彼女の白い樹
その後、彼女とは一度も会っていない。
あのアパートもずいぶん前に取り壊された。
もう私も四十代である。子供も息子が一人いる。
あの頃の思い出が夢幻のように ぼやけてきた頃。
私は仕事の用事で京都に来ていた。
そして、何となく懐かしさを求めて、彼女の邸宅へと足を向けた。
今ならば彼女と昔のような笑顔で話せるような気がしたのだ。
少し経って、見覚えがある風景が眼前に広がってくる。
しかし。
あの樹は、跡形も無く消えていた。
まるで全てが幻であったかのごとく。
彼女の静かな眼差しが思い出される。
(あの人は死んでしまったのかな)
それは非論理的な考えだ。何の確証も無い。
だが、私には確信めいた直感があった。
五月の風が やけに冷たい。
私は背を向け、理屈に合わない哀しみを持て余していた。