終わらない僕ら
【3】 AKARI
高校生活は退屈なものになる予感がした。
家から程よい距離であった事と、制服のデザインが可愛いという単純な理由で選んだ高校だった。
中学時代に仲の良かった友人もここにはいない。人付き合いの苦手な私:宮野朱里は、学校にもクラスにも、馴染める自信がなかった。
それなのに、入試の結果により、私はクラスの学級委員に任命されてしまった。委員長は御堂要という人で、私は副委員長。御堂君は長身でしなやかな体躯をしていた。文武両道の上、外見も申し分ない。案の定、たちまち彼はクラスのみならず、学校中の有名人になった。
正直私は、あまり好きなタイプではなかった。誰にでも優しく穏やかだけれど、見事なまでにソツがなさ過ぎる。誰にも心を開かず、誰も信用していないようで、私は彼に対し、どこか能面さを感じていた。
「宮野、悪いけど、このプリントみんなに配っておいてもらえる? ユキ・・・あ、隣のクラスの奴に教科書届けなきゃならないんだ」
そんな彼と学級委員の活動を通して会話が増えるたびに、私はあることに気が付いた。飄々と、誰とでも一定の距離を保ち続ける彼を、唯一、一喜一憂させる相手がいることに。
それは、音楽室での授業の時だ。
窓側に座っていた御堂君の視線は、開け放たれた窓から、グラウンドを見下ろしていた。
同じく窓側の、彼の後ろの席に座っていた私も、何気なくその視線を辿る。すると、彼の視線は、グラウンドで体育の授業をしている、ある人物に向けられていた。その相手は、彼の口から度々その名前を耳にしたことのある、隣のクラスの真中雪弥。よく御堂君と一緒にいる所を見かけていたから顔と名前は知っている。
真中君はクラスメイトの男子数人と、地べたに胡座をかいて談笑していた。どうやら、顧問教師の到着が遅れているようだ。
屈託なく笑う少年だった。かと思えば、隣にいた男子に頭を小突かれ、口を尖らせて怒ったりもしてもいる。小柄で、華奢で、あどけない顔立ち。私服で街を歩いていたら、中学生に間違わてしまうのではないかと思うほどだ。彼らの笑い声は、3階にある音楽室にまで届き・・・。
ふいに御堂君が身近な窓を「ピシャリ」と閉め、グラウンドから視線を外した。表情は分からないけれど、彼の背中はどこか悲しげで、少し苛立っているようにも見えた。
窓によって遮断された空間が、そのまま彼の閉ざされた心のようで―――。
隙のない彼に垣間見た、とても人間らしい素直な感情。
私の中で、御堂要という存在がみるみる大きくなっていくのを感じた。彼のことがもっと知りたい。周囲に見せる意図的に形成されたものではなく、彼がひた隠す、もっと深く、脆い本音の部分を。
入学時の予感は見事に外れた。
私の高校生活は、彼に出逢ったことで、退屈などではなくなっていた。
1年間、私は彼を想い続けた。そして確信する。御堂要は、友人である真中雪弥が好きなのだと。
そのことに気が付いている者は、おそらく私以外誰もいないだろう。御堂君は完璧なまでに真中君の友人に徹していたし、彼女はいないまでも、女子生徒とも良く会話をし、他の男子生徒とも分け隔てなく交流があったからだ。
彼が荒々しい感情を覗かせたのは、あの音楽室でのたった一度きり。しかも、それだって他のクラスメイトは気にも留めないような小さな反抗だった。
2年生になり、私は御堂君と別のクラスになった。そして御堂君は、真中君と同じクラスになった。
廊下ですれ違っても、もう言葉を交わすことはない。もはや彼は、横を歩く真中君しか見ていない。否、見えていない。
けれど真中君本人は、きっとそんなひたむきな想いには気付いていないだろう。もし気付いていたならば、あんな無邪気な笑顔を彼に向けられるはずがない。
私は苛立ちを覚えた。真中雪弥の純粋さ、無邪気さに。
御堂君の一番近くにいるのに、彼の心を知ろうともしない。彼は常に、あなたのことだけを想い続けているというのに。
おそらく、御堂君はこの先も真中君に想いを伝えることはないのだろう。そして、当然のように真中君の恋愛相談を受け、恋を後押しするのだ。深く傷付く心と悲しみを押し殺して。
その時、自分でも驚くほどの、残酷な考えが脳裏をよぎった。
彼ラノ均衡ヲ、崩シテシマエ―――。
ほんの些細なことでいい。彼らの日常に、ほんの少しのスパイス。それだけで・・・。
真中君に気付かせたい。真中君を困らせたい。真中君から御堂君を奪いたい・・・。
私は御堂君に告白することを決めた。
断られることは分かっている。けれど、私なら・・・彼を救い出せるかもしれない。
ううん、違う。私も同じ。好きな人の傍に、ただ寄り添っていたいだけなのだ。
そして私は、御堂君に想いを伝え、彼の傍に寄り添う権利を得た。
彼はありのままを私に打ち明けてくれた。彼の素顔は、普段の彼の何倍も何十倍も人間臭く繊細で、私の想いは加速した。勇気を振り絞った自分自身に、拍手を送りたい気分だった。
これできっと、真中君にも何らかの変化が表れるだろう。これは一種の賭けでもある。彼の言動が、今後を大きく左右する。
友人の交際に、心からの祝福を送るのか、それとも、近過ぎて見落としていた、大切な『何か』が芽吹くのか。
前者であればいいと思う。御堂君は傷付いてしまうけれど、時間をかけてゆっくりと、彼の心が癒えるのを待てばいい。
でも、後者であれば・・・私は自分の覚悟を後悔するのだろうな・・・。
「宮野さん!」
放課後、職員室での用を済ませ、2階への階段を上りきった所で、背後から声を掛けられた。振り返ると、階段の踊り場に、彼が立っていた。真中雪弥だ。
私の心臓が大きく跳ねた。緊張が走る。何を言われる? どんな言葉を彼は私にぶつけてくる?
思わず身構える。鼓動が早い。息苦しい。けれど悟られてはいけない。堂々としていればいい。私は御堂君の彼女なのだ。
私は通行者の邪魔にならないよう、階段脇の廊下の隅で彼を待った。
真中君が私を前にして立ち止まる。身長は161センチの私より、ほんの少し高いくらいだろうか。同世代の男子の中では平均よりもやや低いくらいだと思う。
平静を装い、彼の顔を見た。彼はどうやら、とても緊張しているようだった。笑顔を作ろうとしているけれど、顔の筋肉はそれを拒んでいるような。真中君と言葉を交わすのはこれが初めてだから、単に人見知りなだけかもしれない。
「あの・・・オレ、1組の真中雪弥。知らないかもだけど、要の友達なんだ」
うん、知っているわ。
「要と付き合ってるんだよね? えっと・・・要は時々意地悪だし、イタズラするし、口も悪かったりするけど・・・」
彼は一生懸命声を絞り出しているようだった。みるみる顔がうつむいて、伏し目がちになる。ずいぶんと睫毛が長い。
「だけど、本当はすごくすっごく優しくていい奴だから、きっと宮野さんのこと大事にしてくれると思う。だから・・・要のことよろしくねっ!!」
最初の作り笑顔は25点。でも、最後に見せた笑顔は・・・・とても綺麗で、つい見惚れてしまった。