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桜の頃

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その人はまた笑みを見せて話かけてきた。
「ちょっと日暮れが早かったな。慌てちゃったよ。でも言ったとおりでしょ。うん。」
その人は、手すりの端に乗り出した。
「いい空だ、きれいな夕日。」
「空?夕日?」
私も空を見上げた。その人は、場所を変え反対の方角を見渡した。
「・・こっちじゃないの。まあいいけど、どっちでも。あっこれ。」
私は拾った《ネズミ?》をその人に見せた。
「わっ、良かった。やっぱりここで失くしたんだ。拾ってくれたの。ありがとう。やあー良かった。」
ひとりで喜んでいるその人を唖然と見てしまった。
「大切なもののようですね。良かったです。」
「うん。僕にとってはね、たぶん。」
私はそれをその人の掌に手渡しながら、聞いた。
「変わったデザインですね。ネズ・・」
最後まで言わないうちに答えは返ってきた。
「モグラ!なかなかないでしょ。だから作った。」
「モグラですか?」
私は驚きと苦笑いの顔をしているに違いない。
「見えないかな。」
その人は、そのストラップを何かの鍵についた針金に通しながら微笑んでいた。
ふたりして言葉のないままの時間が過ぎた。
わずかな無言の時間をその人の声が動かした。
「6時38分。夕日日没。間に合いました。で、僕は嘘つきでなくなった。」
その人は夕暮れの暗い中でも眩しいほどに爽やかに笑った。
「茂倉圭介(しげくら けいすけ)君は?」
「根岸和実(ねぎし かずみ)」
これがその人との出会い。
そして、私の恋のはじまり。     

作品名:桜の頃 作家名:甜茶