狂いたがりのジンクス
その日、高校生、三山翔太の一日は朝から最悪だった。
まず、目覚ましが壊れていて、思いっきり寝坊してしまった。昨日の夜にはしっかり時間を刻んでいたのに、朝になったら深夜二時ぴったりに針が止まっていた。こんな日に限って、両親は早番ですでに家にはいないし、朝ごはんも用意されていない。結局、コップ一杯の水道水を寝起きの体に流し込み、身支度もそこそこに家を飛び出した。
次に、通学路。遅刻ギリギリの時間のためか、学生服をきているやつは見当たらず、道は普段の混雑ぶりなど想像できないほど空いていた。しかし、昨日からの雨のせいで、所々に大きな水たまりができてしまっていて、走っていけば学校に到着するころにはズボンがびしょびしょになってしまうだろう。今でさえ走っても間に合うかどうか微妙なのに、さらに一日中足元の不快感を感じていなければならないのはごめんだ。
結局、遅刻を覚悟の上で、歩いて学校へ向かうことにした。
これで遅刻はしても、濡れ鼠にはならない。そう考えたからこそ、歩いていくことにしたのに、次の瞬間にはこの決断が全く無意味なものになってしまった。
「さ、最悪だ……」
道路を走っていたのは大型トラック。進行方向には大きな水たまり。そして歩道を歩いているのはただ一人。
お約束というかなんというか、思いっきり頭から水をかぶってしまった。こんなこと一生のうちに一度あるかないかだと思うのに。そして、頭から水をかぶったことで、足だけではなく全身が濡れ鼠になってしまった。
これなら走って行ったほうがまだマシだったかもしれない。遅刻確定な上に全身ずぶ濡れ。代えのジャージも被害を被っている。朝だけで人生ワーストスリーに入る運の悪さになってしまった。
それからは、もう悪夢の連続だった。一限目が時間にうるさい先生で、遅刻の罰としてその日の課題は全部自分が当てられたし、四限目の調理実習では、自分が使用していたガスコンロが暴発。幸い誰も怪我はなかったが、作っていた料理は駄目になり、暴発の衝撃で中身がすべてこちらに飛んできた。もちろん避ける暇はなく、まだ湿っぽかった制服の上から最早料理とは呼べない物体を思いっきり被る羽目になった。
さらに弁当を忘れてきており、身支度を整えている間に購買部の食べ物は完売。友人たちからおこぼれを分けてもらい、昼はなんとか凌いだものの、五限目が体育のマラソン。倒れることはなかったが、体力はぎりぎりまで削られた。
そして現在、ようやく一日の終了を告げる鐘の音が聞こえてきた。
「よう、今日はいろいろ大変だったな」
今日一日の疲れに押しつぶされ、机に突っ伏していた翔太に声をかけてきたのは、同じクラスの友人、村瀬だった。翔太はそのままの体勢で返事をする。
「お前は知らないかもしれないけど、朝から最悪だったんだよ。もう何のやる気も起きねーって感じ」
もはや起き上がる気力もなく、帰宅することすら億劫に感じてしまう。しかし、時間は無情にも過ぎていく。部活や委員会に勤しむ生徒らは教室を後にし、すぐに翔太たちの周りは閑散としていった。
翔太もいつまでも突っ伏しているわけにもいかずに、のろのろとした動きで帰宅の準備を始める。本当は今すぐにでも自分の家のベッドに入って休みたいが、今日の調子だと帰り道にも何か待っている気がしてならない。それを考えるとどうしても動きたくなくなってしまう。
「本当に参ってんだな。気持ちはわからなくもないけどな。そんなお前にだ、ちょっと面白い話があるんだけどよ」
そんな翔太を見かねてか、村瀬がある話を持ち出してきた。
「なんだよ、その悪徳商法みたいな誘い文句は。一気に聞きたくなくなったぞ」
翔太はうんざりして頭を横に振る。自分をねぎらってくれるならともかく、そんな怪しい話なんか耳に入れたくない。
そろそろ重い腰も上がるようになってきた。時間も時間だし、いい加減下校しないとうるさい教師に見つかってどやされるかもしれない。村瀬の無駄話に付き合って教師に見つかってしまっては、本日の不幸指数がうなぎ上りに上がってしまう。
鞄を持って立ち上がる翔太に、村瀬は懲りずに話しかけてくる。
「まあまあ、聞くだけ聞いとけって。別に聞いといて損はないんだからな」
まったくしつこい奴だ。放っておいてもよさそうだが、この調子だと帰り道もずっと話し続けるに違いない。これまた不幸なことに、村瀬とは帰る方向が一緒だ。下手したら、流れで家の中にまで入ってくる可能性もある。
さすがにそこまではしないだろうが、万が一ということもありえる。ここは素直に話を聞いてやるべきかもしれない。
「わかったよ。聞いてやるから手短にな」
結局、翔太が折れる形で話を聞くことになった。もしこれでくだらない話だったら、村瀬を一発殴って帰ろう。それぐらいの代償はしはらってもらわなければ、わざわざ聞いてやる義理もない。
「実はな、最近この街によく当たると評判の占い師がな……いてっ!?何すんだよ!!」
やはり足を止めてまで聞く話ではなかったようだ。先ほど誓った通り、一発殴ってこんどこそ帰路につく。
家に着けば何か気晴らしになるものでもあるはずだ。帰り道も油断できないが、ゴールがわかっているため、まだ頑張りようがある。
家に戻ったら間違っても外出なんかしないでおこう。
今日の調子で外になんて出れば、どんな不幸なことが起こるかわからない。君子危うきに近寄らず、なんてことわざがあるが、危険なものを認識できなければ近寄ってしまうかもしれない。
「おい、翔太。人の話は最後まで聞けって」
後ろでは未だ村瀬が騒いでいるが、足を止める気はもうない。村瀬も諦めたのか、翔太を追ってくるようなことはしなかった。
翔太はほとんど生徒がいなくなった廊下を足早に通り過ぎる。外からは、時折部活を行っている元気な掛け声が聞こえてくるが、それはどこか遠い世界から聞こえてくるような気がした。
しんと静まり返った教室。その中で、ひとり取り残された村瀬は、自分の話を聞かなかった翔太に対して恨み言を言うわけでもなく、薄暗くなる教室にたたずんていた。
「……、……」
いや。正確には誰にも聞き取れないくらいの声で、何かを呟いていた。
「これでジンクスは実行した。これでジンクスは実行した。これでジンクスは実行した。これで……」
教室の中には外からの音が一切入ってこない。そんな静かな空間に、村瀬の呟きは吸い込まれていく。
やがて、太陽が山の向こうにとっぷりと暮れたころ、村瀬は何もなかったかのように自分の鞄を持って教室を後にした。
そして、こんどこそ教室には誰もいなくなった。
作品名:狂いたがりのジンクス 作家名:kenshi