「夢の続き」 第五章 敗戦
「なるわけないよ。美枝さんの前で言ったろう?覚えてないのかい?」
「覚えてるわよもちろん。二人とも同じだから心配しないでいい、って言うことなのよね?」
「何度も言うけどそうだ。でも洋子は綺麗だから・・・心配なんだよ。よくチラ見されているし」
「無視してるじゃない。気にしないで。私も誰かがあなたをチラ見しても気にしないから」
「こんな風に思うからイヤだったんだよ。男と女になることが」
「避けて通れないんだから、お互いに我慢して乗り越えましょう。信じあっていたら壊れることなんかないって思うし」
「そうだな。この夏休みは俺たちにとって忘れられない思い出になったな。俺にとっても戦争を知るスタートになったし」
「そうね。一生忘れないだろうなあ・・・この二日間のことは」
「俺もだ」
列車は新宿駅にやがて到着した。
洋子を家に送ってから、貴史は深川の千鶴子の家に立ち寄った。
「おばあちゃん!ただいま」
「貴史!お帰り。上がって」
「うん、ちょっとだけお邪魔するよ」
千鶴子の家に上がって、佳代に世話になったことを貴史は話した。早速電話を佳代に千鶴子は掛けた。
「佳代さん、貴史がお世話になってありがとうございました」
「千鶴子さん、こちらこそ本当に楽しい時間を過ごさせて頂きましたのよ。礼を言うのは私のほうですよ」
「元気になされているご様子ね。美枝さんもお元気かしら?」
「ええ、二人とも元気だけが取り柄なのよ。貴史さんがいらして昔話をしていると本当に私たちって年を取ったなあって、考えさせられましたのよ。お若い二人を見て余計にね」
「そうでしたの・・・私も行けたら良かったのですが、最近足腰が弱ってきて自信がなかったものだから遠慮させて頂きました」
「大丈夫なの?まだ67でしょ・・・そんな事言ってどこか悪いんじゃないの」
「いえ、持病みたいなものかしら。ご心配には及びませんから」
「ならいいけど。そうそう、貴史さんからお誘い受けて次は私と美枝がそちらにお伺いすることになりましたの。また連絡しますのでその時は何年ぶりかしら、お会い出来ますね」
「そうなの!嬉しいですわ。ぜひ前もってお知らせください。楽しみに待っていますから」
電話を切って千鶴子は貴史がたくさんのことを聞いてきたのだろうと話しかけた。
「おじいちゃんの事聞いたわよね?」
「うん、おばあちゃん言ってくれなかったから、ちょっとびっくりした」
「そうね、私から話すべきだったわよね」
「でもいいんだよ。すっかり聞いたから。お父さんって美枝さんのこと覚えているのかなあ?」
「さあ〜どうかな。顔ぐらいは見覚えがあるって言うぐらいじゃないかしら」
「残念だなあ・・・じゃあ佳代さんたちが来たとき、おばあちゃんと俺と洋子の三人で会うって言うことになるね」
「仕方ないね。美枝さんの息子さんが東京にいるからそちらへもきっと行かれるだろうね」
「休みが残り3日しかないから急いで文章まとめないといけなくなったよ。話しまだ聞き終えてないから今日泊まっても構わない?」
「歓迎するよ。秀和に連絡しなさいね」
「うん、今から電話する」
貴史は千鶴子にまだ少し話しの続きを聞きたかった。
「おばあちゃん、俺疑問に感じていることが実はあるんだよ」
「何かしら?おじいちゃんのこと?」
「違うんだ。図書館で一冊の本に出会って実は驚かされているんだ」
「へえ、そうだったの。何を読んだの?」
「うん、戦争から帰ってきて直ぐに出版されたものなんだけど、日本軍の内部告発というか暴露みたいなものなんだよ」
「勇気があったわね、戦争に負けて悔しい思いをしている最中だったのに」
「だから書きたかったんだろうね。時間が経つと思いが風化してしまうからね」
「そうかも知れないね。何が一番気になったの?」
「一つは陸軍と海軍が仲違いをしていたということ。後一つは国民がダメだと感じ始めて協力しなかったことが書いてあった」
「そう、夫からはそういう話は聞いていなかったね。兄もそれには触れなかった。どういうことなのかしら?」
「たとえばね、陸軍の工場で材料が不足しても海軍の工場からは一切供給しなかったとかだね。同じ工場内で高い塀が立てられていて、こちら側が海軍御用達、向こう側が陸軍御用達みたいな感じだったらしい」
「そうなの。それじゃあ数少ない生産能力がさらに低下してしまうわね」
「それに追い討ちをかけるように、工場の従業員も何かと理由をつけて休むから稼働率が50%ぐらいに落ち込んだりしていたようだよ」
「休めるのかしら?」
「なんでもね、有能な技術者を徴兵してゆくから新しく入ってきた何も解らない従業員だらけになって、品質は落ちるし、能率は悪くなるしで、上司に怒鳴られるだけでやってられなくなったらしいよ」
「みんな一致団結して働いていたんじゃなかったのね」
「そうなんだよ。あまりにも酷い軍部のやり方にきっとささやかな抵抗をしていたんだろうね。国民がそっぽを向き始めたら勝てる戦争も勝てないよ。アメリカは全国民が軍を応援していたからね、強いよ。物資の豊富さだけじゃない」
「へえ、勉強しているのね」
「ガタルカナルでも日本軍に爆破された飛行場をアメリカ軍は三日で修復して離着陸出来るようにしたと聞くからね。その技術力は侮れなかったと思うよ。そういう部分の研究が日本は進んでいなかったんだね。今とは逆だよ」
貴史の言い出した話に千鶴子が感心して聞く立場になっていた。
アメリカの能力はその豊かな資源をバックに産業革命以来イギリスなどから伝授された高い技術力で支えられていた。真珠湾攻撃で大破された戦艦や空母なども日本軍が考えていたより早く修復され出航していった。この見込み違いと暗号解読が戦況を一変させた。昭和15年の開戦前にアメリカは日本を紹介するという建前で、生産工場などを取材し撮影して、軍部の研究材料とした。密かにでもこうしたことがされているようでは初めから勝てる戦ではなかった。
敵を知るということが戦の基本なのに知られて平気だったことがすでに負け戦になっていたのである。アメリカ軍は余裕で日本と戦ったのではなかった。事前に研究して侮れないと締めてかかったのだ。神風が吹くとか、神国日本とかの精神論だけで勝てると思っていたことが事実なら・・・不思議だ。
「貴史、東京大空襲があってから、みんなの心の中にまた空襲がやってくると不安が広がっていたの。確かに都会で働いていては命が危ないから女子供だけではなく生き延びたい人たちは理由をつけて田舎に引っ越したのかも知れないわね」
「仕事に行かない理由は、親の介護だとか、看病だとかが多かったみたいだよ」
「なるほどね。あなたの言うように、もう負けるって言う気持ちになり始めていたのかも知れないね」
「うん、それとこんなバカな奴らのために命かけて働きたくないっていう正直な感情もあったんじゃない。その証拠に、終戦になってお金がいるようになったからクビにならないように職場にほとんど全員戻ってきて働き始めたらしいからね」
「戦場で命をかけていた夫や兄とは違う人たちが日本にはいたのね・・・複雑だわ」
「おばあちゃん、動いている列車の機関手や乗務員と乗客の違いだよ」
「どういうこと?」
作品名:「夢の続き」 第五章 敗戦 作家名:てっしゅう