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映画に観るディストピア(世界終焉・人類滅亡)

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映画「ゾンビ」
原題:Zombie/Dawn of the Dead
監督:ジョージ・A・ロメロ 
製作総指揮:
製作:クラウディオ・アルジェント、アルフレッド・クオモ、リチャード・P・ルビンスタイン
脚本:ジョージ・A・ロメロ
主演:デビッド・エンゲ、ケン・フォリー、スコット・H・ライニガー、ゲイラン・ロス
共演:ロッド・ストファー、ジョン・パフィシコ、デヴィッド・クロフォード、デヴィッド・アーリー、
原作:ジョージ・A・ロメロ
特殊メイク:トム・サヴィーニ
音楽:ゴブリン  音響効果:ダリオ・アルジェント
米・イタリア 1978年(日本公開1979年3月) 126分

★ストーリー
全米各地で突如死体が蘇り、人間を次々と襲い始めた。殺された者もやがてゾンビとして蘇り、同じ様に人間を襲い、社会は大混乱に陥った。フィラデルフィアのテレビ局に勤めるフラン(ゲイラン・ロス)と恋人のスティーブン(デビッド・エンゲ)は混乱で機能が麻痺した職場を放棄し、ヘリで都市からの脱出を決意する。出発前にスティーブンの友人でSWAT隊員のロジャー(スコット・H・ライニガー)が同僚のピーター(ケン・フォリー)を伴って合流し、彼らの乗ったヘリはあるショッピングモールへと辿り着いた。そのショッピングモールはゾンビの巣窟と化していたが、一行はピーターの提案により事態が収束するまで物資が豊富なモール内に留まる事を決定する・・・。

☆映画総評
このジョージ・A・ロメロ監督の映画『ゾンビ』から、世界中のクリエイター達の脳髄にインパクトを与え過ぎてしまったのか、にわかゾンビ映画が乱立し、とんでも、な、B級ゾンビ映画が量産されました。考えたら、今までのゾンビ=死人が蘇るんだけど、生き返るのとは違って、死んだままただ単に動き出し、ゾンビ同士では共食いはしないのだが、生きている生身の人間は彼らにとってかなりな御馳走らしく、生身の人間を見ると、殆ど肉食獣か獣になって貪り奪い合って綺麗に平らげます。

生きている人間にとって、一番の恐怖は生きながら大型獣だったり、海で言えばサメに食べられるほど恐怖のどん底に突き落とされる経験も無いでしょう。そう言う意味では、未開のジャングルに生息している人食い人種も恐怖の一つですね。結局、圧倒的な力でねじ伏せられ、生きながら自由が効かずに、自分の内臓から食べられるのって、考えるだけで怖く、想像を絶する痛みや恐怖が五感に突き刺さるのでしょう。

そんな、原始的な人間本来が太古の昔、ジャングルや草原、または洞窟で暮らしていた頃、夜な夜な、寝てる間にサーベルタイガーとか、熊みたいな大型獣に捕食された、またはそのシーンをまじかで見てしまった衝撃の体験がDNAの中にインプットされていて、今現在は突然獣たちによって捕食されることは無くなったが、今度は同族同士、人間同士が共食いまではないにしても、殺人を犯す、犯されると言う新たな恐怖が発生してきたんですね。人間は夜の暗闇を火によって克服し、道具によって頑丈な城壁なり建物を作り、農耕を発達させて、その日暮らしから脱却になったんだけど、今度は肥沃な土地を巡っての人間対人間の戦い、戦争が始まり、今度は人間が人間をより効果的に効率よく殺戮する道具を競い合って発明し出したと言う、ホント人間の愚かさが人類の歴史になってしまったことへの神からのピリオドがゾンビを地球にもたらした、と言う感じに捉えるべきなんでしょうか?

今までのホラーなり恐怖映画だったり、文献ではゾンビが主役だったことは無く、悪しき祈祷師だったり、吸血鬼ドラキュラ等が自分の下部として扱っていただけだから、主役な訳は無いし、元々、土葬されて腐れ始めている肉体がメインだから、運動能力はかなり低下しているし、だけども一応、魔術で操られているから、握力とかは尋常じゃない力を発揮し、時には人間の腕や皮膚等を剥ぎ取ったりする行為があるから、ゾンビには捕まらない方が良いな、くらいしか思っていなかったのに、このゾンビ達がジョージ・A・ロメロ監督の新解釈により、それなら物量作戦ならどうだ!悪魔的な魔道の力で一時的に近くの墓の死体が操られるのではなく、原因は不明だが、死んだばっかりで土葬された死体や、その蘇った死体=ゾンビに噛まれた者も数日後にはゾンビになるのでは、人間はゾンビに勝ち目は無い、そんな世界観を天才的な逆転の発想で編み出したんですね。今まで脇役で戦力でも無く、ただ単に死体が動くから怖い程度のゾンビが、その数の理論により、人類が滅ぶまで増え続けると言う、正に八方塞の世界が、本当の世紀末過ぎて、ジョージ・A・ロメロの世界観は凄過ぎて、世界中にゾンビファンが増殖しまくったんですね。ですから、今ではドラキュラよりもゾンビがメジャー状態と言う、ホラー映画の世界は完全な逆転現象になっています。

ジョージ・A・ロメロとしては何故?ゾンビが始まったのかを説明することに何の興味も無かったと思うけど、日本では、勝手にと言うか字幕で遥か遠い星が爆発し、その光線が地球に降り注ぎってな理由でゾンビが次々と蘇ってきたように説明したけど、私も個人的にはそんな説明なんてナンセンスだと思っていました。と言うよりも、勝手にやっていいのかよ!とまで思いましたね。

兎に角、映画『ゾンビ』を1979年に映画館で観た時、本命は映画『マッドマックス』だったのに、完全に主役が逆転し、こんなにワクワクする映画が、それもホラー映画であるのかよ!と、ポップコーン片手に撃て!撃て!ゾンビどもを撃って、頭を破壊しろ~と、思って観ていましたね。子供の頃はホント残酷なんですね。だから、ゾンビどもをハンティングする市民や州兵達のお祭り騒ぎのようなビール片手にゾンビ狩りは、映画『ゾンビ』を観るまで、1979年以前の映画では全く感じなかった自由と言うか、やりたい放題感に小学生の映画小僧感覚が相乗して一気にその魅力に嵌ったんですね。しかも、小学生が大好きなSWAT隊が出たり、M16アサルトライフルをカッコ良く使う小柄なロジャーのプロフェッショナル感が堪らなかったり、ピーターが話す「地獄が一杯になると、死人が地上を歩きまわる」と言うヴードゥ教司祭・祖父の話を言ったり、片足だけの牧師が現われたり、と、ゾンビの世界観がリアルな完成度を持って圧倒します。そして、マスコミ、TV、ラジオ局の崩壊や、時の科学者や著名人達の不毛な討論あり、と、どこまでもその辺はジャーナリスティックです。

人間が元人間でゾンビになった親兄弟や知人でさえも、頭を狙って破壊しなければならないと言う異常な世界と、お祭り騒ぎのようにゾンビ狩りをする人々を観ていると、人間の愚かさと言うか、同じ人間なのに、奴らはベトコンだから、とか、イエローモンキーだから、とか、鬼畜米英だから、と、同じ人間なのに区別すれば感情移入することも無く平気で撃つことが出来る、虐殺することが出来る、と言うメタファーが上手い具合に入っているから、小学生の時に観た時は、ゾンビ狩りの気分で観ていたのが、歳を重ねて観ている内に、自分の中にある残虐性を感じ、自分自身に対してぞっとしたりしました。