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サルバドール
サルバドール
novelistID. 32508
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塗り替えられた記憶

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漆黒の葬列が大名行列さながらにホールの真中を練り歩いている。人間の体臭や香水の香りを撒き散らしながら、それは祭壇に向かっている。前方から、布切れを擦り合せたような音が聞こえてくる。女の啜り泣く声だ。女の泣き声は練り歩く人々の列に悲壮感を与える。人は大切な誰かが死んでしまった時、遣り切れない悲しさから涙を流す。それは、赤い血の流れた人間なら誰でも見せる正常な行為だ。しかし、わたしからは一滴の涙も流れていない。恋人の死が悲しくないというわけではなく、実感が湧かないだけなのだ。葬列は、祭壇に吸い込まれるようにゆっくりと進んでいく。祭壇の手前には、焼香台と遺体の収められた棺があって、それらを取り囲むように坊主と遺族が立っている。参列者は、坊主と遺族に一礼してから、仏式の作法通りに焼香を行い、列から外れていく。遺影に深々と一礼してから出て行く者もあれば、棺の中の遺体に何やら話しかけて出ていく者もある。一人、また一人と列から外れていき、やがて、わたしたちに順番が回ってきた。わたしは由里子を見て、先に行くように勧めたが、彼女は首を振った。わたしは、前の人間がそうやったように、遺族と坊主に一礼すると、前に進み出た。祭壇の上にはブーゲンビリアに囲まれたアキラの遺影と仮位牌が置かれていて、それらを見上げる位置にわたしが立っている。額に収められた生前のアキラは、白い歯を見せて笑いながら、わたしを見下ろしている。どうして、あなたは死んでしまったの? 心の中でそう問いかけながら、わたしは遺影と仮位牌に深々と頭を下げ、それから焼香台の前に立った。台の上には香炉があり、その中で抹香が焚かれている。わたしは、右手の親指と中指と人差し指で抹香を掴み、深く頭を垂れた状態でそれを目の高さに上げ、静かに香炉の中に落とした。香炉の中には灰色の燃え滓が溜まっていて、中心がオレンジに染まっている。そこから白い煙がゆらゆらと立ち昇って天井まで伸びている。焼香を終え、列から外れようとすると、由里子が近寄ってきて、わたしに一本の花を差し出した。祭壇の上に飾られているのと同じ、ブーゲンビリアの花だった。アキラの好きだった花なの、棺の中に入れてあげて。わたしは、由里子から花を受け取ると、棺の前まで進み、穿たれた観音開きの小窓をそっと開いた。ブーゲンビリアの花が手から落ちたのと、女の喧しい嗤い声が頭の中で響いたのは同時だった。わたしは、棺に収められた“別の人間”を見て、背中に戦慄が走るのを感じた。棺の中に居たのはアキラではなかった。死に装束を着せられ、鼻や耳に綿を詰め込まれて横たわっていたのは、ほかならぬ“わたし”だった。わたしは、由里子の方にゆっくりと向き直った。由里子は口元の端を歪めて不気味に笑っていた。頭の中で彼女の声が鳴り響く。

(そうよ。思い過ごしよ。アキラじゃない。死んだのは……)

由里子の瞳の中に街の風景が映し出される。雨に彩られた街が俯瞰図として浮かび上がっている。その中で小さな赤い点と白い点が移動している。それらは次第にクローズアップされていき、その輪郭を露わにする。赤い点は赤い傘を差したわたしで、白い点はレインコートを着た女だ。それらが画面一杯に映り込んだ瞬間、目の前が真っ暗になった。闇が溶けるように晴れていき、周りの景色が形と色を為して眼前に浮かび上がる。街だ。雨に煙る街だ。しかし、今度は俯瞰図ではない。建物も、家の塀も、車も、すべてが立体的だ。降り注ぐ雨までもが長細い針のように見える。わたしは銀色の雨が降りしきる中を、赤い傘を差して歩いている。その背後から、雨を弾く音が聞こえてくる。誰かが追いかけてきている。振り返る間もなく、わたしはその誰かに覆いかぶさられた。その瞬間、激痛が背中に走った。わたしは傘を持ったまま、濡れたアスファルトの上に倒れた。背中にナイフが生えていて、穿たれた穴から温かい液体が溢れ出している。わたしは、最後の力を振り絞って、後ろを振り返った。レインコートを着た女がこちらを見下ろしている。女は、わたしの背中からナイフを引き抜くと、コートのフードを捲った。恐ろしく長い髪がその中から零れ落ちて顔を覆い隠した。女はいつもやっているみたいに髪を掻き上げた。重く垂れ下がった髪から小さな顔が現れた。由里子だった。由里子は口元の端を歪めて嗤うと、ゆっくりと口を動かした。それに合わせるかのように頭の中で声が響く。

(あなた……)

目の前が真っ暗になり、わたしは再び、現実に引き戻された。気がつくと、わたしは棺の中に寝かされていた。身体は死に装束に覆われて、鼻や耳には詰め物をされている。顔の真上には小窓があって、喪服を着た男女がこちらを見下ろしている。男の方はアキラで、女の方は由里子だ。アキラは沈鬱な表情を浮かべていて、由里子はその瞳に涙を湛えている。真上から小さな手が降りてきて、顔の傍にピンク色の小さな花が置かれた。由里子の顔が小窓一杯に映り込む。由里子は、流れ落ちる涙を指で拭い、口元を歪めた。ごめんね、小枝子。わたし、やっぱり、あなたを許せない。

(完)