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毒虫のさみだれ

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PHASE 1 : NATIONAL LAMPOON'S VACATION


■ □ ■ □ ■

 晩生内五月雨(おそきない・さみだれ)という名前が偽名であることについては、疑いの余地は一切ない。本人が偽名だと認めているからだ。もっとも、これまで彼女に話しかけようなどという無駄な勇気を持った人間が、そう多くいたわけではない──本名まで知っている人間となると、更にその数は限られる。実際五月雨の本名を知っているのは彼女の両親ぐらいのもので、二人とも仕事の都合で海外に赴任しているため、現時点で彼女の本名を知る人間は日本に存在しないということになる。長く世話になっている祖父ですら、五月雨は本名を教えていなかった──両親も何故か祖父母にまで五月雨の本名を教えようとはしなかったので、それに倣ったのだ。
 年の頃は十四、五といった程度か、幼い顔立ちを勝ち気な吊り目で精一杯誤魔化している。鼻筋は整い、ふっくらと適度に肉付いた唇はいつでもしっとりと濡れているようだった──冗談のような美少女で、どこか浮き世離れしたような雰囲気を身に纏っている。艶を帯びた黒髪はいつでもぼさぼさに乱れて、何ヶ月か前に美容室に行ったきりといった有様だった。美容室に行った直後でも似たような髪型をしている。
 体付きは華奢というよりはただ細いだけで、肌色はほとんど病的に白い──病的なのはあくまでも外見だけで、実際は健康面に何らの問題もないのだが。むしろ運動能力的には異常と言っても過言ではない程の記録を残している。肝心の本人が小学校卒業と同時に能動的な不登校生活を送るようになったため、小学生時代の記録しか残ってはいないが。
 中学校の入学式を欠席した五月雨は、祖父の住んでいた下宿屋の一室を借り受けた。家賃や生活費は全て近所に暮らす祖父が支払い、本人は悠々自適な落伍者としての生活を営んでいる。朝五時に眠り、昼の十二時頃に目覚め、夕方は自室に引きこもり、深夜になると町内を徘徊する。近隣でも五月雨の徘徊癖は有名なのだが、不思議と彼女が補導されたことは一度もなかった──巡回する警察官の視界を回避する方法に、不必要なまでに長けているためだ。
 言葉少なだが、決して無愛想なわけではない。語彙の絶対数が不足しているせいでコミュニケーション能力は決して高くないのだが、五月雨は五月雨なりに必死に世間との折り合いをつけて生きようとしていた。隣人に挨拶されれば挨拶を返すし、旅行に出掛ければ土産物を買い込むことは忘れない。辿々しいながらも明瞭な発音で、世間話めいたものを投げかけることすらあった。
 それでも──五月雨は奇行の目立つ少女だったし、形容しがたい近寄りづらさを備えてもいる。
 最大の要因は、その特異な服装にあった。
 五月雨は──何のつもりか、ケロリンの黄色い洗面桶を頭に被り、腰に紐を結び、その先端に熊の人形を結んで引き摺り歩いているのだ。
 この格好に関しては両親を含めた親類縁者、友人知人、隣人から通りすがりの他人にまで止めた方がいいと注意されているのだが、一向に改める気配はない。あらゆることに関して優柔不断で人の意見に流されやすい五月雨の、唯一にして絶対の我が儘だった。
 極端なホラー映画趣味で、部屋の棚という棚には買い漁ったDVDが陳列されているのも、人を遠ざける原因になっている。これに関しては五月雨曰く「今はだいぶ控えめになった」とのことで、誰も注意する人間すらいなくなってしまったのが現状だった。
 夜を歩く怪奇趣味少女──晩生内五月雨は、だから大抵いつでも一人だ。
 当然その晩も一人で街を歩いていた。
 胸元に白抜きで『Disaster』とロゴが入った、ピンク色のキャミワンピを着ている。同じくピンク色のフード付きパーカーを若干着崩した形で羽織り、細すぎる程に細い両足は赤と黒のストライプで飾られたタイツで膝上まで覆っていた。左肩から斜めにかけた赤いハート型のポシェットには大量のキャンディが詰め込まれ、微妙に締まりきらないジッパーの隙間から甘い香りが漂っている。頭に被った洗面桶も、背後に引き摺るぼろぼろの人形も、いつもと変わりなく身に着けていた。桶が落ちないようにゆらゆらと頭を揺らしながら、入り組んだ路地を目聡く見つけ出しては躊躇なく足を踏み入れる。迷路じみた小道を行く足取りは軽やかで、白いスニーカーが羽根のような足音を奏でるたび、背後で布が擦れる無惨な音が微かに混じった。
 十一月も半ばに差し掛かろうかという時期だが、街は寒さを迎え入れる準備を整えてはいなかった。暑くも寒くもない不快な涼気が漂い、肌を撫でては塗り潰すような黒の中へと消えていく。星の瞬きが疎らに散らばる夜空は背の高い建物に削られ、あるいは隣町の歓楽街に灯されたネオンによって掻き乱されていた。似たような家屋ばかり並べた住宅街がひしめき合い、冷たい窓硝子だけが物言わぬ眠りに落ちている──家々はその眠りに抗うように明かりを灯し、不細工な街並みを一層歪めた形にねじ曲げていた。
 路地は細く不規則に入り組み、区画整理の失敗を何よりも雄弁に物語っている。碁盤目状の造りを基礎にしている癖にあらゆる十字路同士が僅かずつすれ違い、噛み合わない歯車のように軋んだ道路を伸ばしていた。五月雨が暮らす下宿屋近辺は再開発の波から逃れたためまだわかりやすいのだが、十分も歩けば街は不毛な迷路の様相を呈し始める。時折姿を現すコンビニはどうやって経営を続けているのかもわからない程閑散としていて、少し目を凝らせば、金髪の青年がいかにも暇そうに店番をしているのが見えた──立地が悪いわけでもなく、小さいながら駐車場も備えた店舗にしてはあまりに客の入りが悪すぎるのだが、その原因までは五月雨の知り及ぶところではない。さして興味を抱いたこともなかった。
 深夜の徘徊に、実のところ意味があるわけではない。人付き合いの苦手な五月雨にとって、安心して歩き回れる時間帯が深夜だったというだけの話だった。足の裏がアスファルトにぺたりと貼りつくような独特の歩調で進み、目的地のない散策を続ける。どことなく不安を掻き立てるような街並みではあったが治安は良く、少女が一人で歩いていても危険な目に遭ったことはない。およそ人を避けるということに関して五月雨は天才的な才能の持ち主で、少しでも嫌な気配を察するとその場を離れてしまうためでもあった。
 知らない道を歩き、知らない場所に辿り着く。
 硝子に見下ろされるような心地で歩き続けていく内、古びた教会へと辿り着いた。特別怪しげな宗教団体が巣喰っているわけでもなく、カトリック教徒によって運営されているごく普通の教会だ──両親の影響で洗礼を受けキリスト教信者である五月雨からすれば慣れ親しんだ場所なのだが、数少ない友人達はこの建物を未だに邪悪な新興宗教の根城だと勘違いしている様子だった。今更信仰を持つことに関して誤解を解くだけの気力もなく、何を言われたところで気にもならない。そもそも日本人の神に対する認識が大きく間違っているのだから、正そうとしたところで議論が平行線になるだけだ。五月雨は無駄な努力は嫌いだったし、自分の我を通して周囲の空気を乱すことも好まない。そんな面倒なことになるぐらいだったら、主義主張など幾らでもねじ曲げてしまった方が遙かに楽だった。
作品名:毒虫のさみだれ 作家名:名寄椋司