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もののけロース
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横濱夕闇タウンガイド -岩亀楼の喜遊-

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 イカデ日ノ本ノ女ノ操ヲ

 異人ノ肌ニ汚スベキ

 ワガ無念ノ歯ガミセシ死骸ヲ

 今宵ノ異人ニ見セ

 カカル卑シキ遊女サヘ

 日ノ本ノ人ノ志ハカクゾト

 知ラシメ給フベシ





 横濱夕闇タウンガイド ――岩亀楼の喜遊――





 一



 平日の夕方でも、南幸橋の上は若者でごった返していた。

 初めて来る横浜の街、そびえ立って見下ろす家電量販店や、いかがわしい看板の掲げられた小汚いビルに威圧感をおぼえながら、きよ子は喧噪の橋上で立ち止まり、さながら人込みに流されまいとでもするようにして、コートの背を欄干に押しつけた。

 寒い。

 きよ子はダッフルコートのフードを首すじに寄せる。それでもブレザーとコートの間にある僅かな隙間に、水のように冷えた十一月の空気が入り込んでくる。

 なんとなく、若者の群れと目が合うことを避けて身を返すと、景色の足もとに、流れのない川がひろがった。横浜の繁華街を両断するように流れる幸川である。およそ美しいとは言い難いその流れの中には、異様に大きな鯉がざばざばと不気味に群れていた。

 肩越しに、あの、と声がした。

 それはあまりにさり気なく、道行く者たちの話声に紛れていたが、二度ほど続いたので、どうやら自分に掛けられた声らしいと理解し、やっときよ子は振り向いた。

「はい」

「あれ?」

軽薄そうな二十歳ごろの若者の、きょとんとした顔があった。きよ子と同じく手ぶらで、安いのか高いのか分からない黒のスーツを着ていた。

「高校生かあ」

「はい――」

きよ子は頷く。これはどういう男だろう。

 知らず知らず怪訝な顔をしていたに違いない。男はきよ子の表情を見て、「あはは」と苦笑いした。

「カバン持ってないから、後ろからじゃ分かんなかった。高校生じゃどこにも紹介できないね。ごめん、ごめん」

何のことか判然としないが、軽い調子で謝りながら、男は去ろうとした。

 きよ子はそれを引きとめた。

「すみません」

「ん」

男は立ち止まって振り返る。

「何?」

「私、人を探してるんですけど」

「人?」

「ジョウギョウジ、アズマって人――」

慣れない人種と話す緊張からか、妙に声が高くなる。慌てて声を落とした。

「ご存じありませんか」

「じょうぎょうじ?」

男は振り向いた姿勢のまま、首を傾げる。

 その肩越しに、違う男の反応するのが見えた。

 向こう側の歩道に座り込んでいた体格のいい男は、厚手の黒いパーカーを着て、フードを目深にかぶっていた。帽子のつばのようになったフードの下、こちらを見る鋭い瞳が垣間見える。

 男は立ち上がり、左右も確認せず、真っ直ぐこちらへ歩いてきた。

 橋を通り過ぎようとしていた車がぶつかりそうになってブレーキを踏み、クラクションを鳴らす。その瞬間、男はそのバンパーを無言で蹴り上げる。

 営業マン風のドライバーと、フードの男。

 一瞬の視線の交差をきよ子は見た。ドライバーはすぐさま下を向く。そこに起こったのは猛烈な威圧と、瞬間的に決定する原始的な上下関係であった。

 こちらへ悠々と歩いてくる男の後ろを、逃げるように車が過ぎてゆく。

 男はきよ子の前で立ちどまって、直立のまま問うてきた。

「アズマさん探してんの?」

親指でフードを持ち上げる。金色の髪を短く刈り込み、いかにも暴力的な目つきをしているが、この男もせいぜい二十歳かそこら、ひょっとしたらそれより下くらいに見えた。

 スーツの若者が声をかける。どうやら顔見知りらしい。

「竹くんの知り合い? アズマって」

「んー」

腹のポケットから携帯電話を取りだしながら、フードの男は言う。

「大下さん、制服のコと喋っててアヤつけられたらヤバいっしょ。俺が通しとくから行っていいよ」

「ああ、うん、悪いね」

大下と呼ばれたスーツの男は、ちらっとこちらを見て、多分大丈夫だから、と苦笑いして去って行った。

 多分とはどういうことだ。不安になりながらフードの男――竹の顔を見上げると、ちょうど目があった。

「今分かる人に電話するから、待っててね」

「あ、はい」

頷く。大きな体と低い声に、自らの体がおびえているのが分かった。

 竹の携帯電話は、最近発売したばかりの機種だった。彼はそれを操作して耳にあて、すぐに出たらしい向こう方に、僅かにへりくだった口調で挨拶する。

「あ、お疲れ様です」

話しながらきよ子の傍ら、鉄の欄干にもたれかかる。

「なんか今、アズマさんに会いたいってコ見つけて――や、偶然す。一応ミンさんに教えといた方がいいかなと思って。はい」

竹は横目できよ子を見る。無表情なので視線の意味は分からない。

「じゃあ橋のとこいるんで」

電話を切り、ポケットにしまって、代わりに煙草を取りだす。

「来るって」

「あ……ありがとうございます」

「アズマさんじゃないよ。俺らあの人と直の繋がり無いから」

竹は煙草に火をつけ、言葉とともに煙を吐く。

 アズマは来ない。では、誰が来るのだろう。さっきミンさんと言っていたが、その人が来るのだろうか。それに、俺らとはどういう意味だろう。なぜ複数形なのだ。

 全体的に言葉の足りない人だ。

 というより、さっきから何か、役目に出会ってしまった義務感で仕方なく手伝っているような雰囲気がある。ひょっとして、きよ子の質問に応えるのは義務のうちに入っておらず、この男にとっては面倒くさいことなのかもしれない。

 気まずさを感じて、きよ子は立ったまま身を縮めた。

 竹は欄干のもとに座り込んで、ぼそっと言った。

「エヴァンゲリオン知ってる?」

「え?」

「エヴァンゲリオン……」

竹は橋の向こう、西口側にあるパチンコ屋の看板を見ていた。そこには新世紀エヴァンゲリオンのキャラクターたちが、でかでかと並んで描かれている。

 きよ子は恐る恐る頷いた。

「はい」

「どれが好き? 初号機?」

「え、えと」

本当はアスカの乗っていた弐号機が好きだ。

「……はい」

「強いよね、エヴァンゲリオン」

「はい――」

きよ子はただ、頷くしかない。

 竹はまた黙ってしまった。

 きよ子は勇気を出して口を開く。

「あの、ミンさん? って、どなたですか?」

「今来るよ」

「……はい」

会話が終ってしまった。

 沈黙が始まろうとした瞬間、きよ子と同じ年頃の少女がひとり、ドン・キホーテの方から歩いてきた。

「ごめーん、竹ちゃんありがと」

「っす」

竹は立ちあがりながら煙草を踏み消し、右手の拳を左手で包んで、あごの高さに持ち上げ一礼する。カンフー映画でよく見るような挨拶だった。

「このコです」

「ん」

少女は体ごと首を傾げ、きよ子の顔を覗き込む。その仕草は着ぐるみのマスコットのように、あざといような可愛らしいような、大げさな動きだった。

 綺麗な瞳であった。