恋冷ましの花
しかし、優也にとって、不思議なことだが、大きな怒りにもならなかった。もう夏帆のことはどうでもよい。
ただ一つだけ思う。
邪魔に思われて、作蔵のように鳥兜の毒を盛られ、殺されなくて良かった、と。
「夏帆を見るのも、これが最後になるかもなあ」
優也はそう呟き、夏帆という女との十年の縁を思い出す。そして、他の男とじゃれ合って歩く夏帆をもう一度遠くから眺めてみる。
その時だった。
優也の背中が……、そう、背筋がゾオーと凍り付いた。
優也は目にしたのだ、そこに。
それは、幸せそうに、ルンルンと歩く夏帆の後ろを……。
全身水に濡れた夕月が、離れまいと一所懸命に、後を着いて行くのを。
そう言えば、あの時、優也は怨念の滝の底に眠る夕月に話しかけてしまった。
「夕月さん、ずっと寂しかったんだね。だけど、もう辛抱することはないよ。現世に戻ってきて、好きなように生き直してみたら、いいんじゃないのかなあ」と。
今、滝壺の水底から這い上がってきた夕月が……。
夏帆の後を、びしょ濡れの裾を引きずりながら、羨ましそうにトボトボと着いて歩いている。
きっと、現世に蘇った夕月は……、わがままなお琴のように。
そして、男を乗り換えた夏帆のように。
自由奔放に、生き直したいと思っているのだろう。
そんな時に、優也は夕月からの湿った声を耳にする。
「ねえ、夏帆さん……、もうそろそろ交代しましょうよ」
そして、夕月が夏帆に着いて通り去った跡には、過去を引きずったような……。
じっとりとした水の跡が残されていたのだった。
おわり