絵画レビュー
ラファエロ「大天使ミカエルと竜」
http://blog-imgs-44-origin.fc2.com/a/l/b/albatros2/20111017180229797.jpg
視覚イメージは即座に意味に変換される。絵画は基本的にメトニミー的な隣接関係から構成されているが、像をはっきり描くことでメタファー的な意味の垂直関係を生み出すことができる。このメタファー的な意味の垂直関係がメトニミー的に連結されることで、新たな意味を作り出していく。ミカエルは美しく強い「善」を体現する存在であり、龍は醜く「悪」を体現する存在である。そして、善であるミカエルが悪である龍を踏みにじっていることにより、善による悪の討伐、善の悪に対する勝利が意味されているのである。
ところが、現代に生きる人間にとって、この図は単純に「善が悪に勝つ」で終わらされるものではない。現代の人間は、自らの中に宿る悪に気づいていて、善をなすために形式的に悪をなす必要があったり、悪をなすために善を装ってしまう心の弱さに気づいていたりする。つまり、龍の側、すなわち悪の側にも、現代の人間は少なからず感情移入してしまうため、この図に素直に共感することができない。また、現代において、不当な権力が正義の衣装をまとって暴力を行使してきた歴史を踏まえたうえで、ミカエルは表面的な善であって、龍こそがその偽善によって虐げられてきた弱い個人なのだ、という読みにも導かれる。
つまり、この図は、善と悪との二項対立、さらには善が悪に勝つという階層的二項対立を如実に示しているが、それは現代においてはすぐさま脱構築されるであろう、と私は思うのだ。善の中に悪が入り込み、悪の中に善が入り込む現代人と現代に至る歴史的状況を踏まえた上では、今やこの図は脱構築を余儀なくされている。