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はぎたにはぎや
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柊生さんとぼく

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蚊の鳴くような声だったが、女子の止まぬ哄笑を一瞬で片付けるには十分な声質だった。あまり口を動かさなくても、発言権を優雅に手繰り寄せれるようだ、と僕は初めて会ったときからずっと思っている。
「柊生さん」
ほとんど無意識に、僕は彼女の名前を口にしていた。
同級生の柊生令だ。
柊に生きるとかいて、「ひいらぎ」なんて読ませるめずらしい名字なので、転校してきた当時一番に名前を覚えた女子だ。だがそれを呼ぶ機会は片手で数えるまでもなく、ことごとくなかった。彼女は青島千晶と正反対の立ち位置だったから。
腰まである長い黒髪を結うこともせずまっすぐ垂らす様子が僕は綺麗だと思うのだが、うつむき加減なせいで人には陰鬱な印象を与えるらしい。それも彼女の性格と相まって。
「通してくれる、かな」
静かな声で、事務的に彼女は告げる。僕らは思い出したようにあわてて道をあけた。女子たちは心なしか、さらに後ずさりをしたそうな顔をしている。
蹴ったら折れそうなほど細く小柄なのに、有無を言わさず他人を拒絶する雰囲気を放っていた。すっきりと整ったその白い顔に、僕は青島さんより好感を覚えるのだが。
彼女は僕らに目もくれず、滑るように下駄箱を出た。どこの掃除の担当なのか、一足先に下校しようとする白いリュックを背負ったその背中を見送ることしかできない―――はずだった。
不意に、何を思ったのか木村が彼女の前に立ちはだかる。
「あー、あのさ、今俺卒業アルバムのクラスページに使う写真撮って周ってるんだけど、柊生さんも一枚どう?」
僕はちょっとだけ木村を尊敬した。彼女の拒絶オーラを一身に受けながら、よくそんなことが言えるな。
自分の進路を妨害された彼女にしても思いがけないことを言われたらしく、一瞬無表情のまま止まったが、やがて口元をぎこちなくゆがめて短く答えた。
「今、急いでるから」
「じゃ、じゃあさ、あの、柊生さんの思ううちの中学のいいところ、ない?」
「さぁ…思いつかない。ごめんね」
見てるこちらが申し訳なくなるような見事な拒絶だった。
挨拶もなく、木村を押しのけた彼女の足取りは緩まない。
彼女が行ってしまう、と思うと、何故か僕はいてもたってもいられなくなる。別に彼女に恋心を抱いているわけでもないのに。気づけば咄嗟に声をかけていた。
「あの、柊生さん」
二度も呼び止められたことに彼女は機嫌を損ねたのか、木村に向けた時よりもより厳しい視線を僕に寄越した。
「何?」
「あ…えと…」
声をかけたはいいが、何を言うべきか用意していなかった。馬鹿か僕は。しかしきっと何を言っても彼女の足を止めるには及ばないことは明らかで。例によって僕が火急に出した言葉はありきたりなものだった。
「……最近変な事件多いから、気をつけてね」
「……うん、気をつける」
一瞬だったが、何を言ってるんだこいつは、という顔をされてしまった。
うん……僕も自分で何を言ってるんだと思う。放課後とはいえ、まだ日は高い。僕が犯人ならこんな日の高いうちに襲ったりなんかしない。
ぎこちない笑みだけ残して、木村を押しのけた彼女はさっさと校門のほうへ歩き去ってしまった。僕はその背中を見えなくなるまで目で追っていた。
あとに残された木村といえば、柊生さんの拒絶オーラからようやく解放された女子に茶化されている。
「ダサッ、木村ふられてやんのー」
「馬鹿じゃねー、なんで柊生さんに声かけようと思ったわけ?」
「つーか柊生さんも相っ変わらず暗いよねー、なんかお化けみたい。あの髪切ればいいのに」
かわるがわる自分勝手にそんなことを口にする女子に木村はうるせーと及び腰で弱弱しく返している。拒絶オーラの反動が今頃きたのだろうか。
つくづく彼女は不思議な子だと思う。先刻普通の男子となんか違うという評価をいただいたばかりの僕だが、僕は彼女こそ普通の女子と何かが違う気がする。
それは彼女の顔や体の造形による贔屓目を抜きにして、周りで騒ぐ女子たちとは違う意味合いで。
しかしどう考えてもその違和感の正体を、残されたもう1年の間に柊生さんの名前を両手で数え切れないくらい呼ぶことに等しい可能性で知ることはないだろうと思えたので、さっさと意識の隅においやることにした。
作品名:柊生さんとぼく 作家名:はぎたにはぎや