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爪つむ女

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その朝和江は焦っていた。
別に寝坊したわけじゃない。
いつも通りに携帯のアラームで起きて、いつも通りに出勤の準備をしていた――つもりだったのに、ふと時計に目をやると時間が迫っていた。
本当なら爪をつんでから家を出るつもりだったのに、もうそんな余裕はないことを時計の針は冷酷に示していた。
仕方ない。途中でつむか――そう思って、急いでピンクの小振りな爪切りをお気に入りの黒い縦縞のパンツのポケットに滑り込ませた。
もう数日も前から爪をつまなくてはと思いつつ、ついつい忘れてしまうのだ。でもさすがに限界だった。
保育士という仕事柄、無用に爪を伸ばしておくわけにはいかないのだ。
職場でつむことも可能ではあるが、それはあくまで予約が入ってない時間帯があれば…のことで、実際には滅多にそんなことはないし、それどころか休憩さえほとんど取れていないのが実状なのだ。
だから今日は何がなんでも職場に着く迄に爪をつんでおく必要があった。下手して子供の顔に傷でも付けてしまったら大変だ。
電車の乗り換え時の待ち時間にでもつんでしまおうと簡単に考えていたが、意外にその時間は短くて、全部の爪をつみ終わるところまではいかなかった。
えぇい、仕方ないか!――電車内で爪をつむのには流石に少し抵抗があったが、そんなことは言っていられない。俗に言う「背に腹は代えられない」というやつだ。
運良く座れればいいが、と思ったが甘かった。やはりいつものパターンで立っているしかなかった。
車内は結構揺れるので、この状態で爪をつむのはかなりしんどいが仕方ない。
和江は自分を鼓舞して爪をつみ始めた。

最初の内は周囲の人の目が気になって、チラチラと周囲に視線を流したが、自分が思っていたほど他人は人のことを気にはしていないようだ。そう確信した和江は、その後は爪をつむことに集中した。
まさか、すぐ斜め前の座席の男性が、自分をじっと見ていたなんて全く気付いてなかった。
元来一つのことに集中しだすと周りが見えなくなるタイプだった。
電車が何度目かに揺れた時、少し足を開いて踏ん張っていたにも関わらず身体が傾いだ。
その拍子に爪切りの中に半分だけ入っていた爪の欠片が飛び出してしまった。
あっ! ――思わず声を上げそうになったが、なんとか口の中で抑えた。
しばし足元の床に視線を這わせたが、何せ小さな爪の欠片だ。目につくはずもなかった。
何事も諦めが肝心――そう思い直して爪切りを続けた。

爪の先に引っ掛かりがないかを特に入念にチェックして、ようやく納得できる状態になって爪切りを止めた。
さて、爪切りの中身をどうしよう―― 一瞬迷った後、取り合えずこぼさないように、履いているパンツのポケットにしまっておくことにした。

何とか無事に爪切りを終え、ホッと一安心して車窓の景色を楽しむのも束の間、丁度次の駅で斜め向かいの男性が降りたので、すかさずその後釜に座った。
隣の老人は、和江が乗った時から眠っていた。
口をポカンと開け、首を背後に仰け反らせているので、上から見下ろす和江には口中が丸見えだった。
多分入れ歯だろうが、黄ばんで薄汚れたそれは、正直見たくないものだった。
一瞬脳裏に言葉が甦った。
「人の振り見て我が振り直せ」
そうだ。もし車中で眠ることがあってもあの体勢で寝るのだけは止めよう! ――大袈裟でなく、その時の和江はそう決心したのだった。


作品名:爪つむ女 作家名:ゆうか♪