「夢の続き」 第二章 戦争のこと
義兄の大山信夫が話していた、「本当にゲリラなのか?」の問いに真一郎は確信を持ってはいたが、多くの女子供を含む中国人を無抵抗の中で銃殺したことにより、それは疑問へと形を変えていった。
連戦連勝の日本軍は慢心していたと言えるだろう。大日本帝国の繁栄のためだけに、もっと言うと軍人の面子や指揮のためだけに掲げられた看板だったのだと、「大東亜共栄圏構想」は見え始めていた。
真一郎はフィリピン戦線に回り、ゲリラ一掃のために戦っていた。この年6月5日から始まった太平洋ミッドウェイ海戦に初めて日本軍は完敗した。4月にアメリカ軍爆撃機によって東京名古屋大阪を空襲されたことが、ミッドウェイ作戦を決定的なものにしていた。山本五十六司令官の思いは叶えられたが、作戦の暗号はアメリカ軍に察知され待ち構えていたところに突っ込んでゆく結果となった。
もちろん日本国民にはこの敗戦は伝えられなかった。外電を聞いた知り合いから、信夫は事実を知った。
「負ける・・・」そう確信した。
「おばあちゃん、日本は負ける戦争を知っていて止められなかったと思う?それとも、勝てると信じて最後まで犠牲を払ってきたと思う?」
「そうね・・・兄はね、秘密のルートがあってアメリカ軍の情報を良く知っていたわ。ミッドウェイ作戦が失敗に終わったとき、わざわざ疎開先まで来て、東京は危ない、って言ってくれたしね。巷では神風が吹く!とか言ってたから、日本が負けるとは思わなかったでしょうね」
「そういうムードだったんだ。情報を操作されていたからだね」
「そうかも知れないけど、日本人の気質なのかも知れないよ」
「気質?」
「そう、決めたら何が何でも突き進むって言う。右に倣え!っていうところよ」
「そうなの?そんな気質だったんだ」
「学校の制服なんかもそう。倹約と言われたら必要以上にしてしまう。我慢と言ったら死ぬまで我慢するみたいな・・・ね」
貴史と洋子は顔を見合わせた。
「おばあさま、今の日本人にもそういう部分が残っているのでしょうか?」洋子は疑問に思えて尋ねた。
「洋子さんって呼ぶわね、貴史のお嫁さんになる人だから」
「おばあちゃん!洋子って呼ぶのはいいけど、お嫁さんになるって言うのは早いよ」
「貴史!可哀そうなことを言うんじゃありません。女が決めたことは受け入れてこそ男ですよ!こんな可愛くて気立てのいい子他に居ませんよ。あなたには過ぎる相手よ」
千鶴子は真一郎に言われた言葉をそのまま貴史に返した。「俺には過ぎる女房だ」と言ったことをだ。
「おばあさま、よろしいのですよ。貴史さんはきっと照れてるんだと思いますから」
「洋子!照れてなんかいないぞ。解らないことだから早いって言っているだけだ」
「じゃあ、私が他の人を好きになっても諦められるのね?」
「洋子さん、怒ったからと言ってそんな事を言ってはいけませんよ。貴史があなた以外の女性を好きになることなんかないのよ。解っているんでしょ?あなただって」
「おばあさま・・・」
「話の続きに行くね。今の日本人にも残っていると思いますよ。だから韓国や中国の人たちは警戒しているのよ。経済的に発展してもお金の力以外で上手に外交が出来ていないから本当に理解される日が来るかどうか解らないわね。あなたたちの未来に懸かっているかも知れないって感じるの」
「学校では習わないことですね。戦後の復興を支えてきた両親の世代に感謝をして、次の時代を本当の繁栄にしてゆく使命が私たちにはあるんですね」
「素晴らしいわ!洋子さん。その通りよ。忘れようとしている戦争の真実を考えることは決して無意味なことじゃないのよ。全ての幸せは平和な社会の上に成り立っていることなんですからね」
貴史は洋子に感心した。少し身体を近づけて、祖母に知られることをいとわず、洋子の手をそっと握った。
「貴史・・・」
「いいのよ、仲良くして」
千鶴子は満面の笑顔で二人の様子を嬉しそうに眺めていた。
昭和18年が明けて、数え3歳になった秀和を連れて諏訪大社へ千鶴子は初詣に行った。居候をさせてもらっている岡谷の農家は百瀬と言った。残っている男手は千鶴子の父親と年齢が近かった家長の邦夫だけで、その妻佳代、長女、次女の子供すべて女だった。そこへ千鶴子と秀和が加わったから、男子である秀和は結構可愛がられていた。諏訪大社に初詣に行く話しも秀和の無病息災を祈りたいとの邦夫の思いからだった。
一年を過ぎてようやくここの家の仲間に入れた気がしていた千鶴子は邦夫の心遣いが有難かった。佳代とともに家事、畑仕事と精を出す毎日だった。米だけでなく畑で採れる新鮮な野菜なども東京では手に入りにくくなっていた。配給制で自由に物が買えなくなっていたからである。食品、加工品なども軍部への納入が兵隊のために優先されて、一般人には不足がちになり始めていた。
岡谷では闇市もなく当たり前に採れたての野菜を食べて、家族のために取り置いたコメを食べさせてもらっていた。戦争が始まる前の東京でもこれほど裕福には口に出来なかったから、便利さと引き換えに自然に生きていると言う幸せが千鶴子には羨ましく感じられていた。
「千鶴子さん、秀和くんをずっとここで育ててくださらんか?」
「邦夫さん、ありがとうございます。夫が戻ってまいりましたらやはり東京に戻らないといけないと思います。ご親切を裏切るようなことを申し上げてお許し下さい」
「いや、そんなことはない。あなたの家が代々続く家系であることは承知でした。私には息子が居りません。自分に万が一のことがあったら、男手が無くなると思いましてな」
「大丈夫ですよ。お嬢さんの美枝さんに素敵な方が見つかりますから」
「ありがとう。あなたのご主人が無事戻られることをお祈りしています」
百瀬の主、邦夫は若い千鶴子が気になっていたのかも知れない。一緒に暮らす男と女だったから、たとえ妻が居たとしてもそんな気持ちが現れてくることはむしろ自然だった。何かにつけ親切にしてくれていたことを思うと、千鶴子には辛く感じられることでもあった。
作品名:「夢の続き」 第二章 戦争のこと 作家名:てっしゅう