Prayer of jewelry
約束は今、果たされるとき。
[ Prayer of jewelry ]
きっと私は、あの少年に魅せられてしまったのだと。思う。
はじめて出逢った、その瞬間から。
「楓さまにはもうお会いになりました?」
ふんわりと漂う料理の匂いと上品なクラシックの音楽が広間を包む。
注がれたシャンパンは気泡をたてながらグラスの中ではじけた。まるで星の粒のように。
きっと自分よりも10歳は年上だろう、メイド服を着た女性に声をかけられた私は、
いいえ、まだ会っていないんです、と答えて苦笑してみせる。
あらあら、楓さまったらどこへ行かれたのでしょうね。女性はそう言って困ったような顔をした。
「せっかく5年ぶりに京香さまが帰国されたというのに…」
5年ぶり―――。その言葉がやけに重く圧し掛かる。
長かった5年という年月のあいだ、彼はどんな風になったのだろう。
最後に見たのは彼が12歳だったとき。ちょうどこの場所でだった。
彼は…あの日の約束を、覚えてくれているのだろうか。幼かった二人が交わした、あの日の約束を。
今日は渡部家と朝倉家の合同パーティーの日だった。
パーティーが催されたのは都内の高級ホテル。5年前にも、この場所でパーティーをしたことがあった。
そのときは私の家族がイギリスへ越すことになった時の送別会で。
イギリスに発ってから5年が経った今日。
朝倉家は日本へ帰国し、こうしてまた同じ場所で歓迎会が開かれたのである。
あの日と変わらない、渡部家との合同パーティーとして。
私の実家―――朝倉家は、渡部家と昔からの取引先関係にある。
互いとも家柄は良く、将来的には両家の子の婚約が決定されていた。
そこで持ち出されたのが、私と渡部楓の婚約だったのだ。
それを知ったのは、私が12歳だったとき。
* * * * *
「京香の婚約者になるひとだよ」
少年に初めて出会ったのは5年前の送別会の日。彼を私に紹介したのはパパだった。
目の前に立っていたのは、とても綺麗な男の子。瞳は黒く澄んでいて、肌は真っ白で。
微かな金色を帯びた繊細な髪が煌いたから、それに触れてみたいなって、少し思ってた。
私と同い年だというのに大人びた顔立ち。振る舞い。
スーツを着こなした華奢な身体はまだ12歳のはずなのに大人っぽく見えて。
本当に、格好良いと思ったのだ。
「渡部楓くんだ」
パパに促されてお辞儀をしたら、『渡部楓』も無愛想に一礼した。
綺麗なのに笑わない人。それが彼の第一印象だった。
けれど彼はどこか。私を惹きつけて離さないものを持っていた。
それが今も尚、私の心を魅せて止まないのだ。
私の『婚約者』と呼ばれた彼に会ったのは、その日の一度きりだけ。
あのとき。私は、婚約の意味をちゃんと理解していなかったのだと思う。
まだ幼かった私と少年。けれど少年だけは、私よりもずっと大人だった。
すべてが押し付けられた関係であったことも、少年はちゃんと理解していたのだから。
そう―――、楓の方は親同士が決めたこの婚約を、最初から嫌がっていた。
「俺はお前と結婚するつもりなんてないぜ」
5年前、二人で見た噴水の水しぶきは、今も私の瞳孔に焼きついたまま。
楓と大理石で創られた階段を上ると、ホテルの広い庭に出たのを覚えている。
イルミネーションが綺麗だったこととか。楓の意志が強かったことも。全部。
「どうして?結婚って幸せなことでしょ?」
楓の言葉は私にとって悲しかった。けれどそれよりも、私との結婚を嫌がる彼の目は、もっともっと悲しかった。
「お前は嫌じゃないのかよ」
私は首を振った。彼との結婚を嫌だなんて思わなかったから。
そんな私を見て、楓は言った。「バカだ」と。
「俺の人生なのに。親に敷かれた道を歩くのは御免だ」
「しかれた、道?」
「お前だってそうじゃねぇか」
こんな家に生まれて、親の示すことだけやっていく人生。
それが、どうして「幸せ」と呼べるんだよ。
楓は憂いを含んだ黒い瞳を据えて、そう言ってた。
その瞳が訴えていたのは、自分の哀れな身分と人生。
「楓…、どうしてそんなに悲観するの」
私は楓のことを何も知らないし、楓だって私のことを知らない。
けれど私は楓に出逢ってしまったのだから。楓に魅せられてしまったのだから。
もう、二人の運命は止められない。
「私は楓のこと好きだもん」
噴水が一斉に吹き上がり、青や赤のライトに照らされて。楓の金髪が揺れてたのが印象的だった。
「私と結婚するの、楓は嫌?」
あの日の私は、明日にイギリス行きを控えていた。
それから5年も楓に会えなくなるのだってわかっていたけれど。
その5年がどれほど長いものか、なんて。想像もつかなかったのだ。
しばらくして楓は、そうだな…、と言うと、口の端をあげて少し笑った。
あざ笑ってるみたいだけど、冷笑とは言えないような、優しい微笑み。
「5年後、お前が帰って来たとき、」
「……?」
「お前がすっげぇイイ女になってたら考えてやってもいいぜ」
なにを言っても私たちの結婚は絶対だった。逆らうことは許されない。
ならば問題なのは、『気持ち』なのだ。
楓が私を愛してくれるか、くれないか―――…
「わかった!すっげぇイイ女になって帰って来るから、私!」
私は強く強く決心した。楓に認めてもらえるような、素敵な人になる、と。
もし楓が認めてくれるようになったのなら、どうか約束して。私のこと、愛してくれるって。
そんな幼い頃の約束を信じてイギリスに発った。
楓に認めてもらえるように綺麗になろうと努力してきた日々。
日本で楓がどんな風に成長したのかなんて、知らないけれど。
彼との約束のため。絶対に諦めないと決めていた。
そうして、5年が過ぎた。
* * * * *
歓迎会も中盤に差し掛かった頃、さっきのメイドがまた私に話しかけてきた。
「楓さま、いらっしゃいましたよ」
メイドの突然の言葉に、私は持っていたグラスを思わず落としそうになってしまった。
グラスのシャンパンはさっきから全く減っていない。気泡の粒は勢いを失い始めている。
「どこにいますか?」
「ホテルの庭の方にいらっしゃいます」
お祝いの場で愛想笑いしか振りまけず、シャンパンだって碌に飲み干せないのは。
彼のことばかり、気になってしまうからで。
「京香さまのこと、お待ちですよ」
早く会いたい、のに。
「…わかりました」
怖くて逃げ出したい。
けれど楓は、私の許婚であって。私の、愛するひと、なのだから。
『私と結婚するの、楓は嫌?』
5年後の私を、、、愛してくれますか?
淡いオレンジ色を帯びたライトが庭へと続く歩道に添えられている。
高貴を感じさせるやわらかな光が視界に灯り、それの中を小走りで行く。
かつんかつん、と、走るたびにヒールの音が地に心地良く響いた。
このヒールの音が、なぜだかとても好き。大人になったような気持ちになるから。
きっと私は、早く大人になりたかったのだろう。彼に少しでもつり合いの取れる人間でありたいから。
[ Prayer of jewelry ]
きっと私は、あの少年に魅せられてしまったのだと。思う。
はじめて出逢った、その瞬間から。
「楓さまにはもうお会いになりました?」
ふんわりと漂う料理の匂いと上品なクラシックの音楽が広間を包む。
注がれたシャンパンは気泡をたてながらグラスの中ではじけた。まるで星の粒のように。
きっと自分よりも10歳は年上だろう、メイド服を着た女性に声をかけられた私は、
いいえ、まだ会っていないんです、と答えて苦笑してみせる。
あらあら、楓さまったらどこへ行かれたのでしょうね。女性はそう言って困ったような顔をした。
「せっかく5年ぶりに京香さまが帰国されたというのに…」
5年ぶり―――。その言葉がやけに重く圧し掛かる。
長かった5年という年月のあいだ、彼はどんな風になったのだろう。
最後に見たのは彼が12歳だったとき。ちょうどこの場所でだった。
彼は…あの日の約束を、覚えてくれているのだろうか。幼かった二人が交わした、あの日の約束を。
今日は渡部家と朝倉家の合同パーティーの日だった。
パーティーが催されたのは都内の高級ホテル。5年前にも、この場所でパーティーをしたことがあった。
そのときは私の家族がイギリスへ越すことになった時の送別会で。
イギリスに発ってから5年が経った今日。
朝倉家は日本へ帰国し、こうしてまた同じ場所で歓迎会が開かれたのである。
あの日と変わらない、渡部家との合同パーティーとして。
私の実家―――朝倉家は、渡部家と昔からの取引先関係にある。
互いとも家柄は良く、将来的には両家の子の婚約が決定されていた。
そこで持ち出されたのが、私と渡部楓の婚約だったのだ。
それを知ったのは、私が12歳だったとき。
* * * * *
「京香の婚約者になるひとだよ」
少年に初めて出会ったのは5年前の送別会の日。彼を私に紹介したのはパパだった。
目の前に立っていたのは、とても綺麗な男の子。瞳は黒く澄んでいて、肌は真っ白で。
微かな金色を帯びた繊細な髪が煌いたから、それに触れてみたいなって、少し思ってた。
私と同い年だというのに大人びた顔立ち。振る舞い。
スーツを着こなした華奢な身体はまだ12歳のはずなのに大人っぽく見えて。
本当に、格好良いと思ったのだ。
「渡部楓くんだ」
パパに促されてお辞儀をしたら、『渡部楓』も無愛想に一礼した。
綺麗なのに笑わない人。それが彼の第一印象だった。
けれど彼はどこか。私を惹きつけて離さないものを持っていた。
それが今も尚、私の心を魅せて止まないのだ。
私の『婚約者』と呼ばれた彼に会ったのは、その日の一度きりだけ。
あのとき。私は、婚約の意味をちゃんと理解していなかったのだと思う。
まだ幼かった私と少年。けれど少年だけは、私よりもずっと大人だった。
すべてが押し付けられた関係であったことも、少年はちゃんと理解していたのだから。
そう―――、楓の方は親同士が決めたこの婚約を、最初から嫌がっていた。
「俺はお前と結婚するつもりなんてないぜ」
5年前、二人で見た噴水の水しぶきは、今も私の瞳孔に焼きついたまま。
楓と大理石で創られた階段を上ると、ホテルの広い庭に出たのを覚えている。
イルミネーションが綺麗だったこととか。楓の意志が強かったことも。全部。
「どうして?結婚って幸せなことでしょ?」
楓の言葉は私にとって悲しかった。けれどそれよりも、私との結婚を嫌がる彼の目は、もっともっと悲しかった。
「お前は嫌じゃないのかよ」
私は首を振った。彼との結婚を嫌だなんて思わなかったから。
そんな私を見て、楓は言った。「バカだ」と。
「俺の人生なのに。親に敷かれた道を歩くのは御免だ」
「しかれた、道?」
「お前だってそうじゃねぇか」
こんな家に生まれて、親の示すことだけやっていく人生。
それが、どうして「幸せ」と呼べるんだよ。
楓は憂いを含んだ黒い瞳を据えて、そう言ってた。
その瞳が訴えていたのは、自分の哀れな身分と人生。
「楓…、どうしてそんなに悲観するの」
私は楓のことを何も知らないし、楓だって私のことを知らない。
けれど私は楓に出逢ってしまったのだから。楓に魅せられてしまったのだから。
もう、二人の運命は止められない。
「私は楓のこと好きだもん」
噴水が一斉に吹き上がり、青や赤のライトに照らされて。楓の金髪が揺れてたのが印象的だった。
「私と結婚するの、楓は嫌?」
あの日の私は、明日にイギリス行きを控えていた。
それから5年も楓に会えなくなるのだってわかっていたけれど。
その5年がどれほど長いものか、なんて。想像もつかなかったのだ。
しばらくして楓は、そうだな…、と言うと、口の端をあげて少し笑った。
あざ笑ってるみたいだけど、冷笑とは言えないような、優しい微笑み。
「5年後、お前が帰って来たとき、」
「……?」
「お前がすっげぇイイ女になってたら考えてやってもいいぜ」
なにを言っても私たちの結婚は絶対だった。逆らうことは許されない。
ならば問題なのは、『気持ち』なのだ。
楓が私を愛してくれるか、くれないか―――…
「わかった!すっげぇイイ女になって帰って来るから、私!」
私は強く強く決心した。楓に認めてもらえるような、素敵な人になる、と。
もし楓が認めてくれるようになったのなら、どうか約束して。私のこと、愛してくれるって。
そんな幼い頃の約束を信じてイギリスに発った。
楓に認めてもらえるように綺麗になろうと努力してきた日々。
日本で楓がどんな風に成長したのかなんて、知らないけれど。
彼との約束のため。絶対に諦めないと決めていた。
そうして、5年が過ぎた。
* * * * *
歓迎会も中盤に差し掛かった頃、さっきのメイドがまた私に話しかけてきた。
「楓さま、いらっしゃいましたよ」
メイドの突然の言葉に、私は持っていたグラスを思わず落としそうになってしまった。
グラスのシャンパンはさっきから全く減っていない。気泡の粒は勢いを失い始めている。
「どこにいますか?」
「ホテルの庭の方にいらっしゃいます」
お祝いの場で愛想笑いしか振りまけず、シャンパンだって碌に飲み干せないのは。
彼のことばかり、気になってしまうからで。
「京香さまのこと、お待ちですよ」
早く会いたい、のに。
「…わかりました」
怖くて逃げ出したい。
けれど楓は、私の許婚であって。私の、愛するひと、なのだから。
『私と結婚するの、楓は嫌?』
5年後の私を、、、愛してくれますか?
淡いオレンジ色を帯びたライトが庭へと続く歩道に添えられている。
高貴を感じさせるやわらかな光が視界に灯り、それの中を小走りで行く。
かつんかつん、と、走るたびにヒールの音が地に心地良く響いた。
このヒールの音が、なぜだかとても好き。大人になったような気持ちになるから。
きっと私は、早く大人になりたかったのだろう。彼に少しでもつり合いの取れる人間でありたいから。
作品名:Prayer of jewelry 作家名:YOZAKURA NAO