「夢の続き」 第一章 修学旅行
「貴史・・・」
千鶴子は堪えきれずに泣き出してしまった。
「おばあちゃん、泣かないで。俺も悲しくなるから・・・」
「ゴメンね・・・すっかり昔のことなのに、あなたを見ていると昨日のように思い出してしまうの」
「戦争がなかったらおじいちゃん何をしていただろうね?」
「えっ?・・・そうね、律儀な人だったから、役人か先生になっていたかも知れないね」
「お兄さんは?」
「兄は技術端だから、きっとエンジニアになっていただろうね」
「そうなんだ・・・おばあちゃん、おれおじいちゃんの遺志を継いで先生になるよ。社会の。これからの世代に残してゆかないといけないことをしっかりと話してゆきたいって思うんだ」
「いいことね、素敵だわ。応援するから頑張ってね。今の気持ちだけでおじいちゃんも兄もきっと喜んでくれているわ。明日墓前で報告しましょうね」
「うん、僕が言うよ」
孫の将来が楽しみになった千鶴子であった。
昭和63年8月14日に暦は変わった。せみの鳴き声が朝から煩く聞こえる暑い日だった。
早朝より無理を言ってお寺さんにお経をあげてもらった。最後の「南無阿弥陀仏」を貴史と千鶴子は繰り返し唱えた。
「片山さん、お疲れ様でした。これで終らせていただきます」お坊さんの言葉に「ありがとうございました」と続けた。
「こちらはお孫さんですか?」そう聞かれて、「はい。息子の長男です」そう言うと、
「偉いですね。おばあちゃんと墓参りに来るなんて。感心しました。きっと御仏のご加護がありますよ。精進なさってくださいね」
貴史は、「ありがとうございます」と頭を下げた。
綺麗に飾られた花と祖父が大好きだった日本酒を供えて墓の前に立った貴史は、手を合わせて、
「おじいちゃん、ボクは先生になります。おじいちゃんの残したかった言葉をこれから考えて、戦争が何であるかを伝えてゆきたいと思っています。どうか、そうなれますように見守っていてください」
「貴史、ありがとう。夫は必ずお前を先生にしてくれるよ。おばあちゃんはこれで死んでも思い残すことはないよ」
「何言ってるの!死ぬだなんて・・・縁起でもない。ぜんぜん若いじゃない。再婚だって出来るよ」
「まあ、再婚だなんて!言うわね。ハハハ・・・夫のお墓の前よここは」
「ゴメンなさい・・・死ぬなんて言うからだよ」
「そうね、私が悪かったね。再婚なんてしませんよ、あなた」
「仲良かったんだね、おじいちゃんと」
「そうよ、小さい頃からずっと好きだったからね。もう43年経つけど夫は心の中にずっといるの。今日からは貴史が夫の代わりね。生まれ変わりのように見えるから」
「そう・・・おれも洋子のことは小さい頃から好きだったのかも知れないって思えるんだ。結婚するのかな?」
「そう出来るといいわね。先生になって、お嫁さん貰って、幸せになってよ。そうしたらおばあちゃん安心しておじいちゃんのところに行けるから・・・」
「うん、そうする。おばあちゃん、切ないね。なんで人は死ぬんだろう?」
「難しいことを言うのね。それもあなたの人生のテーマしたら?戦争と人の死、いろんなことが考えられるわね」
「そうだね。壮大なテーマだ。頑張ってみるよ」
貴史のまだあどけなさが残る顔立ちの中に夫のしっかりとした精神が窺える気がしてならなかった。
千鶴子は片山家の墓から少し離れた場所にあった兄の墓に貴史を連れて行った。大山家の先祖代々の墓は片山家に比べると小さかったが、父と母そして兄が眠る大切な場所であった。
お坊さんは頼めなかったので、取り出した経本を見ながら般若心経をゆっくりと千鶴子は読み始めた。
最後に「南無阿弥陀仏」を唱えて、「お疲れさまでした」と貴史に言った。
「ねえ?おばあちゃん、お経って何が書いてあるの?」
「そんな事考えたこともないわ。ありがたいお言葉が書いてあるんじゃないの」
「ふ〜ん、そうなの。経本ってキリスト教の聖書みたいに解りやすく書けばいいのに、なんだか漢字ばかりでよく意味が解らないよね。何が有難いのかよく解らないよ」
「日本人は皆がやっているような習慣を疑いもせずに従うから不思議よね。神社で神にお祈りして、お寺でお経を聞いて、教会で聖書を読む。なんでしょうね、この寛容さと言えば聞こえがいいけど、八方美人的な部分は」
「そういえばそうだね。宗教って生きるための価値観を決めるものだろう?あいまいにしてきた日本人は考え方もあいまいになっているんじゃない?」
「戦争以前の時代は共通の価値観があって多くの国民は天皇制を支持して、崇拝してきた。夫もその一人だったしね。欧米の国と戦うことに異論を挟む人は居たのよ。しかしね、天皇を中心にして国が一つになっている力で勝てると思ったのね。軍人が牛耳っていたから余計にそうなっていった」
「勝てる見込みのない戦争に国民を巻き添えにしたことは罪なことだよ。犯罪といっても過言じゃない」
「貴史、そういい切れるものじゃないよ。考えてごらん。狭い国の産業を欧米諸国と並ばせるためには、たくさんの物資が必要なんだよ。石油、鉄鉱石、綿花だって、小麦だってみんな日本には足らなかったんだよ。アメリカは一番の輸入相手国だったから、圧力が加えられて輸入と引き換えに満州国からの撤退とか中国との和解とかを一方的に突きつけられて我慢の限界に来ていた。夫は良くそのことを話してくれていた」
「今までのようにつつましく暮らして行けば戦争しないで済んだんじゃないの?」
千鶴子は夫から聞いた話しをし始めた。
作品名:「夢の続き」 第一章 修学旅行 作家名:てっしゅう