かがり水に映る月
10.硝煙の匂いが僕の決意を固めたんだと、今ならわかる(4/4)
「あ、あ……ああ……!!」
奇跡は起きない。
何が起きたかも理解しきれぬまま、周囲の灰をかき集める英人であったが、それが人の形になることはないのだ。
灰はかつて『月であったもの』であり『月を構成していたものの燃えかす』でしかない。
人も同じで、死ぬとその存在は全てが過去に終息する。それが未来に繋がることは、決してなかった。
灰を胸に引き寄せたり、顔を近づけたり、色んなことを英人は試した。
止めをさしたのが誰かなど、問題ではない。自分が月を信じなかった、ただそれだけの理由で月は死んだ。
自分が殺した。
――ただそれだけ、などといえるのだろうか?
思考が玉虫色に染まるのを、月との思い出という杭で必死に押しとどめる。そうでもしないと、狂ってしまいそうなのだ。
そんな悲愴に満ちた英人の姿を、二人はそれぞれの思いを抱いて見つめていた。
皇は、作り上げた最高の形で終幕した演劇に満足し、口角をすっと上げている。だが、早くも飽きの色が見え始めていた。
次の娯楽を見つけなければ、悠久に押しつぶされて心を殺してしまうだろう。
元々、血縁があるわけでも何でもない存在である。それにしても彼女の態度は冷たかったが、人のルールは人狼に通用しない。
里が一緒であり、それなりの実力と地位を持ち、人間社会にうまく溶け込んだ彼女にトラブルという余興の白羽の矢が立ったそれだけの一件だった。彼女は多忙な身でもある。人間としても日々振る舞い社会というパズルに組み込まれて生きていかなければならず、人狼としてもはぐれ者の処刑や自治に動かなければいけない。
そんな彼女にとって、残った二人がどう考えていようなど関係のないことだ。興味もないだろう。
並ぶ桂はというと、視線が固定されずひどくぼんやりとしていた。悲しんでいるふうでもなし、喜んでいるふうでもない。
ただ、微弱に憐れむように英人を見ている。いや、その向こうの灰を見ているのかもしれない。
血縁にあたる純血種を殺めた感覚。それを、掴むことができない。自分が理不尽な暴力から解放される実感もない。
何もなかった。
ただ。
皇との関係はここまでであり、今生の別れになるということが少し寂しいと、それだけは確かに感じていた。
「潮時だ、周囲の暗示が解ける」
「……人間はどうしますか」
「適当な人里に放り出そう。記憶は……」
と、ここで皇が言葉に詰まる。言いかけて急ぎ訂正をかけ、いったん途切れざるをえなかったといったリズム。
死なせてしまうと事件になる。何より、劇の後日談として面白くない。
「記憶は、消さなくていい」
「そのままで? 危険では?」
「きっと……面白い後日談が見られるぞ。この調子だと」
言い、人形のように動かない英人を担ぎ上げ、二人は山を降り森を抜けた。
――空が薄明るさを孕んでいる。もうじき、人狼の活動する時間は終わる。残されたリミットはあとわずか。
通りに出たところで、抱えあげていた荷物が暴れ出し、落ちた。
「お目覚めかい」
「……」
返事は、睨みのみ。
「どうしたい?」
短い問い。三人が囲む内側にある必要要素は、無駄の一切ない簡潔かつ整合のとれたもの。
号泣しながらも、手で涙をぬぐい英人は二人とは違う方向に歩き出す。
彼の中で決意はもうあった。心は、桂と皇に対する復讐の炎に燃えていた。それはきっと、死ぬまで消えることのない。
不変であり、限りある命の中で悠久に浮かび続ける月(つき)のようなもの。湖に姿を映し、意志という水は枯れない。
「あなた達を絶対に許しません。できるなら、今すぐにでも殺したい」
「ほう」
「……いつか、必ずあなた達と再会する時が来ます。その時はあなた達の永遠が終わる時です、僕は人狼を狩る」
対して、皇は、ふっと鼻にかかるような笑い。なるほど。後日談としては、まあまあの展開だ。
「待ってるよ。いつでも」
英人は、返事もなく夜明けの街へと消えていく。振り返ることは、一度もなかった。