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ある黒猫の喪失

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 赤い屋根の家に着く頃には日はほとんど落ちてしまい、辺りは暗闇に包まれていた。暗闇の中でガラス戸から漏れる蛍光灯の光だけが輝き、地面に影を創り出していた。柿の木の下に「楓」と書かれた小さな板が立てられていた。あの老犬はこの下で眠っているのだろうか。僕は「楓」をしばらく見つめていた。僕は楓の茶色く覇気のない風体と、ゆっくりと落ち着いた声を想い起こした。色を失いつつある僕は楓の姿を上手く想起できなくなっていたが、楓の言葉のいくつかは鮮明に思い出すことができた。楓との記憶を回想していると、不意にガラス戸が音を立てて開き、主が顔を出した。
「凛、来てくれたのかい」僕を見つけると、主は寂しげに言った。「楓は死んでしまったんだ……そこの柿の木の下に埋まっているよ」
 主は「楓」と書かれた板のあたりを指さした。
「君は楓と仲良くしてくれていたね。きっと楓も感謝していると思う。ありがとう」
 僕は主の言葉を聞くと、ガラス戸に背を向けて歩き出した。
「またおいでよ。」
 主がそう言ったのが聞こえた。

 まだ桜は咲いていなかった。
「行っちまうのかい?」茶トラは残念そうに言った。
「ああ。もう春になってしまったからね」
「どこか当てがあるのか?」
「いや、ない。だけど色の見える友人がいないこの町にいてもいつか僕も色を失ってしまう」
 僕はこの町を出ていくことにした。楓は飼い犬だった。色の見える友人を待ち続けるしかなかった。だが僕は自由な野良猫だ。色の見える友を探しに行く。
「ひとつだけ行きたい場所、いや見てみたい風景がある。紅葉だ。山のないこの町では見ることができなかった」
「山なら海沿いを南に行けばいずれ見えてくるはずだ。だけど猫の足ではそうとう時間がかかるし、その山の紅葉が綺麗なものかもわからない」
「行ってみるしかないさ。最後までありがとう」
 僕は茶トラをしっかりと見据えて礼を言った。
「凛、いつか戻ってくるんだろう?」
「生きてるうちにな」

 僕はこの町が好きだった。だが色を失うことはできない。桜が満開となっても、いつかは色のない世界となってしまう。それが耐えられなかった。僕は新しい友を求めてこの町を出た。


作品名:ある黒猫の喪失 作家名:蓮川矢風