『消えた砂丘』 2
終戦直後と言えば、この付近にも都会から多数の買出し人や俄か乞食と呼ばれる被災者が流れ込み、畑泥棒等は日常茶飯事だったと聞く。百合子失踪の時も人さらいの仕業だとする者もいたらしいが、当時の荒んだ世相では、どんな事件が起きても不思議ではなかったろう。
しかし、僅か五歳の可愛い少女を猟銃で射殺し海辺の砂中に埋めた犯人とは、一体どんな人間だろうか。
鬼沢は、この憎むべき残忍な犯人像をいくつか思い浮かべてみた。
そして、中年の変質者というイメージが最もシックリするのだった。
だとすれば、或いは犯人は既に死んでいる可能性もある。
いずれにせよ、終戦直後のヤマでは既に時効となっている。
一方、成人男子の白骨死体の身元割り出しは、若干手間が掛かった。
鑑識の結果では、骨の状態から推定して十年以上は経過しているらしい。
しかし、百合子の場合と異なり聞き込みによる情報には、それらしい手掛かりはなかった。
となると、他所の土地の人間ということになるが、先ずは百合子の例にならって手元の資料から調べ始めた。
該当者がいた。
十五年前の記録の中に、捜索願いが出されたにも拘わらず結局未解決の失踪事件として処理された事案があった。
名前は戸橋次郎と言い、某中央紙の地方連絡員として当地に在住していた。
三十六歳にして妻子もなく、趣味は賭博だったらしい。
しかし、死体が白骨化しているため戸橋本人であることを、どうやって確認するかが問題となった。
衣服に残るシミが血痕であることは判ったが、永い年月の間に血液中の赤血球が破壊され、血液型の判定すら不可能だった。
また、ボロ布と化した衣服も遺族がいないため確認する者がおらず、結局白骨だけが決め手となった。
しかし、これだけの手掛かりで戸橋次郎かどうかを判定することはY署の能力を超えており、科捜研(県警の科学捜査研究所)か県内の大学の医学部に依頼する他あるまいと考えられた。
ところが、鑑識班から歯の治療跡が特殊な技術を施しているようなので、案外容易に本人の確認が可能かもしれないと報告して来た。
早速、県内の歯科医だけでなく戸橋の過去の勤務地の所轄署にも調査を依頼した。
一方、身元割り出しと並行して二体の白骨死体の関係について論議された。
殺害された各々の年月と年齢に大きな隔たりがあるにも拘わらず、同じ石地蔵下に埋められたのは、何故か。
二つの死体が互いに関係を持つからであろう。
もし、そうではなく無関係であったらどうか。
最初の死体の加害者が死体の処理に困り、砂の掘りやすさ、場所の意外さによる安全性、更に多少とも良心の呵責に耐えかねての場所選びにより石地蔵下を選んだにしても、第二の無関係な死体の別の加害者が同じ理由で同一の場所に埋めようとした時、既に先客がいたとなると、さぞ驚き慌てただろうと笑い話しになり、この線は薄かろうと除外された。
従って、これら二つの死体の加害者は同一人物との結論に収まった。
鬼沢は今日も現場の浜辺に来ている。
彼は、「現場百遍」の言葉が好きである。
現場を繰り返し注意深く観察することに加えて足まめに聞き込みをすることが、捜査の基本だと信じている。
同時に、彼独特の試行錯誤の推理がドンドン前進し、今日も留まる所を知らない。
憎むべき犯人は幼女を殺し、密かに浜辺の砂中に埋めた。
ところが、四十五年も経った或る日、何かの拍子に死体が、それも白骨化したものが戸橋次郎に発見された。
戸橋は、何らかの方法で犯人を突き止め追い詰めたが、逆に犯人に殺され幼女と同じ場所に埋められた。
この場合、幼女殺害は十五年以上の時間経過により時効が成立しており、法的には犯人も恐れる必要はなかった筈だが、世間に人殺しであることを暴露されるとなれば十分戸橋を殺す動機になり得よう。
ところで、何かの拍子とはどんな拍子だろうか。
つまり、砂中の骨の存在が戸橋に知られる状況とは、どういう場合だろうか。
野犬にでも掘り出されたところを、偶然戸橋が見つけたのだろうか。
犬の嗅覚は人間の数千倍から数百万倍、時には一億倍とも言われる。
従って、四十五年も経った人骨の匂いを嗅ぎつけたとしても、不思議ではあるまい。
さて、犬が砂中の幼女の骨の一部を掘り出し、人前で咥えていたとする。
それを偶然戸橋が見たとしても、どうして戸橋はそれが人骨だと判ったのだろう。
彼が、骨について深い知識を持ち、一目で人骨と判ったということだろうか。
大体、犬が骨を咥えて歩く図など、極く有り触れていて、人目を惹くほどの物ではあるまい。
もっとも、その骨にボロ布でも纏わり付いていたら、話は変わって来ようが。
兎も角、今年が戸橋の失踪後ちょうど十五年目で時効成立も間近く、一刻も早く犯人検挙と行きたいが、今のところ、その目星が全く付いていないので、気が急いてならない。
(註:昨年春の時効改正前を設定とした作品です)
桜田正治には、妹の遺体確認後、失踪時の様子を聞いたが結果は芳しくなかった。
騒ぎのあった日、夜遅くまで村中を皆と一緒に捜し回ったこと位しか憶えていないと言う。
当時既に高学年だったとは言え、所詮小学生に過ぎず詳しい記憶を期待する方が無理ということか。
鬼沢は石地蔵の前にしゃがみ込むと、グローブのような大きな掌を合わせ暫く拝んだ後、よれたコートのポケットから煙草と百円ライターを取り出した。
強い浜風に吹かれ、なかなか火が着かない。
辛うじて、口から大量の煙を吐き出すと石地蔵の顔をジッと見詰めた。
永い年月、塩気混じりの激しい風雨に晒されてかなり傷んでいる。
こんな人気のない、淋しい所に六十年も埋められていた幼女の遺骨を守って呉れたのだと思うと、改めてこの傷んだ石地蔵がいとおしくさえ思えてくるのだった。
鬼沢は何気なく足元の砂を手で掬い取った。
それを指の間から流れ落ちるにまかせた。
掌には小さな砂利だけが残った。
それを見詰めながら、周辺の砂地とは異質のもの感じた。
暫く考えていたが、内心「アッ」と叫んだ。
今度は石地蔵の台座の周囲の砂を繰り返し手で掬っては、小さな砂利を拾い始めた。
十粒ほど拾い集めると、それを丁寧にハンカチに包んでポケットに押し込んだ。
本部に戻ると重要な報告が入っていた。
一つは、男子の白骨が、矢張り戸橋次郎だということが、横浜の歯科医の治療記録から確認できたことだった。
今一つは、桜田百合子が殺害された当時、この界隈には猟銃を撃つ人間はいなかったという報告だった。数人の老女達から得た情報によれば、終戦直後は近隣の村共々働き盛りの男達は未だ兵役から帰っておらず、どこも老人と女子供ばかりだったと言う。
老人の中には猟好きな者もいたろうが、太平洋戦争も末期となると兵器を造る金属が不足して、国民の所有するあらゆる金属を供出するよう政府は強権を発動し、銃剣類は勿論、鍋、釜、更には寺の鐘まで無くなる始末で、家の中には猟銃どころか金目のものは殆ど残っていなかった筈だと言う。
鬼沢はこの報告を受けて、益々自分の推理に自信を深めた。
そして、署に保管されている古い記録を引っ張り出すと、何やら熱心に調べ始めた。
続