『幕末異譚 第一話 押送船』
『幕末異譚 第1話 押送船』
安政7年(1860年)2月下旬
木更津から富津に向かう上総(かずさ)往還を男が一人行く。
暗い時化模様の江戸内海から吹き上げる寒風が、先刻から霙(みぞれ)
混じりに変わった。
悪天候に日没が重なり、薄暗くなった街道には、男の他に人影はない。
右前方にうっすらと黒く伸びているのは富津の砂州であろう。
手前にまたたく灯りの群れが目指す富津の集落か。
野島浦(現横浜市金沢区)への船便があると聞いて、はるばる遣
(や)って来た。
白装束に蓑、笠、加えて樫の杖、この辺りでこの身なりと言えば、
鹿野山山頂の神野寺参りか、或いは相模の大山詣で位しか、有るまい。
しかし、笠の下に覗く端正な横顔には、無精ひげこそ伸びてはいるが、
まだ20歳を過ぎたばかりか、
如何にも不似合いな衣装だ。
その上、男の足取りが甚だ覚束(おぼつか)ない。
杖に縋って辛うじて歩を進めるという感じだ。。
風邪を押して、出立(しゅったつ)したのが祟(たた)り、遂に拗(こじ)ら
せてしまったらしい。
それ程に、急を要する旅だった。
男は、此処数ヶ月の出来事をぼんやりと考えた。
ふと、風と海鳴りに混じって蹄の音を聞いた気がした。
気付いた時には、既に直ぐ後に迫っていた。
男は転げるように、道の端に避けた。
泥水を跳ね飛ばしながら、一組の人馬が駆け抜けて行った。
男は、全身に泥水を浴びた。
乗り手と馬の激しい息遣いが耳に残った。
(馬が有ったら)
と、同時に、
(江戸からの早馬ではなかろうか。此処も手が廻ったか)
と、不安を覚えた。
富津の集落に着くと、用心深く足を踏み入れた。
暗いのを幸いに、軒先伝いに宿所を捜す。
漸く一軒の船宿を探し当てた。
中の様子を確かめた後、徐(おもむろ)に敷居を跨いだ。
「いらっしゃいませえ」
中年の女が出迎えた。
足元に濯ぎの桶が運ばれたところで、男の意識が薄れた。
「お客さん、大丈夫かや」
女の声で意識を取り戻した男は苦笑する。
(風邪熱と空腹程度で昏倒するとは情けない。こんな事で大事が
遂げれらようか)
部屋に通され、浴衣に着替えると、早速風呂に入った。
湯に浸かって手足を伸ばしていると、節々の痛みが幾分和らぐ感じだ。
(酒でも飲んで早く寝よう)
宿帳には、
「しもふさ かとりこうり ひよしむら じへい」
と書いた。
旅の途中で、世話になった名主の名を借りておいた。
部屋に戻ると、女が膳を並べ、待っていた。
食事が始まる。
「お客さんは、大山詣でかや」
「ああ」
「この時節じゃ、さぞ寒かっぺな」
「うう」
男の返事は曖昧そのものである。
女は、不審に思えて仕方がない。
(若い男が、それもたった一人で、この時期に大山詣でとは。それに、
しもふさ(下総)の百姓にしては、色が白すぎる・・・。でもな、
人にはそれぞれ事情というもんがあっぺ。詮索はやめべえ)
食事が済むや、男は急いで布団に潜り込み、忽ち鼾(いびき)をかき始めた。
女は膳を抱えて部屋を出ると、そっと呟(つぶや)いた。
「やっぱり、妙な客だわな」
中庭の松の枝には、ウッスラと雪が積もっている。
「寒い筈だわな」
翌朝早く、船宿「瓢」に廻状が届いた。
当分の間、野島浦への船便を禁ずるとの、お上のお達しである。
宿泊客の大方が野島浦への客だったので、大騒ぎとなった。
さりとて、お上のお達しでは仕方あるまいと、三々五々宿を出て行った。
大方は帰途に着いたものであろう。
しかし、安房船形の知り合いを訪ねて、これから横浜村へ帰るという
老夫婦は困った。江戸周りでは年寄りの足で四、五日は掛かろうし、
そんな路銀は用意してない。
番頭に泣きつくが、番頭も頭を抱えるばかりである。
騒ぎの中で、男も困惑していた。
急ぐ旅ゆえ、当ても無くのんびり逗留している訳にもいかない。
廊下で昨夜の女に出遭うと、
「姉さん、此処から野島浦の他さ行く船はあっだろか」
女は驚いた。
(やっぱり、しもふさ(下総)の百姓かな)
「ああ、江戸の木更津河岸さ行くのはあっだよ」
「江戸かあ」
「大山詣でじゃ、江戸は遠回りだわなあ」
「そうだあよ。ところで、何でまた、野島浦行きが船止めになったんだろか」
「あん(何)でも、異国の船が来てからは警戒も厳しくなったとかだよ。
それに、水戸の浪士とかが、江戸入りすっべいとあっちこっちの港に集まっ
ているとの噂もあっだよ」
男の目が光った。
男は部屋に戻ると、どっかと胡坐(あぐら)を掻き、腕組みして
考え込んだ。
寝所に一人寝する「瓢」の亭主、万蔵は、頬に冷たい物を感じて
目を醒ました。
頬に手を遣(や)るが、何も無い。
気のせいかと、目を瞑(つむ)ると、再び冷たい物を感じる。
今度は、そーっと手を頬に滑らせた。
冷たい筈だ、刀だった。
枕元の行灯(あんどん)に手を伸ばそうとすると、頭上から
「おい、亭主」
と、声が掛かった。
若い男の声である。
(強盗か)
と、万蔵は思った。
しかし、強盗だとしても,じたばたする事はない。
毎日、荒くれ男共を顎で使う万蔵のこと、腹は据(す)わっている。
布団の上に正座すると、
「金が欲しいのですか」
と、聞いた。
「金ではない」
「金じゃなくて、何がご所望かな」
「船じゃ」
「船。船なら商売柄、幾らでもありますが」
「船を出して欲しいのじゃ。野島浦まで」
「ははん、船止めでお困りのお客さんじゃな」
「何とか、ならぬか」
(船が目的ならば、命を取られる事もあるまい。しかし、若い者故、
こちらの出方次第では、怪我をさせられぬとも限らぬ。さりとて、
お上のお達しに背(そむ)けば、死罪も有り得よう。さて、どうするか)
「さあ、どうする、亭主」
「出しましょう、野島浦へ」
「そうか、出して呉れるか」
「但し、船の準備があります。小半時(30分)ほどお待ちねがいます」
「仕方あるまい」
「兎に角、行灯の火を入れさせて下さいな」
「ふむ、よかろう」
行灯に火が入り、部屋が明るくなった。
若い男が立っている。
(矢張りか)
と、万蔵は思った。
「おや、昨日お着きのお客さんじゃありませんか。お具合如何ですか」
醜態を知られていたと判って、男の気が怯(ひる)んだ。
「その物騒な物は,お仕舞いになって下さいな」
「やっ、済まぬ」
男は大人しく刀を樫の仕込み杖に納めた。
万蔵は刀に脅されて禁断の船出を承諾した訳ではなかった。
この若い男の正体を考え、共感するものがあったからである。
この季節はずれの身なりは、どう見ても変装としか思えない。
噂では、水戸の浪士が多数江戸入りをしようとしているらしい。この
男も、十中八九その水戸の浪士に違いない。直接、江戸入りは危険と
考え、野島浦から東海道を西から江戸入りする魂胆だろう。
水戸藩は、井伊討つべしを主張する激派と、それを抑えようとする
穏健な鎮派とやらの二つに割れて不穏な状態にあるらしい。戌午の
大獄(安政の大獄)では水戸藩を主として、朝廷から町人まで大勢の人々が処分を
受けた。世間では、井伊大老の余りにも厳しい遣り方を批判する者が多い。
万蔵もその一人である。
安政7年(1860年)2月下旬
木更津から富津に向かう上総(かずさ)往還を男が一人行く。
暗い時化模様の江戸内海から吹き上げる寒風が、先刻から霙(みぞれ)
混じりに変わった。
悪天候に日没が重なり、薄暗くなった街道には、男の他に人影はない。
右前方にうっすらと黒く伸びているのは富津の砂州であろう。
手前にまたたく灯りの群れが目指す富津の集落か。
野島浦(現横浜市金沢区)への船便があると聞いて、はるばる遣
(や)って来た。
白装束に蓑、笠、加えて樫の杖、この辺りでこの身なりと言えば、
鹿野山山頂の神野寺参りか、或いは相模の大山詣で位しか、有るまい。
しかし、笠の下に覗く端正な横顔には、無精ひげこそ伸びてはいるが、
まだ20歳を過ぎたばかりか、
如何にも不似合いな衣装だ。
その上、男の足取りが甚だ覚束(おぼつか)ない。
杖に縋って辛うじて歩を進めるという感じだ。。
風邪を押して、出立(しゅったつ)したのが祟(たた)り、遂に拗(こじ)ら
せてしまったらしい。
それ程に、急を要する旅だった。
男は、此処数ヶ月の出来事をぼんやりと考えた。
ふと、風と海鳴りに混じって蹄の音を聞いた気がした。
気付いた時には、既に直ぐ後に迫っていた。
男は転げるように、道の端に避けた。
泥水を跳ね飛ばしながら、一組の人馬が駆け抜けて行った。
男は、全身に泥水を浴びた。
乗り手と馬の激しい息遣いが耳に残った。
(馬が有ったら)
と、同時に、
(江戸からの早馬ではなかろうか。此処も手が廻ったか)
と、不安を覚えた。
富津の集落に着くと、用心深く足を踏み入れた。
暗いのを幸いに、軒先伝いに宿所を捜す。
漸く一軒の船宿を探し当てた。
中の様子を確かめた後、徐(おもむろ)に敷居を跨いだ。
「いらっしゃいませえ」
中年の女が出迎えた。
足元に濯ぎの桶が運ばれたところで、男の意識が薄れた。
「お客さん、大丈夫かや」
女の声で意識を取り戻した男は苦笑する。
(風邪熱と空腹程度で昏倒するとは情けない。こんな事で大事が
遂げれらようか)
部屋に通され、浴衣に着替えると、早速風呂に入った。
湯に浸かって手足を伸ばしていると、節々の痛みが幾分和らぐ感じだ。
(酒でも飲んで早く寝よう)
宿帳には、
「しもふさ かとりこうり ひよしむら じへい」
と書いた。
旅の途中で、世話になった名主の名を借りておいた。
部屋に戻ると、女が膳を並べ、待っていた。
食事が始まる。
「お客さんは、大山詣でかや」
「ああ」
「この時節じゃ、さぞ寒かっぺな」
「うう」
男の返事は曖昧そのものである。
女は、不審に思えて仕方がない。
(若い男が、それもたった一人で、この時期に大山詣でとは。それに、
しもふさ(下総)の百姓にしては、色が白すぎる・・・。でもな、
人にはそれぞれ事情というもんがあっぺ。詮索はやめべえ)
食事が済むや、男は急いで布団に潜り込み、忽ち鼾(いびき)をかき始めた。
女は膳を抱えて部屋を出ると、そっと呟(つぶや)いた。
「やっぱり、妙な客だわな」
中庭の松の枝には、ウッスラと雪が積もっている。
「寒い筈だわな」
翌朝早く、船宿「瓢」に廻状が届いた。
当分の間、野島浦への船便を禁ずるとの、お上のお達しである。
宿泊客の大方が野島浦への客だったので、大騒ぎとなった。
さりとて、お上のお達しでは仕方あるまいと、三々五々宿を出て行った。
大方は帰途に着いたものであろう。
しかし、安房船形の知り合いを訪ねて、これから横浜村へ帰るという
老夫婦は困った。江戸周りでは年寄りの足で四、五日は掛かろうし、
そんな路銀は用意してない。
番頭に泣きつくが、番頭も頭を抱えるばかりである。
騒ぎの中で、男も困惑していた。
急ぐ旅ゆえ、当ても無くのんびり逗留している訳にもいかない。
廊下で昨夜の女に出遭うと、
「姉さん、此処から野島浦の他さ行く船はあっだろか」
女は驚いた。
(やっぱり、しもふさ(下総)の百姓かな)
「ああ、江戸の木更津河岸さ行くのはあっだよ」
「江戸かあ」
「大山詣でじゃ、江戸は遠回りだわなあ」
「そうだあよ。ところで、何でまた、野島浦行きが船止めになったんだろか」
「あん(何)でも、異国の船が来てからは警戒も厳しくなったとかだよ。
それに、水戸の浪士とかが、江戸入りすっべいとあっちこっちの港に集まっ
ているとの噂もあっだよ」
男の目が光った。
男は部屋に戻ると、どっかと胡坐(あぐら)を掻き、腕組みして
考え込んだ。
寝所に一人寝する「瓢」の亭主、万蔵は、頬に冷たい物を感じて
目を醒ました。
頬に手を遣(や)るが、何も無い。
気のせいかと、目を瞑(つむ)ると、再び冷たい物を感じる。
今度は、そーっと手を頬に滑らせた。
冷たい筈だ、刀だった。
枕元の行灯(あんどん)に手を伸ばそうとすると、頭上から
「おい、亭主」
と、声が掛かった。
若い男の声である。
(強盗か)
と、万蔵は思った。
しかし、強盗だとしても,じたばたする事はない。
毎日、荒くれ男共を顎で使う万蔵のこと、腹は据(す)わっている。
布団の上に正座すると、
「金が欲しいのですか」
と、聞いた。
「金ではない」
「金じゃなくて、何がご所望かな」
「船じゃ」
「船。船なら商売柄、幾らでもありますが」
「船を出して欲しいのじゃ。野島浦まで」
「ははん、船止めでお困りのお客さんじゃな」
「何とか、ならぬか」
(船が目的ならば、命を取られる事もあるまい。しかし、若い者故、
こちらの出方次第では、怪我をさせられぬとも限らぬ。さりとて、
お上のお達しに背(そむ)けば、死罪も有り得よう。さて、どうするか)
「さあ、どうする、亭主」
「出しましょう、野島浦へ」
「そうか、出して呉れるか」
「但し、船の準備があります。小半時(30分)ほどお待ちねがいます」
「仕方あるまい」
「兎に角、行灯の火を入れさせて下さいな」
「ふむ、よかろう」
行灯に火が入り、部屋が明るくなった。
若い男が立っている。
(矢張りか)
と、万蔵は思った。
「おや、昨日お着きのお客さんじゃありませんか。お具合如何ですか」
醜態を知られていたと判って、男の気が怯(ひる)んだ。
「その物騒な物は,お仕舞いになって下さいな」
「やっ、済まぬ」
男は大人しく刀を樫の仕込み杖に納めた。
万蔵は刀に脅されて禁断の船出を承諾した訳ではなかった。
この若い男の正体を考え、共感するものがあったからである。
この季節はずれの身なりは、どう見ても変装としか思えない。
噂では、水戸の浪士が多数江戸入りをしようとしているらしい。この
男も、十中八九その水戸の浪士に違いない。直接、江戸入りは危険と
考え、野島浦から東海道を西から江戸入りする魂胆だろう。
水戸藩は、井伊討つべしを主張する激派と、それを抑えようとする
穏健な鎮派とやらの二つに割れて不穏な状態にあるらしい。戌午の
大獄(安政の大獄)では水戸藩を主として、朝廷から町人まで大勢の人々が処分を
受けた。世間では、井伊大老の余りにも厳しい遣り方を批判する者が多い。
万蔵もその一人である。
作品名:『幕末異譚 第一話 押送船』 作家名:南 総太郎