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Twinkle Tremble Tinseltown 2

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 こみ上げる怒りを噛み潰し、ダリルは唸った。
「事実を質しに来ただけだ」
「あなたはいつも事実を捻じ曲げるのですね」
 浮かぶ清い哀れみが、色とりどりのガラスを通して差し込む光にぶち当たって奇怪に変形する。
「奥様のことだって」
「黙れ」
 鋭い言葉は低かったが、まっすぐ続いた身廊を一直線につき抜ける。椅子に腰掛けていた老婆が一人、驚いて振り返る。睨みつけてやれば渋々と元に向き直るが、これでまた一つ哀れな信者の、そして教会の被害者意識が持ち上がったことは手に取るように飲み込めた。迫害される宗教、不遜な現代人に無体されて。神に愛される資格などないとは分かっていたが、負けることだけは許容できなかった。
「あんたが神父とやってることと、どっちが罪深い?」
 戦慄が作る沈黙の中に逃げ込んだものの、見開いた目はやはり雄弁だった。コルネットから零れた瞳と同じ色の前髪が一房、強張ったこめかみを隠している。沈殿した怒りをどこまで叩きつけて良いものか。意識した以上に険しくなる口調に余計苛立ちながら、ダリルは女の眼を覗き込んだ。
「いいか、お互い様なんだ」
 焦点は合っておらず、既に逃避の態勢に入っていることは分かった。だが伝言を託すぐらいは可能だろう。
「最初から分かりきったことだろう。やるべきことをやるだけだって。別にあんたらのことを責めちゃいない」
「許しの心を持ってください」
 今にも消えそうなほどゆらゆらとした口ぶりでジョイスは呟いた。
「奥様を許してあげて。そうすれば貴方もきっと救われます」
「そんな話をしに来たんじゃない」
 肩を掴んで揺さぶりたくなる衝撃を懸命に抑える。
「俺が知りたいのはアルクィンの居場所で」
「貴方は本当は優しくて良い人でしょう? あれ以来、だれの命も奪っていない」
「もういい。電話するように言ってくれ」
 声を荒げなかったことが奇跡だった。握り締めた指の関節が白むほどの力で、ようやく憎悪は抑えられる。ぶつけるべき場所はここではない。理性が叱責する。いつからか、自らの声は神以上に厳しく強固にダリルの心を戒めるようになっていた。揺らぐことはある。だが崩れることはもう二度とない。教会の聖なる罰当たりにも、無差別にアパートの管理人を殺すサイコにも不可能なことを、見えない神や悪魔にできるはずがない。 
 踵を返したら、今度は避けていたはずのジョイスが追いすがってきた。外れかけた取っ手が、ブリキのバケツにぶつかってかたかたと音を立てる。
「今度、来てください。貴方は嫌うかもしれないけれど、その、問答をしに」
「何のために」
「必要な気がします」
 一つの黒い影になった女の上目遣いは、今から折檻に進んで身を晒す殉教者のよう。幾分鼻白んだ顔を見ても、彼女の中にある懸命さは揺らがなかったようだ、珍しいことに。
「何故かとか、何のためにとかは、上手く言えません。でも貴方はいつも、自分の中に抱え込んでしまうから」
「丸裸にされてソースを掛けられるのはごめんだ」
 にべなく切り捨てることに良心の呵責がないとはいえない。だがそれは、彼女が望んでいたものではなかった。精一杯張り詰めていた勇気もとうとう撤退し、ジョイスはまた最初と同じように項垂れてしまった。その場で根を張ってしまいそうな重い果敢なさが、頭の天辺からつま先にかけてまでを貫いている。そのまま放っておくのはどうかと考えるものの、義理はないのだ。はっきり言うと、面倒くさい。既に頭は次に向けて切り替わっている。この女が余計なことを言わなければ、30秒で移っていた新しい行動に。
「連絡を頼むぞ」
 それだけ投げつけると、ダリルはやっとのことで気に食わない場所から去ることに成功した。


 

 手札がなくなってしまったという現実は厳しい。だが逆に考えれば肩の荷は降りたと言える。忌々しい聖職者の手助けで報酬を得るのは、彼にとって一種の侮辱だった。えらそうな事ばかり言って、全てが嘘っぱち。古臭い教えでは何も救えない。落ちるばかりだ。ジョイスも、そしてグロリア(栄光)も。
 街の南を一巡して帰る形になったため、気付けばホテル・ガリオンのシックな看板が見えていた。バスルームの窓が開いている。今朝あれだけ未練たらしく居座っていたのに、気付かなかったなんて。自らの失態にダリルは舌打ちした。
 ホテルの隣に聳える廃墟は普段、悪ガキどものレクリエーションと憩いの場として活用されている。彼らは朝が遅いから、9時を回ったばかりのこの時間帯は騒がしい歓声も聞こえてこない。スプレー缶の下品な落書き、甘ったるいシンナーとマリファナの匂い。幾つか入ったテナントも土地柄に恐れをなしてすぐ引き上げられ、今では宝の持ち腐れ。いかめしい灰色の外壁はくすみ、手入れが成されていないせいで劣化するのも早かった。


 外装が汚れるのと同じくらいの速度でダリルの手から栄光(グロリア)が零れ落ちたのは、このビルが落成される数ヶ月前のことだった。幾重にもコンクリートが重ねられる予定の土台は思った以上に乾いておらず、靴に尖った顆粒を付けていた。セメントを攪拌する機械の音だけが夜の闇に重く響く。保護シート越しに見た月は今にも雨を呼びそうにくっきりと近かったことを、ダリルは昨日のことのように思い出すことができた。

 泥にまみれたグロリア。沈んでいくグロリア。それでも何より美しいグロリア。

 その冷酷を許せないのに、打ち砕いてしまったのは自らの手なのに、ダリルはあの感触を未だ忘れたくないと思っていた。


 こんな汚い通りでも日は高くなり、冬物のスーツの下に汗が滲む。いつのまにか止まっていた足を持て余し、立ち竦む姿は、先ほど震えていた尼僧と何一つ変わることがない。それを知っているからこそ、ダリルは自らの感傷を許せなかった。見上げていた建物が鈍く輝くのから無理やり視線を引き剥がし、再び歩き出す。ホテルに帰ろうと思っていたが、このままもう一度街の東側へ向かおうと今決めた。ニーナ・ウィロックスの家族は、娘の帰りを待ち侘びていることだろう。例え再会したとき、ヤク中になっていようとも、とんだあばずれになっていようとも。出来る限りマシな状況のうちに少女を掬い上げ、それでも愕然とする親から金を毟り取らなければ、今月の家賃が払えない。ゴミ箱を漁る際、明細書のついでに傷んでいない残飯を選別する羽目になるのはごめんだった。そのためには動かなければ。足と頭をフル回転させて。彼は生きている。自らの体が動かなくなることを、思考が停止してしまうことをただ恐れていた。


 いつかは立ち止まるよう肉が命じ、魂がたゆたいに流れる瞬間が来るのかもしれない。その先にあるのは、自らの罪を償うための時間だと、はっきり彼は理解していた。