顔のない花嫁
二日後、アレンは意識を取り戻したレイスの元に向かっていた。
病室のドアを開くとそこは真っ白な部屋。
窓から吹きこむそよ風がベッド脇のカーテンを寂しげに揺らした。
風でカーテンがめくれて、レイスの姿が見えた。
真っ白な病院着に身を包んだ彼女は、頭部にグルグルと包帯を巻いていた。
その姿がなんとも痛々しい。
「レイス」
名前を呼ぶと彼女はアレンの方に顔を向けた。
その顔が嬉しそうにほころぶ。
「あぁ、アレン来てくれたんだ」
「来ないと思った?」
悪戯っぽく笑いながらアレンはレイスの方に歩み寄る。
「まさか。アレンのことだからきっと来てくれると信じてたよ」
その言葉を聞いてアレンの口元が緩む。
良かった、思ったよりもレイスは元気そうだ。
「そこのイス、座って良い?」
ベッド脇のイスを指差してアレンは言う。
すぐにレイスから「どうぞ」という声が帰って来た。
イスに座り、アレンはレイスと向き合う。
……しかし、不思議なことにこうして二人きりで向きあうと、先ほどまで、話す事など簡単に頭に浮かんできたのに、まったく考え付かなくなってしまう。
「……」
「……」
奇妙な沈黙が二人を包み込んだ。
アレンがチラリとレイスを見ると彼女は楽しそうにアレンの顔を見つめている。
しかし、一向に口を開く気配はない。
このまま沈黙を続けても仕方ない……。
アレンは何か言おうとと口を開いた。
「まったく災難だったね」
言ってからアレンはしまった、と口をつぐむ。
きっと、レイスはあの事故について、当然のことに苦い思いしか抱いていないだろう。
それにマリアが言った『黒いフードの女』のこともある。
嫌なことを思い出させてしまったかと、アレンはレイスの方を見た。
……しかしその顔は影を見せず、自嘲気味に明るく笑っていた。
「うん、まったくだよ。ははっ、階段を踏み外すなんて我ながら情けない」
「階段を踏み外すっ……?」
謎の女に突き落とされたんじゃないのか……?
まさか……いや、大いにありえることだが、もしかするとレイスは落下の衝撃で記憶障害に……。
不吉な想像を頭から振り払ってアレンはレイスに向き直った。
「階段を踏み外しただけ……?」
「う……うん、そうだよ」
一瞬、レイスの表情が困惑の色を見せた。
それをアレンは見逃さない。
ああ……やはりレイスは覚えているんだ。
「誰かに突き落とされたりとかしてない……?」
レイスはハッと息を呑む。
「どうしてそれを……」
間髪入れずにアレンは言う。
「目撃者がいたんだ。黒いフードを被った女が君を突き飛ばしたのを目撃した人がいる」
「……」
「話してくれないかい?あの時何があったのか」
レイスはしばらく黙っていたがすぐに意を決した様子で話しだした。
「あなたがあの場を離れて、そのしばらく後にマリアちゃんもトイレに行ってしまったわ。その時、誰かが私の背後に近付いてきたの。そしてこう言ったわ。『もうアレンには近づくな』……その直後、私は突き飛ばされた。視界がグルグル回って……それからのことは分からない」
「ッ……」
アレンは絶句した。
まさか自分の存在がこの事件にかかわっているとは思わなかったのだ。
「……あんな恐ろしいこと、夢だって思いこもうとしていたのに……やっぱり現実なのね」
レイスが暗い声で呟く。
彼女も本当は覚えていたのだ。
「ねぇ……アレンには彼女っているの?」
「えっ……?」
「いやっ、もしもいるのなら私を突き落としたのアレンの彼女かなぁって」
なるほど。
その想像はもっともだ。
アレンの彼女が彼と共に歩くレイスの姿を見て、衝動的にレイスを突き落としたとすれば、それが一番納得できる真相だ。
……しかしこの事件はそう簡単には解決しない。
なぜなら、アレンには今現在恋人がいないのだから。
しかし……そうするとそれ以前に彼と交際していた女が怪しいということになるのだが、幸か不幸かか彼女達が犯行に関与することは出来ない。
死別や街と街の距離、その他諸々の事情のためだ。
だからこそアレンは困惑する。
レイスを突き落とす動機のある女は彼の記憶を探る限り存在しない。
ならば一体誰が……?
「……いないよ」
ボソッと暗い声色でアレンは答える。
しかしそんな彼とは対照的にレイスは明るく笑った。
「よかった〜」
「えっ……?」
アレンはなぜレイスがあんなにも明るく笑ったのか分からない。
しかし、レイスは知っている。
それは幼いころからずっと抱き続けて来た感情……。
彼女はついにそれを伝える決意をした。
病院の病室という、あまりにも殺風景な場所だけれどそれでもレイスの想いは満ち足りていた。
彼女はそっとアレンを手を引っ張って近くに引き寄せると彼の体をぎゅっと抱きしめた。
「好きだよ……アレン」
「えっ……?あ、えっ……?」
咄嗟の事にアレンは毎度のことながら、何を言われたのか分からない。
いや、これほどシンプルな言葉なのだ。
何を言われたのか分からない……と言えばそれは嘘になるのだが。
「ふふっ。驚いた?」
悪戯っぽく笑いながらレイスはアレンの体を解放して、彼の反応を確かめる。
「あっ……うん。何がなんだか……」
そんなアレンの反応を見てレイスは愛おしそうに笑った。
「あははっ。アレン、顔真っ赤」
「あっ……!」
そこでアレンはようやく自分の顔が真っ赤に紅潮しているのに気付いた。
「あのっ……これはっ……その……」
おどおどと動揺するアレンを見ながらレイスはくすくすと笑う。
「私ね、小さい頃からアレンのこと好きだったんだ。その時はまだそれが恋愛感情だなんて知らなかったけど、あなたを見てると不思議と胸がポカポカして来たんだ。……でも月日が経ってあなたは私の前からいなくなってしまった」
「ッ……」
アレンはここでようやく知った。
レイスの隠された想いの全てを。
「あなたがいなくなって私は初めて悟ったよ。ああ……私はアレンが好きだったんだって。でもいつまでもそんな想いを引きずってても仕方ない。だから3年ほど経った時にはもうあなたへの想いなんて忘れていた。……でもまさかこの街に来てあなたと再会するなんてね」
この街に越して来てアレンと再会し、心の奥にしまいこまれていた彼女の恋の炎は再び燃え上がった。
何年も鎮められていた分、一層強く、強く燃え上がった。
「こういうの、運命の再会って言うんだろうね。あなたはどうか知らないけれど、少なくとも私にとってはそう」
それからレイスは力強い眼差しでアレンの目を見つめた。
「だから私は諦めない。あのフードの女にだってアレンを渡しはしない」
強い決意に満ちたレイスの眼差し。
そこから発せられる気迫に圧倒されアレンは口を開くことが出来なかった。
「ねぇ……だから、私と付き合ってくれない?」
真っ直ぐな目でアレンを見つめるレイス。
彼女はただ黙ってアレンの反応を待った。
しばらく考えて……それからアレンは首を縦に振った。
「良いよ。付き合ってあげるよ」