絵画レビュー
青木繁「海の幸」
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この葬列のような行進は一体どこへ向かっているのだろうか。漁の喜びなどみじんも感じさせない。ここにあるのは、人間のあからさまな物質性である。つまり、青木がこの作品でなしていることは、人間というものを、一度物質の猥雑さに還元した上で、更にその猥雑な物質がこれほどまでに技術的なことをしているのだ、という一種の驚嘆を発信することであろう。
物質は生きてもいるし、死んでもいる。その意味で、この絵画において、人間たちと魚たちは等価である。意味をもたない、目的をもたない、ただ儀式としてなされる葬送の中に、生きても死んでもいない物質たちが直立し、静止し、そこで新たな意味や目的を問い直しているのである。青木は漁を一つの無目的な葬送に解体することで、逆に、ではこれに何の意味があるのか、と我々に問いかけているのである。
さて、人物たちが一人一人肌の色が違うことに何やら意味がありそうだ。それは作品の単調さを回避するというよりは、人間が物質へと還元されたときの、その物質としての振る舞い、その物質性を強調するためになされたのであろう。同じ地域の人間は大体同じ肌の色をしている。だが、同じ地域の物質はとりどりの色をしている。この多色性が物質性の兆票として使用されているのだ。人間が物質化したとき、それでも人間同士の差異を絵画で描くとしたら、そこに多色性を利用するのが巧妙な手段なのである。