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家に憑くもの

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Ⅷ.夫(1F)



裕子は自分の車であるBMW325のハンドルを握っていた。夫の健次郎は5シリーズを欲しがったが、裕子にとって5シリーズは大きすぎて、取り回しが難しそうだったので、健次郎を説得して、一回り小さなこの車種を選んだ。それでも裕子にとって、3シリーズでも大きかった。今では裕子は1シリーズにすれば良かったと後悔している。健次郎が5シリーズに拘ったのは、単なる見栄だったのだろうと思う。
健次郎には、金銭にしっかりした面と、意地悪く言えば成金趣味のような面が同居していた。おそらくそれは、あまり裕福とは言えない家庭に育った健次郎の生育環境に由来するものだろうと、裕子は見ている。

裕子はその健次郎に腹を立てていた。夫の飛行機が到着する時刻を見計らって、羽田空港まで車を走らせたのに、夫はその飛行機に乗っていなかったのだ。運転中で見られなかった携帯電話に、夫からのメールが入っていた。東京の本社でトラブルが発生したので、予定よりも1本前の飛行機に乗って、いったん本社に寄るという内容だった。空港に着いてから、そんなメールを見ても意味が無い。裕子は仕方なく、自宅に戻ったのだった。
自宅の車庫にBMWを停めると、裕子は自宅のドアを開いた。佳織と同じように、家の中の様子を伺う。
「ここで見たって、しょうがないわね。」
裕子は呟くと、廊下に上がった。リビングのドアノブに手を掛け、一瞬躊躇するが、すぐにドアを開く。正面のソファーには、夫の健次郎が座っていた。健次郎はいつものように爪楊枝を咥え、携帯電話を開いている。
「あら、あなた、脅かさないでよ。」
健次郎は裕子に一瞬目をやると、すぐに携帯電話に目を落とした。
「本社に寄って来るんじゃなかったの。」
裕子の問いかけに、健次郎は携帯電話に文字を打ち込みながら答える。
「ああ、俺が本社に行ったときには、もうトラブルは解決していて、そのまま車で送ってもらったんだ。」
裕子の立っている場所からは、健次郎の携帯電話の画面は見えない。
「それなら、メールでもなんでも連絡してくれれば良かったのに。」
裕子の口調は、どうしても詰問調になる。
「ごめん、つい忘れてたよ。」
健次郎は話しながらも、携帯電話から目を離さない。
「だめね、あなたって。待ってね、今お茶淹れるから。」
裕子はそう言うと、手に持っていたヴィトンのバッグをソファーの端に置き、キッチンに入った。
やかんを火に掛け、茶筒から急須に茶葉を入れる。湯呑を二つ用意しているところで、やかんの湯が沸騰した。
「いけない、沸騰しちゃった。」
裕子は慌てて火を止めると、振り向いてキッチンのカウンター越しに、リビングの夫に目をやった。健次郎は、もう携帯電話の操作を終えて、足元に置いた自分の旅行鞄の中をかき回していた。裕子は、何を探しているのだろうと思いながら、急須から湯呑にお茶を注いだ。お茶を注ぎ終わったところで、背後に人の気配を感じて、後ろを振り向いた。そこには、いつの間にか夫が立っていた。
作品名:家に憑くもの 作家名:sirius2014