「夢の続き」 第五章 敗戦
「線路を見て目的地に着こうとしている者と、のんびり風景を見ている者との差だよ」
「そういうことね。脱線したら逃げ出す人たちと、その安全を誘導する人たちとの差でもあるのね。思いの違いがあったにせよ、末端まで統制が取れなくなったことは悲しいことよね」
「沖縄でも勇気ある降伏を指揮官が判断していれば、多くの幼い命も助かったのにね」
国民の士気の低下が敗戦の理由ではないが、陸軍と海軍の意地の張り合いはその一因を作ったといえるであろう。
「貴史は原爆の投下についてはどう考えているの?」
「正しいか過ちだったかと言う点では、過ちだったと思うよ」
「多くの罪の無い人達が死んだから?」
「それもあるよ。無差別攻撃は許されることじゃないからね」
「だったら、アメリカは非難されるべきじゃないの?」
「世界の国でアメリカにものがはっきりと言える国は無いから、黙っていたんだろうね。自国内でも賛否が出るような兵器だったから、行使する正当性を高らかに謳ってから使用したと思うよ」
「戦争を終わらせるためだと聞くけど、本当にそうなら予告があってもいいはずじゃないかしら。新型爆弾を落とすかも知れないとね」
「なるほどね。確かにそういえるね。原子爆弾の威力は予想出来ていたからね」
「私にはアメリカは理由をつけてもなんとか使いたかったんじゃないかと思えるのよね」
「日本がポツダム宣言をすぐに受諾していたら使用できなかったかも知れないね。そうだとすると、初めからアメリカには意図的な動きがあったと言わざるを得ないね」
「ポツダム宣言には天皇のことは書かれていなかったの。しかしね、降伏すると言うことは一国の元首が責任を取るということになるから、当然責任は軍隊の元帥である天皇に及ぶ。このことは日本を根底から崩壊させることになると思って政府関係者や軍部はアメリカに打診していたの」
「返事が来ないからそのままにしていたら・・・原爆が落ちたって言うわけだね?」
「そうとも言えるんじゃないかしら。だとしたら、わざとアメリカは返事をしなかったと考えるのは行き過ぎかしらね」
「わざと・・・軍部や政府が天皇制に固執していることは十分に知っていたことだから、トルーマン大統領だってそこは日本人が絶対に譲れない部分だと理解していたはずだよ。他に理由があるんじゃないの?」
「人種差別とか?」
「う〜ん、日本人にもそういう部分がアジアの人達にあったとしたら・・・」
「平気で人殺しが出来たと考えるのね」
「かも知れない。広島の原爆は予想していたより破壊力が小さかったと何かに書かれてあったよ。長崎にも落とす必要がそこにあったんじゃない?実験の成果を評価する為に」
「なんと言うこと・・・」
千鶴子は貴史の意見に改めて戦争へのなんであるのかと言う疑問が沸いてきた。
アメリカには原子爆弾の効果を世界に見せ付けたい理由があった。その証拠にこの時点で18個の原子爆弾を日本に投下する計画だった。それは軍事的にまだ成功していなかった原子爆弾を保有しているという事実とその破壊力を自国の政治に利用したかったと推測される。イギリス、フランスと連合国は自由主義経済と資本主義経済を根幹とする思想国家で、日本やドイツは軍国主義思想だったから敵視していた。ソ連は共産主義だったので警戒をしていた。こういう取り巻きの世界情勢から見て、日本を早く掌中に収めてソ連のくさびにしたいとの考えもあった。中華民国の総統であった蒋介石もソ連の共産主義を恐れていた。
アメリカ大統領ルーズベルトは昭和20年2月にヤルタ会談をチャーチル、スターリンと行っていた。ドイツ降伏後の占領地の問題(ポーランド問題)中でも日ソ中立条約の破棄をスターリンに求めてソ連が対日参戦をするように秘密協定を結んでいた。このときに日本はソ連に樺太と千島列島を引き渡す約束を当事国抜きで決められてしまう。
ドイツが無条件降伏した5月8日から90日後の8月9日に対日参戦をし、満州に侵入し千島列島などをソ連軍は占領した。日本が領土としていた台湾も中華民国に返還する事が確認されていた。8月10日に国連に対してポツダム宣言を受理する報告をしていたため、降伏文章調印の9月2日までの僅かな期間でソ連は日本から領土を奪った形になった。アメリカのもくろみは戦争による自国の損失を抑えるためソ連に参戦させて早く終息させる事だったが、ソ連側の約束違反などでヤルタ会談で決められた内容は無効であるとの声明を後日(1956年)アメリカは発している。アメリカとソ連の(西側と東側)冷戦に突入するきっかけとなった会談でもあった。
そもそも領土問題は当事国間で話し合わなければならない。または、講和条約締結時に示されるべき筋合いのことだから、北方領土とされる千島列島はソ連(ロシア)の不法占拠と国際的には考えられている。台湾と中国の問題も同じである。ポツダム宣言受理以前の台湾は日本だったから、領土の返還は日本と中華民国との間で話し合わなければならなかったことである。カイロ宣言で蒋介石とルーズベルト、チャーチルの三人で決められることではなかったと考えるのが本筋である。
貴史は残された3日間で自由研究の「戦争とおばあちゃん」というテーマの作文を書き上げなければならなかった。夜遅くまで書き物をしている貴史の姿を見て、千鶴子は涙が出てきた。孫の頑張っている姿に感動したのか、亡き夫と過ごした短い時間を懐かしんだのか、それとも目の前にいる貴史の姿を夫と思ってしまったからだろうか・・・
「貴史、もう遅いから明日にしたら?」
「うん、もう少しだから頑張るよ。おばあちゃんこそ寝ないとダメだよ。ボクは大丈夫だから、ありがとう」
「そう、じゃあ先に休むね。貴史は・・・優しい子だね」
「えっ?そう?おじいちゃんみたい?」
「貴史・・・」後は涙でものが言えなかった。
9月に暦が変わって新学期が始まった。洋子と仲良く学校の正門をくぐるといつもは気にならない日章旗が風になびいている姿に気を取られた。立ち止まった貴史に洋子は尋ねた。
「貴史、どうしたの?」
「うん、ほら日章旗が見えるだろう」
「日の丸のことね」
「そう、今は学校と官庁ぐらいにしか掲げてないけど、昔はどこの家でも掲げていたんだよ」
「戦争をしていたから?」
「違うよ。国旗だからだよ」
「今でもそうじゃないの?」
「当たり前だよそんな事。しかし、洋子の家で掲げているかい?」
「国旗すらないわよ」
「戦後の日本人って、戦争を思い出したくないというか過剰に否定的になりすぎて国旗まで否定しているって思えるんだよ」
「でも、オリンピックとかでは感動するよ」
「そこが不思議なんだよね・・・」
話していると大きな声で二人を呼ぶ声が聞こえた。
「おーい、遅刻するぞ」
それはあの修学旅行で洋子に振られた安田の声だった。
「いま行く!洋子急ごう」
「あなたが悪いのよ・・・もう」
「また怒っている・・・怖い顔をしないって約束だろう?」
「だって・・・そうね・・・」
始業式に貴史は書き上げた作文を担任に手渡した。
「片山、よく書いたな。すごいじゃないか」
クラスのみんなが拍手をしてくれた。
作品名:「夢の続き」 第五章 敗戦 作家名:てっしゅう