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かがり水に映る月

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03.おかえりを言ってくれるあなたが、誰よりも好きだった(1/4)



夜が明けていく時間は、こんなにもゆっくりと流れていただろうか。
家への岐路に着く途中、何気もなしに公園に立ち寄り、ブランコに座って英人は明けの空を見ていた。
闇が霧散するように薄れ、厚みのない冬の雲は空にコントラストを付加し彩って、間から夜とは違う色がのぞく。
キイ、キイときしむブランコの鎖。
新聞配達のバイクの音が、遠くに、そして近くに聞こえる。高くでは鳥が鳴いている。なんとなく、自分がひどくちっぽけな存在に思えた。
自分は地球規模でいえば、細胞にも満たない、いてもいなくても変わりない存在なのかもしれない。
いや、自分だけではない。
生き物なんて、人間なんて、きっとそんなものなのだ。それでも必要なファクターであり、均衡は保たれている。
毎日変わらず夜が明けるように、日々誰かがこの世を去って、その分あいた空間に新たな命が滑り込む。
「……」
キイ、キイ。
音は規則的に途切れない。英人のつぐまれた口の代わりに、その無常さを儚んでいるように。
――以前読んだ本に、書いてあった。それは、山手線のようなものなのだと。誰かが降りるからその分誰かが乗れる。
誰かが死ぬからこそ、誰かが生まれてくることができる。生き死にが世にないとすれば、山手線は電車こそ循環するが肝心の乗車客は循環しない。それは、電車として機能していない。
真が死に――真が降り――代わるように、月が現れた――月が乗った――。
うつむく英人の瞳には映らないが、空は薄水色に一面が染まりつつあった。あと数ヶ月もすれば、吐く息が白くなる。
本格的に、冬がやって来る。
恋人という、保護者のような、友達のような、家族のような、不思議な関係にあったあの人がいない、はじめての冬が。

月はどうしているだろうか。もちろん、それも考えていなかったわけではない。
しっかりと手足の自由は奪ったつもりだが、完璧とは言いがたい。力の強い月ならその気になれば……。
部屋には必要最低限のものしか置いていない。荒らされたり、壊されたり、盗まれたりしても致命打になるようなものは特にない、といってしまえばそれまでだった。
英人にとって、そういった心配より、やはり月が『なぜ自分と真の名を知っているのか』『なぜあれほどまでに似た姿をしているのか』この二つの方が重い。
髪は月の方がずっと長いが、生前の真とお揃いにした日には英人でさえ見分けきれないかもしれないほどに、あれは似ている。
帰るのが、怖かった。
また、あの奇天烈な現実と向き合わなければならないのが、辛かった。
英人は思う。
自分はまるで、紐一本片足にくくりつけて、深い穴の底へ飛び込んでいったあげく、宙ぶらりんになっているような、そんな。
真を失うことで、地獄に落ちることはなかった。穴の底までは届かなかった。
だが、かといって今まで居られた地表に残ることもできず、落ちていく途中の中途半端な段階で月が地表から紐を掴んだ。
紐を掴んだ月はどんな気分でいるのか。
代わりに英人は、きしみ続ける鎖を強く掴んだ。それはひどく、芯の芯まで冷え切っていた。


「ただいま」
鍵はかかったままだった。この部屋の合鍵は元気だった頃の真のみが所持していたといってもよく、とうの昔に処分してある。
つまり、施錠されているということは、月は部屋の中にいる。
疑いが晴れたわけではない。
仲間を引き入れて、中で英人が帰るのを待ち伏せている可能性もある。このまま部屋に進んでいいものか、迷う。
月が玄関まで出てくる様子はない。それどころか、物音一つしない。
漠然とした気味の悪さを感じながら、悩む英人の脳裏にここを出る時聞いた言葉が蘇った。

『いってらっしゃい』

どうせ誰も信用してはくれない。自分の味方をしてはくれない。それならば、月をいっそのこと信用してみるのも手だろうか。
言っていることはとんちんかんだったが、何かしら事情があって混乱しているのかもしれない。
それに、まだ心の片隅から追いやれない望みが一つ。
真が、帰ってきたのではないか――という望み。
憶測だが、蘇生のショックで記憶がひどく散り散りになっているのだとしたら?
「……でも『もしかしたら』でそんなこと、誰にも言えない」
自分に言い聞かせ、つばを飲んで英人は靴を脱いで部屋の中へと歩みこんだ。


作品名:かがり水に映る月 作家名:桜沢 小鈴