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死線期呼吸

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 日向は朝が来るとすぐにそのことに気付いた。ふわりと暗がりが薄くなり、青が濃くなってゆく様子を見ながら、日向の瞼はシャッターを切るように閉じたり開いたりを繰り返す。
 日向はよくくすんだ白いソファで寝ていた。お気に入りの品なのか、薄いタオル地の布切れに意地を張るようにいつでも包まっていた。
 日向はいつも気付けば頭から布切れに包っている。そのせいで、布切れの先端から日向の天使みたいに色の薄い髪の毛がトウモロコシの房のようにソファからしなりと垂れていた。僕はその布切れとトウモロコシの房を見て、日向が寝てると気付く。そして日向のやわい髪に触れると、綿菓子のように甘く溶けて消えそうで僕は怯えてすぐ手を離してしまった。
 僕が部屋のドアを開けるとき、日向は必ず「鍵は閉めていいけど、首は絞めないでいい」と告げた。それからケタケタと笑って、日向自身の八重歯を鋭くさせていく。
 日向は夜になると息をしなくなった。僕が不安になって日向の胸に手を当てると、「泣きたくない、泣きたくない」と泣きだした。日向のしゃっくりのリズムとせわしない鼓動の音を繰り返すことを、彼女のことと合わせて思い出し、絶望のテーマソングと名付け頭から離れない日も多々あった。
 日向は日が暮れるとご飯がおいしいと言った。そして、「生きているのが素晴らしすぎる」と、歌った。有名なバンドの有名な曲の、この部分だけを何度も歌った。僕の無意識な鼻歌を覚えてしまったようだ。僕は日向の歌を聞くたび、日向はきっと多分、この歌詞の意味なんて知らないまま死ぬだろうと思っていた。
 僕が日向のお気に入りのソファに座ると、日向は嬉しそうに僕の膝の上に頭を乗せた。日向が窓際にいても、台所にいても、寝室にいても、バルコニーにいても、必ず僕がソファに座ると僕の膝の上に頭を乗せにきた。「このままこの膝の裏と繋がって、この脳味噌を持ってっちゃってよ」とカラッと渇いた声が聞こえたと思った。日向が喋ったようだった。僕は聞こえないふりをして、テレビのスイッチを入れる。
 日向は気紛れに僕にしがみつき、突き放し、余裕を持て余し、息苦しいとのた打ち回った。僕はそのたび、ソファに腰をおろし、日向の顎を撫でた。日向の輪郭を確かめるように、サラサラと溶けてしまわないように、僕は念入りに顎を撫でた。そうすると日向はやわい髪の毛を揺らし、「ネコじゃないんだから」と八重歯を見せた。
 日向がまともなことを言うときはいつも寂しそうな目をしていた。それは、「今日は晴れだね」とか「このお笑い芸人は馬鹿なんだね」とか「みかんは冬に箱で買うべき」とか、そんな内容ばかりである。「みかんは冬に箱で買うべき」の件について、箱で買ったが消化しきれなくてカビが生えてみかんが可哀そうになると思うときがくるなら、すぐにでも前言撤回しなくてはならない。日向はそんなことで悩む僕にいつもこう言った。

「考えないで、悲しくなるから」

 日向を一度潰そうと思った事がある。フローリングの床に押し倒して、日向の目を見て、「殺させてくれ」と懇願した。日向はうんともすんとも言わずに、ただ時計の音を穴だらけの耳で聞いていた。だから僕も、刻まれていく秒数に手の震えが並行していく様を感じて、何一つ失いたくなくて日向を抱きしめた。骨ばった身体を外側に二つ折りにするくらいに、強く強く抱きしめて、「生きてても死んでてもどっちでもいい、ここいいてくれ」と懇願した。日向はうんともすんとも言わず、腕を伸ばして僕の服に顔を押し付けて匂いを嗅いでいるようだった。
 結局僕は最後まで日向が生きているのかどうかがよくわからなかった。ある時には背丈のある細身の男性の姿でいたし、ある時にはグラマーな赤いグロスの似合う女性の姿でいたし、ある時には都会に住む薄汚れた野良猫の姿でいた。まず、僕はどうして日向かどうかわかるかと言うと、僕の家にスルスルと入り込みその薄い布に包まり白いソファで寝るような生き物は日向であると思いこんでいるからだ。それがそれぞれ別人であったとしても、僕には特になんの不便もなかったので、本当に日向なのか執拗に問い詰めるようなことはしなかった。
 それでも一度、日向が一体誰なのか、僕は日向に直接訊いてみたことがある。日向は間髪いれずに、答えを用意していたかのように答える。

「人の化けの皮を食べる、化け物だよ」

 日向の渇いた声が響いて、また髪のやわい少女の姿になった。僕は日向に触れて、まるで既に死んでいるかのような冷たさに吐き気を覚えるのだ。
 日向は十分な笑みを浮かべ、「君も、ハイリスクだよね」と呟く。
 気に入っているのか楽なのか理由は分からないが、日向は天使みたいな女の子の姿でいることが多かった。決して柔らかくない瞳と、スッキリした鼻筋、風に靡く長い髪の毛を纏い、シンプルな空色のワンピースに身を包んでいた。僕はその姿を彷彿とさせる女の子の姿を知っていたから、日向を見る度に背筋がぞくぞくと鳴った。そんな僕を見て、日向も肩を揺らす。

「なあに、君は、いつも、死を見つめる顔をしてるの」

 僕は泣きそうになった。空間を見渡して死んだ彼女のことを探してしまった。空気が急に冷たくなったと感じる。会えないということを知っている音がする。日向は決まって、隣で毒物を捏ねて僕の肌に擦りこませる。マイナスゼロ度の肌で僕に触れて。

「人の化けの皮を、食べるんだよ」

 日向はケタケタ笑った。

「人の心臓で生きているから」

 日向の言うことはよくわからなかった。僕は朝起きて会社に行き帰りに発泡酒を買い家に戻りソファに腰かけ缶を開ける、それだけの毎日に、避雷針を掲げて、捕まえにきた化け物が、日向なのだ。なんて、日向は何度も繰り返す。

「懐かしい匂いがするでしょう」

 日向の言うことはよくわからなかった。僕の脳裏で右往左往している首吊りの死体には見て見ぬふりをした。

「すっかり、夏が終わってしまった」

 日向の言うことはよくわからなかった。その日の僕は日向をソファに押し倒して、そのまま眠りについた。
 次の日の朝はまた日向がカーテンを開けてシャッターを切っていた。パシャリ、パシャリ、それからまた、「生きているのが素晴らしすぎる」と歌う。
 その日は雨だった。日曜日なのに陰鬱とした空気の重みがあって、ひとりぼっちだと思った。それなら、彼女は今どこで、ひとりぼっちでいるのだろうか。なんて、考えた。

 日向は朝食をとる僕の前の席に座り、季節外れのみかんを口に放り込みながら、「心臓移植を、するとね」と話を持ち込んできた。僕はこの系統の話題は何回もされてきたので、あまり気にも留めず「うん」と適当に相槌を打つ。打ちながら、遺伝子の話、肝臓の話、胃液の話、色々あったなあと思いだしている。この時は気付かなかったけれど、思えば、日向が椅子に座りテーブルにつくなんてこと、今まではなかった。日向のお気に入りはいつだって、あの学校の天井と同じくらいにくすんだ、白いソファでいたから。

「記憶が混じることがあるんだって」

 食パンにバターを塗るナイフが滑り落ちた。急に指先に力が入らなくなった。あれ、と思った。

「この心臓はとても、君のこと、愛おしい」
作品名:死線期呼吸 作家名:らた