傷
「私たち幸せね」
「幸せかな」
「幸せよ。勉強が出来るんですもの」
青田は今の自分が幸せとは考えてもいなかった。
海老原は自分と同じ境遇でありながら、幸せを感じられるのはどうしてなのかと考えた。
青田の父親は無名の画家であった。生活を支えていたのは母親であった。母の苦労は嫌と言うほど見てきたが、父の苦労した姿は青田の記憶には無かった。
腕のいいペンキ職人の父を狂わしたのは、たった一度の日展の入選であった。父は自分の絵の才能を信じ込み、絵を描くことに没頭した。絵はいつになっても売れなかったのだ。
母はそんな父を信じていたのか、すでに諦めていたのか苦労をひとりで背負っていた。
母は食事の時間も惜しんで、ミシンを踏み続けた。
父の部屋は絵の具の臭い、母の仕事場は出来上がったスリップやパンティが散らかっていた。