海竜王 霆雷 銀と闇1
静々と現れた孫は、正装だった。ずっと、その成長を楽しみにしていた白虎の長老にとって、その姿は感慨深いものだった。よくぞ、ここまで無事に育ってくれた、と、胸に溢れるものがある。孫娘共々叩頭して、挨拶の言葉を言上する。そして、それが終わると、孫は、にっこりと微笑んで、「ようやく、この姿で、ここへ、ご挨拶に罷り越すことができました。」 と、自分の言葉で語った。
「おじいさま、お加減はいかかでございますか? 」
「華梨、深雪、もう、わしも年じゃ。おまえたちの登極には付き合えぬだろう。・・・・だが、よう参られた。ゆっくりしていくがいい。」
「そんな悲しいことを申されては、私くしも、私くしの背の君も困ります。どうぞ、私くしたちが次代から当代に代わりますのをお待ちくださいな?」
白虎の長老として、長く生きてきたが、さすがに二千年を越えて少ししてから弱ってしまった。本来なら、消える前に冥界へ自ら赴くものなのだが、水晶宮の次代たちが気に懸かり、今まで、それを延ばしてきた。どうしても、孫に伝えたいことがあったからだ。
「華梨よ、ひとつ、頼みがある。しばらくでいい。深雪と二人にしてくれまいか? 話しておきたいことがあるのだ。」
孫娘には聞かせられないことだ。孫にだけ伝えたいことだからだ。孫娘は、一度、孫の顔を見て、それから、はい、と、答えた。夫となる孫に視線で了解をとって、それから席を外す。周囲にいたものたちも下がらせた。全員が、部屋から退出してから、手で呼び寄せた。
「何事ですか? おじいさま。」
「もう誰もおらんから、いつものように話せ。おまえが敬語を操ると、気持ちが悪い。」
すると、孫は苦笑して、「ひでぇーことを言う。」 と、いつもの言葉に戻った。公式のなんたるかを弁えた孫は、人目がある限りは崩さない。先代の竜王が教育係をしているので、その躾けは完璧すぎて、驚いたのは、一度や二度ではない。涼やかな印象を与え、あまり迫力を出さない態度というものを徹底している。
「まだ二百年経ってないぞ? じいさま。俺と華梨の結婚式を拝まないと死んでも死に切れんと言ったのは、じいさまだ。『お披露目』が終わったら婚儀だから、それくらいは生きててくれ。華梨が悲しむからな。」
だが、公式でなければ、粗野と言うほどの言葉遣いにはなるが、生き生きとした表情になる。それが、長老には、癒しとなった。
「はははは・・・・相変わらずだな? 水晶宮の小竜よ。おまえの、その威勢のいい言葉が、何よりの見舞いになる。」
本来は、『お披露目』が終わらない限り、次代の主人たちは、外へ出て来れない。だが、今回限りは、と、白虎の現長が頭を下げて頼んだ。長老が、それまで生き永らえることは無理だろうから、せめて、ひと目だけ、その姿を拝ませてやって欲しい、と、言ったからだ。ようやく、神通力が備わって竜の領域だけでなく人型になれるようになった深雪が、その依頼に一も二もなく飛んできた。
「じいさま、弱気になるな。」
「いや、もう限界じゃ。ただ、おまえに言うておきたいことがあったから、呼び寄せた。これで今生の別れとなるじゃろう。」
「うっとおしいこと言ったら帰るからな。」
「・・・・まあ、うっとおしいかもしれんが聞いてもらわねばなるまいよ? 深雪。わしは、これで終わりじゃからな。」
心配していたことがあった。小さくて身体も弱い孫が、ちゃんと成人して子を成し、さらに次代へ引き継げるのか、と、ずっと、それが気懸かりだった。次代が、孫以上に強くなければ、孫の負担は減らない。だが、自分には、それまで付き合える命数はない。守ってやりたいと思っていたが、それさえもできない。だから、あることを、知り合いに頼んだ。これから、この孫が生きていく、その先を垣間見て来た。成人した孫と、さらに、その先の孫の姿に、大丈夫だ、と、確信できたから、孫たちを呼び寄せて別れを言うつもりになったのだ。
「深雪、じいの言うのは、これ限りだ。どうか聞いておくれ。」
「じいさま。」
「おまえは、おまえの思う通りに生きていけばいい。悩んでも苦しんでも、己が一番良いと思うようにするのじゃ。大丈夫だ。おまえには、それを支えてくれるものがおるし、おまえの意思を尊重してくれる伴侶がおる。これから、たくさんのことを、おまえは経験して生きていくだろう。けっして不幸にはならない。わしが保証してやる。だから、思うように、やりたいように自由に羽ばたくが良い。・・・・・どうか、信念を曲げるようなことはしてくれるな。よいな? 深雪。」
全てを見てきたわけではないが、それでも、あの時の深雪は、微笑んでいた。たくさんのことを経験して、苦しい思いもしてきただろうが、まっすぐに自分を見た。先の孫は、立派に成長していたのだ。
愕然としたように、孫は、自分を見て、へっと鼻で笑ったが、失敗した。目が潤んでいるのを隠せないのが、若い証拠だ。
「・・・・・俺は、せいぜい、華梨の補佐をするだけだ。その言葉は、華梨に伝えるべきじゃないのか? 」
「おまえは、まだ若いから間違っていることに気付かない。だが、いつか、わしの言うことを理解するようになるだろう。華梨に遠慮することはない。おまえは、水晶宮の主人だ。誰も、おまえを止めるものはないぞ? 」
「華梨も長もいるぜ? 」
「くくくく・・・・その華梨も竜族の長も、おまえと同等の地位にある。本気を出せば、おまえが牛耳ることだって可能だ。」
「無茶を言う。・・・・俺は、あんたみたいにマイペースで俺様な性格じゃない。」
「わかっておるさ。だが、言いたいこと思うことは、はっきり言質にすればよいのだ。その意見を打ち捨てるものはおるまい。・・・・おまえは、少しばかり優しすぎるのが心配だが、それも、いい塩梅になる。・・・・幸せにおなり、深雪。じいが言うことを、いつか思い出してくれればいい。」
その頬を撫でてやったら、温かいいものが頬を伝った。ぽろりぽろりと孫の頬を涙が流れている。
「なんで、そんなこと言うんだっっ。まだ、もうちょっと生きててくれればいいだろっっ。」
「今生の別れだと言うたはずだ。・・・・おまえは、まったく・・・・よいか? 人前で泣いてはならんのだぞ? わしのように命数が尽きるものが、これからも、おまえの前に挨拶に来る。その時は、必ず笑って送り出せ。」
そうでないと、魂が迷ってしまうからな、と、孫に教えて、その手を下げた。じいさまっっ、と、その手を追い駆けて孫の手に掴れた。
ああ、登極を拝めぬのは残念だと、それだけは悔しい。だが、その先のものは目にしたから、そこまでは我侭だ。大丈夫、孫は幸せになれるのだ。だから、もう思い遺すものはない。
どうか願わくば、この孫が幸せな人生だったと、孫娘と感慨深く微笑む日があることを。いや、それも余計なことだ。先の孫は、すでに、その境地を知っていたのだから。
水晶宮から西海の宮へ、深雪が隠された事実を知った時は、慌てた。本来、深雪は、水晶宮から出ることは禁じられているからだ。何事かあって隠されたのだとしたら、こちらも助けられることは助けたいと思った。だが、竜族からの返答は、竜族内部のことなので干渉無用というものだった。
「おじいさま、お加減はいかかでございますか? 」
「華梨、深雪、もう、わしも年じゃ。おまえたちの登極には付き合えぬだろう。・・・・だが、よう参られた。ゆっくりしていくがいい。」
「そんな悲しいことを申されては、私くしも、私くしの背の君も困ります。どうぞ、私くしたちが次代から当代に代わりますのをお待ちくださいな?」
白虎の長老として、長く生きてきたが、さすがに二千年を越えて少ししてから弱ってしまった。本来なら、消える前に冥界へ自ら赴くものなのだが、水晶宮の次代たちが気に懸かり、今まで、それを延ばしてきた。どうしても、孫に伝えたいことがあったからだ。
「華梨よ、ひとつ、頼みがある。しばらくでいい。深雪と二人にしてくれまいか? 話しておきたいことがあるのだ。」
孫娘には聞かせられないことだ。孫にだけ伝えたいことだからだ。孫娘は、一度、孫の顔を見て、それから、はい、と、答えた。夫となる孫に視線で了解をとって、それから席を外す。周囲にいたものたちも下がらせた。全員が、部屋から退出してから、手で呼び寄せた。
「何事ですか? おじいさま。」
「もう誰もおらんから、いつものように話せ。おまえが敬語を操ると、気持ちが悪い。」
すると、孫は苦笑して、「ひでぇーことを言う。」 と、いつもの言葉に戻った。公式のなんたるかを弁えた孫は、人目がある限りは崩さない。先代の竜王が教育係をしているので、その躾けは完璧すぎて、驚いたのは、一度や二度ではない。涼やかな印象を与え、あまり迫力を出さない態度というものを徹底している。
「まだ二百年経ってないぞ? じいさま。俺と華梨の結婚式を拝まないと死んでも死に切れんと言ったのは、じいさまだ。『お披露目』が終わったら婚儀だから、それくらいは生きててくれ。華梨が悲しむからな。」
だが、公式でなければ、粗野と言うほどの言葉遣いにはなるが、生き生きとした表情になる。それが、長老には、癒しとなった。
「はははは・・・・相変わらずだな? 水晶宮の小竜よ。おまえの、その威勢のいい言葉が、何よりの見舞いになる。」
本来は、『お披露目』が終わらない限り、次代の主人たちは、外へ出て来れない。だが、今回限りは、と、白虎の現長が頭を下げて頼んだ。長老が、それまで生き永らえることは無理だろうから、せめて、ひと目だけ、その姿を拝ませてやって欲しい、と、言ったからだ。ようやく、神通力が備わって竜の領域だけでなく人型になれるようになった深雪が、その依頼に一も二もなく飛んできた。
「じいさま、弱気になるな。」
「いや、もう限界じゃ。ただ、おまえに言うておきたいことがあったから、呼び寄せた。これで今生の別れとなるじゃろう。」
「うっとおしいこと言ったら帰るからな。」
「・・・・まあ、うっとおしいかもしれんが聞いてもらわねばなるまいよ? 深雪。わしは、これで終わりじゃからな。」
心配していたことがあった。小さくて身体も弱い孫が、ちゃんと成人して子を成し、さらに次代へ引き継げるのか、と、ずっと、それが気懸かりだった。次代が、孫以上に強くなければ、孫の負担は減らない。だが、自分には、それまで付き合える命数はない。守ってやりたいと思っていたが、それさえもできない。だから、あることを、知り合いに頼んだ。これから、この孫が生きていく、その先を垣間見て来た。成人した孫と、さらに、その先の孫の姿に、大丈夫だ、と、確信できたから、孫たちを呼び寄せて別れを言うつもりになったのだ。
「深雪、じいの言うのは、これ限りだ。どうか聞いておくれ。」
「じいさま。」
「おまえは、おまえの思う通りに生きていけばいい。悩んでも苦しんでも、己が一番良いと思うようにするのじゃ。大丈夫だ。おまえには、それを支えてくれるものがおるし、おまえの意思を尊重してくれる伴侶がおる。これから、たくさんのことを、おまえは経験して生きていくだろう。けっして不幸にはならない。わしが保証してやる。だから、思うように、やりたいように自由に羽ばたくが良い。・・・・・どうか、信念を曲げるようなことはしてくれるな。よいな? 深雪。」
全てを見てきたわけではないが、それでも、あの時の深雪は、微笑んでいた。たくさんのことを経験して、苦しい思いもしてきただろうが、まっすぐに自分を見た。先の孫は、立派に成長していたのだ。
愕然としたように、孫は、自分を見て、へっと鼻で笑ったが、失敗した。目が潤んでいるのを隠せないのが、若い証拠だ。
「・・・・・俺は、せいぜい、華梨の補佐をするだけだ。その言葉は、華梨に伝えるべきじゃないのか? 」
「おまえは、まだ若いから間違っていることに気付かない。だが、いつか、わしの言うことを理解するようになるだろう。華梨に遠慮することはない。おまえは、水晶宮の主人だ。誰も、おまえを止めるものはないぞ? 」
「華梨も長もいるぜ? 」
「くくくく・・・・その華梨も竜族の長も、おまえと同等の地位にある。本気を出せば、おまえが牛耳ることだって可能だ。」
「無茶を言う。・・・・俺は、あんたみたいにマイペースで俺様な性格じゃない。」
「わかっておるさ。だが、言いたいこと思うことは、はっきり言質にすればよいのだ。その意見を打ち捨てるものはおるまい。・・・・おまえは、少しばかり優しすぎるのが心配だが、それも、いい塩梅になる。・・・・幸せにおなり、深雪。じいが言うことを、いつか思い出してくれればいい。」
その頬を撫でてやったら、温かいいものが頬を伝った。ぽろりぽろりと孫の頬を涙が流れている。
「なんで、そんなこと言うんだっっ。まだ、もうちょっと生きててくれればいいだろっっ。」
「今生の別れだと言うたはずだ。・・・・おまえは、まったく・・・・よいか? 人前で泣いてはならんのだぞ? わしのように命数が尽きるものが、これからも、おまえの前に挨拶に来る。その時は、必ず笑って送り出せ。」
そうでないと、魂が迷ってしまうからな、と、孫に教えて、その手を下げた。じいさまっっ、と、その手を追い駆けて孫の手に掴れた。
ああ、登極を拝めぬのは残念だと、それだけは悔しい。だが、その先のものは目にしたから、そこまでは我侭だ。大丈夫、孫は幸せになれるのだ。だから、もう思い遺すものはない。
どうか願わくば、この孫が幸せな人生だったと、孫娘と感慨深く微笑む日があることを。いや、それも余計なことだ。先の孫は、すでに、その境地を知っていたのだから。
水晶宮から西海の宮へ、深雪が隠された事実を知った時は、慌てた。本来、深雪は、水晶宮から出ることは禁じられているからだ。何事かあって隠されたのだとしたら、こちらも助けられることは助けたいと思った。だが、竜族からの返答は、竜族内部のことなので干渉無用というものだった。
作品名:海竜王 霆雷 銀と闇1 作家名:篠義