白黒ドリップ
「アジぐらい上げれるだろ!」
とりあえず近づいてみると持っている竿のたわみ方が激しい。なんだこれ。
「こ! これがアジですって?!」
木田が必死の形相でしがみついている竿が暴れる魚によって折れそうにたわんでいる。
「何当てたんだよ!」アタシは木田の背中に周り、抱き抱えるようにその竿をつかんだ。力を入れて引っ張ろうとした時「引いちゃダメ!」永井の声がした。
アタシはとっさに竿を引かずに先を海に向けた。すごい力で引っ張られる。こんな小さな竿じゃ耐えられそうにない。
「糸! 竿を魚に向けて糸を伸ばすの!」
糸? リールか!
「木田! リールのロック外せ!」アタシは持っているのが精一杯だ。
「外したわ!」
木田の声と同時に、リールが音を立てて激しく回り、糸を吐き出し始めた。竿にかかる力がフッと抜けてアタシの腕の中で木田がバランスを崩す。
「バカ! ちゃんと立ってろ!」
「分かってるわよ!」木田はもぞもぞと動いて立て直した。
力に余裕が出来たので、永井の顔を見てみるとこめかみに手を当てて、何かを思い出そうと目を閉じている。そうだ、確かオセロの時もこんな風に考え込んでいた。
その目が見開かれた。
「糸がゆるんだら巻いて! 引っ張られたら糸を出して! 繰り返して魚が疲れるのを待つの!」
「出来るか木田!」
「バカにしないでよ!」
アタシが竿を支える。木田がリールを巻く。竿が引っ張られたら、木田がリールから手を離して糸を出した。
緊張で竿をつかむ手に汗がにじむ。手首をひねって竿に汗をこすりつけて滑り止めにした。木田の背中から呼吸の動きが伝わってくる。それに合わせてアタシは竿を下ろし、また立てた。
魚は穏やかな波の間を何度も何度も暴れまわったが、竿を操るアタシと木田によって、その度に押さえられていく。
風が強く吹いていた。目に入った潮が少し染みたけど、なんてことはなかった。とても不思議な気分だった。
アタシ一人なら最初の時点で竿を折られていただろう。木田がいなければ次の瞬間に糸を切られていただろう。永井がいなければ、戦うことすら出来なかっただろう。
一人じゃない。
ずっと一人で生きていけると思っていた。オヤジがだらしないから食堂を仕方なしに手伝っていた。アタシは空手もあるし、一人でやっていけるんだ。一人で戦っていけるんだ。そう思っていた。
でも、こうして三人でやってみると分かる。
これに比べれば一人で突っ張ることの弱さはどうだ。戦うことすら出来ずに終わるなんて何も出来ないのと一緒だ。
魚の力が弱ってきた。随分長い間、戦っている気がする。木田の背中越しに伝わってくる呼吸も荒い。
「そろそろいいと思うけど、その竿で大丈夫?」
すぐそばまで来ていた永井が細い竿を心配した。確かにこの魚を釣り上げるにはきついだろう。
でも、大丈夫。
「木田、リール巻け!」
「どうするの?」疑問を口にしながら木田がリールを巻いて、緩んでいた糸を引き締めた。
アタシはそれに答えず、片手で永井の肩に手を回して「え?」驚く永井を抱き寄せた。
「永井、この竿頼む」アタシは永井に竿を握らせてから離れた。
「ええ!」驚きながらも永井は竿をしっかり掴んでいる。
「二人とも、あの魚を岸に近づけてくれ」
アタシは靴と靴下をポンポンと脱いだ。防波堤から身を乗り出して下を確認する。よし、邪魔なものはない。魚は、もうちょっとか。
「ふたりとも頑張れ!」ん? あの魚は。
「ちょっと、まさかアナタ!」
「永井さん!」
悲鳴をあげる二人に「おっけー」と親指を立てた。魚が射程距離に入った。
アタシは立ち上がって呼吸を整えながら意識をへその下に集中させた。体の中心に力を感じる。その力を意識して留めながら、アタシは永井に声をかけた。
「あとで親御さんに電話しなよ。今夜は煮付けだって」
きつそうに竿を支えていた永井の顔が、一瞬で笑顔に変わる。ホント、いい顔。
アタシは地面を軽く蹴って、防波堤の先へと身を投げ出した。いっぱいに広がる青い空。そこから一気に急降下して、糸にからまりながらもがいている平べったい魚に私は照準を合わせた。
「セイヤァァ!」
* * *