THE TOWER
声をかけられて振り向くと、後ろに白いネグリジェを着た少女が立っていた。
「……! 危ないですよ!」
少女はおぼつかない足取りでこちらに歩いてくる。慌てて止めるがもう遅く、彼女は青年の隣に並んだ。
「このくらいは、大丈夫よ」
少女は、平然とした顔で己の腹ほどの高さしかない手すりをつかむ。しかし青年は気が気でなく、ちらちらと何度も彼女がふらつかないか確認した。
「ねえ、今日の空は何色?」
空を見上げて少女は問う。
「澄み切った、綺麗な青ですよ」
同じように空を見て、青年は微笑んだ。
「そう―――」
少女も微笑む。まるで、天使のように。
青年はその笑顔を見て、少し安心した。ともすれば告げてしまいそうになる告白を飲み込んで、また空を見上げる。あの夜が、彼女にも痛みを与えるものでなくて、よかった。
「ありがとう」
少女は微笑んでいた。
天使のように―――いや、違う。あれは本当に、笑っていたのだろうか?
それは、本当は―――泣き顔ではなかったか?
羽根を持たない少女は、青の世界には行けず、ただ白へ堕ちる。
「―――っ」
手を伸ばした。
届かない。
唇が、
何かの言葉を紡いで、
ごめんなさい
――――――――お兄様
「………………ぁ、あ、」
堕天した少女は、地上に赤い花を咲かせた。
青年はそれを見下ろす。
白を。赤を。その悪夢を。
彼は絶叫した。
**
悲鳴を聞いて駆けつけたもう一人の番人は、そこに横たわる悪夢にああ、と絶望の声をあげる。黒髪の青年は、涙に濡れた虚ろな目で彼を見た。
「なんだ、君………しゃべれたのか」
感情を亡くした声に、淡い金髪の番人は後悔のにじむ顔で答えた。
「……でも、口をきいてはいけなかった。あの子にだけは、声をきかせてはならなかったのに……!」
血を吐くように、すまない、すまない、と謝罪する声は黒髪の青年の耳を通り過ぎる。無論――少女にも届かない。その謝罪に少女の名前が含まれていることはわかっていたが、それでも、彼の心には響かなかった。
潤んだ青い瞳で地上を見下ろし、金髪の青年――少女の兄は掠れた声でつぶやく。ちがう、お前を突き放したのは、と。
「愛していないからじゃない、愛していないわけがない」
今まで口をつぐみ続けた男は、胸の内の少女に語りかけた。終わってしまった今となっては、無為な言葉だったが。
「私にとってお前は―――誰よりも大切な妹だったよ」
**
空を見て、黒髪の青年はまた朝日が昇っていることに気づいた。巻き戻したように、あの日と同じ青い空。待っていればまた少女がバルコニーに出てくるような気がして、彼はしばらく開け放した大窓を見つめていた。しかし、いつまでたっても少女は出てこない。それが当たり前だと気づくまでに、また次の朝までかかった。
朦朧とする意識で必死に考える。逃避の妄想と現実の境を、信じたくない事実を呑み込む方法を。そして青年は、また悪夢を見下ろすことを決めた。
力の入らない四肢を叱咤し、手すりにつかまりながら立ち上がる。
そして地上を見下ろすと―――赤い花が、増えていた。
「俺も―――」
しゃがれた声が、孤独な荒野に響く。思わず口をついて出た言葉は、間違いなく彼の本心だった。
「俺も―――そちらに―――連れて行ってください」
手すりを足で蹴り、青年は一瞬だけ空を跳んだ。
そして彼は――――、