
サッシの錠のすぐそばに取り付けてあるスライド式のスイッチを上に上げれば、錠のロックが解除できる。
ノブを回すせわしない音が止まらない。裕子はドアが開いてしまうのではないかという不安に駆られて、何度もドアを振り返りながら、スライドスイッチを動かそうとした。しかし、スライドスイッチもまったく動かない。
―― どうして! いつもロックしたり解除したりしているのに、どうして今だけ解除できないの!
裕子はパニックに陥りそうになりながら、しゃがんでスライドスイッチを覗き込んだ。スイッチをスライドさせる隙間に、何か小さな円筒形のものが挟み込まれていた。
―― なんなの、これは。何が挟まっているの!
裕子はその円筒形のものを見つめ、それが何かをやっと理解した。
それは、爪楊枝の頭の部分だった。爪楊枝の頭の部分が、スライドスイッチの隙間にがっちりと挟み込まれ、スライドできないようになっていた。
裕子は、キッチンで健次郎が咥えていた爪楊枝を思い出した。その時、裕子の背後でドアの鍵が開けられる音がした。裕子は反射的に180度体を回して、ドアに向き合った。ドアのシリンダー錠は、中心のシリンダー部分が飛び出し、開錠されていた。
作品名:家に憑くもの 作家名:sirius2014