終わらない僕ら
【2】 KANAME
昼休みに、「彼女ができた」と、そう雪弥に告げた。
雪弥は小学校高学年以来の友人だ。彼がどう思っているかは分からないが、俺:御堂要の中では、一番仲の良い、大事な親友だ。
けどそんな雪弥に、俺はずっと嘘をついていた。
親友のフリをしていたのだ。誰よりも良き理解者・良き相談相手でいるために。
俺はただ、雪弥の傍にいたかったのだ。誰よりも傍にいて、彼を独占したかった。
雪弥が、好きだったから―――。
もちろん、こんな感情、許されるわけがないことは分かっている。俺の本心を知ってしまったら、雪弥は傷付くだろうし、俺を軽蔑するだろう。
だから、この想いは誰にも打ち明けず、封印すると決めていた。
雪弥と仲良くなった小5から中3までの5年間、俺たちはずっと同じクラスだった。けれど、高一の去年、初めてクラスが別れ、俺はこれまでに感じたことのない、激しい焦燥感を覚えた。中学までと違い、高校は新たな出逢いが多い。別のクラスにいる雪弥が、どんな交友関係を築き、俺の知らない所で、どんな会話をしているのか、気が気で仕方がなかった。
もし好きな子が出来たら・・・?
想像しただけで胸の鼓動が潰れそうなくらい乱れた。と同時に、俺は気付いた。気付かされた。このままではいけない。
雪弥に好きな子が出来たら応援してやりたいし、恋人が出来たなら、心から祝福してやりたい。でも、今のままの自分では到底無理だ。嘘で固められた笑顔と言葉を並べ、自分の感情を誤魔化すので精一杯になる。
俺はそんなに器用じゃない。この想いを抱き続けたままで、雪弥の友人を続けていくことなんて、できるわけがない、と。
これまで築き上げてきた雪弥との関係が壊れるのが、何より怖い。つまり俺は、この想いを胸のうちにとどめ、友人として傍にいることを選んだのだ。
それならば、断ち切らなければならない。すぐには無理でも、どんなに時間がかかっても、ケジメをつけて、この感情を捨てなければ・・・。
そんな決意を抱いたまま、けれど結局なんら行動に移せないまま月日は経ち、俺は高校2年生になった。
雪弥とも再び同じクラスになり、2ヶ月が経ったある日の放課後、去年同じクラスで同じ学級委員だった宮野朱里から告白を受けた。いつものように、俺は申し訳なさそうに顔を曇らせ、適当な理由をつけやんわりと告白を断る。
宮野の表情は穏やかだった。まるでその答えをあらかじめ予測していたかのように。
まっすぐに俺の目を見つめ、次に彼女が口にした言葉に、俺は驚愕した。
「真中君が好きなのは知ってる。それでも構わないから、私と付き合ってほしいの」
「・・・・・・・・」
羞恥心が全身を駆け上がった。見透かされている。彼女は俺の歪んだ本心を知っている―――!
頭の中が真っ白になった。声の出し方すら忘れてしまったかのように、喉の奥がヒクついて言葉にならない。いや、もはや返す言葉なんてなかった。
誰も知らないはずだった。誰一人打ち明けていないのだから。でも彼女は気付いている。もしかしたら、彼女以外にも・・・雪弥本人にも、この醜い感情がバレてしまっているのかもしれない。そう考えたら、動揺と恥ずかしさで上昇していた体温が、今度はみるみる下がっていくような感覚に襲われた。全てが崩壊していく絶望感・・・。
気が付くと、頬を涙が伝っていた。微かに感じた頬の違和感で、自分が泣いていることに気が付いた。
唇が震える。肩も手足も、震えている。立っているのがやっとだった。忘れてしまった声の代わりに、涙が後から後から溢れて止まらない。
宮野は心配そうに俺を見ていた。小さな口元は、何かに耐えるように、キュッと結ばれている。ゆっくりと彼女が俺に近付いて来た。夕暮れの空を背に、ロングの髪を静かに揺らして。
宮野の白く細い指が、俺の頬に優しく触れ、涙を拭った。
「大丈夫。彼は気付いてない・・・」
どうして彼女は、こうも的確に、俺の心理を読んでしまうのだろう? 俺がもっとも不安に感じていたことを、その優しい声音で打ち消してくれる。
人目につかない、校舎裏の一角。空気がひんやりと冷たくなってきた。もうじきこの鮮やかな橙色の空は、深い深い藍色に染まり、夜を連れてくる。
とても静かだった。生徒達の声が遠くに聞こえるが、この裏手に俺たち以外の気配はなくて、風が草木を揺らす音と、俺が情けなく鼻をすする音だけが響く。
俺は宮野の体をそっと抱き寄せた。彼女の肩に顔をうずめると、ふわりと甘い香りがした。
何故だか俺はホッとしていた。さっきまで、あんなに取り乱していたというのに、今は一転して、とても穏やかな心境だった。
誰にも打ち明けられなかった秘密を、彼女は知ってくれている。いつもどこかで緊張し、ガードしていた心の枷が外れたようで、気分がすっと軽くなった。
「・・・ごめん・・・・・・・・・ありがと」
掠れた声で呟いた。宮野が「ううん」と小さく首を横に振る。俺はぽつりぽつりと、打ち明け始めた。雪弥を6年以上想い続けていること、そして、この想いを断ち切ろうともがいていることを―――。
彼女は俺に抱きすくめられたままで、じっと俺の話に耳を傾けてくれた。時折、小さな子供をあやすように、俺の背中をさすりながら。
「御堂君がこんなに一途な純情少年だなんて、きっと私以外誰も知らないね」
ひとしきり話し終え、ばつが悪そうに宮野の体から離れようとしたら、彼女がそう言って小さく笑った。
「ははは、確かに。カッコ悪いよな」
俺はワイシャツの袖でさっと涙を拭いながら、宮野の体から離れた。途端にさっきまで彼女に触れていた部分から温もりが薄れ、物悲しい気分になる。
人前で泣いたのは、ガキの頃以来初めてかもしれない。こんな風に本音を吐露したことも、たぶん初めてだ。
「きっと私は、真中君に恋をしている部分も含めて、あなたが好きなんだと思う」
彼女の声はどこまでも穏やかで、心地良い。そして、彼女の包み込むような優しさに、胸が熱くなる。
「傍にいさせて。あなたが私を見てくれるように、私頑張るから・・・」
直感的に、宮野の本音はそこにはないのではないかと思った。彼女はきっと、自分の感情を身勝手に押し付けたりはしない。そして、俺が突き放さない限り、自分から俺を見限り、見捨てることもないだろう。彼女はただ、俺の秘密を共有することで、俺の傷がこれ以上化膿するのを防ぎたいのではないかと思う。さすがにそれは都合が良すぎる考えだろうか・・・。
甘えてしまいたい。けれど、そんな資格、俺にはないとも思う。傍にいたら、きっと俺は宮野を傷付ける。雪弥を想う気持ちが消えたわけじゃないし、彼女に対する感情は、『恋』ではないのだから・・・。
けれど、この1時間にも満たないわずかな時間は、俺にとっては何年分にも相当する特別なもので、宮野の存在が大きな割合を占めていったことは確かだった。
「・・・俺の中で、雪弥が本当の友人になったら・・・俺からちゃんと宮野に告白する。それまで、傍で・・・見届けて欲しい・・・」
俺がこの想いを断ち切るのを、一番近くで―――。