篠原 めい4
任務に就く最後に、岡田は雪乃に篠原への伝言を遺した。それを無意識に知っていた篠原は岡田の死を否定したいがために、雪乃から告げられることが怖くて、雪乃すら否定した。記憶も全部締め出して、何も無い場所に逃げ込んでしまった。今、考えれば、よく生きていられたな、と、篠原当人にも不思議な状態だ。雪乃がいない状態で長く居たことなど、今までなかったからだ。何かあるたびに雪乃に縋って頼り切っていた篠原には、記憶がなかった自分というのが、少し信じられない。自分の根底に根付いている雪乃にすら縋れないほど壊れていたのだと言われても、ぴんとこない。ある意味、自分で自分を殺してたってことだ、と、秀に言われて、ようやく理解できた。自分というものを全部消してしまったから、雪乃すら、なかったものにできたのだ。
「・・・僕・・・雪乃がいないとダメだ。・・・もう、それは僕じゃない。」
「そうね、あなたじゃなかったわ。板橋家の次男だった。」
「・・・もし・・・僕が戻らなかったら・・・雪乃はどうしてたの? 」
「うーん、とりあえず、『はじめまして』から始めて、もう一度、私なしには生きて行けないようにしていたと思う。」
どうせ、雪乃なしでは生きていけないのだ。終末は、すぐに来る。そうなったら、さっさと冷たくなる前の身体を確保して宇宙へ飛び出していただろう。ただし、少し残念な気分も味わったはずだ。自分の知っている篠原ではない篠原と最初から関係を築き上げても、今と同じにはならないからだ。
「・・・まだ半分だけどね・・・」
記憶は完全に戻ったわけではない。過去五年少々は完全に思い出しているが、それ以前は、相変わらず霧の中だ。
「そのうちに戻るわよ。そちらは、徐々に戻るから安心して。」
それ以前のものは、今は戻らないように、わざと封印されている。本来の家に戻って生活をすれば、徐々に、それも思い出すように細工されている。だから、そのことは焦らない。細工してくれた友人からも、そう説明されている。今は、目の前の出来事だけを把握できればいい、と、いうことだ。
「・・・今日は泊まるの? 」
「ええ、明日も付き添いは私。途中で抜けたりはするけど、明後日の朝まで一緒よ。」
ここには仮眠用の大きなソファがあるから泊まるのも可能だ。具合が悪い時は、なるべく雪乃も傍に居るように心がけている。そう言うと、篠原は嬉しそうに目を細める。
「・・・雪乃・・・りんさんの。」
「五代君が大きな釘を刺していたから大丈夫。鈴村さんのほうも安定するはずよ。」
全部言わなくてもわかっている。鈴村の所有する企業体の株価が軒並み下落した。それで鈴村の夫のほうは、見舞いに来れなくなったのだと、鈴村夫人から聞いて、りんがかなり過激な報復を仕組んでいることに気付いた。そんなことは必要ではない、と、言いたいのだが、生憎、りんは見舞いには来ないから、伝言してもらった。
「・・・・もういいんだ・・・僕は、鈴村さんたちが、新造艦のチームが完璧な仕事をしたことを理解してくれただけで十分だから。」
「少しは怒ってもよかったと思うんだけどね? 」
「・・・それは・・無理。僕らは生きてて、あの人たちの大切な人たちは亡くなったんだ。その気持ちはわかるだろ? 」
「そうね。」
ゆっくりと持ち上がった篠原の右手は雪乃の一房の金の髪を掴む。握れないから、触るだけだ。上から下に梳くように手を動かして、何度も、その存在を確かめる。それがある限り、大丈夫なんだろうと思える。まだまだ、自分は地球で生きていられるのだと確かめている。
触れられているほうは、まだまだ地球に縛り付けられるのだと内心で苦笑はしているが、イヤではない。こうやって自分の傍にいることが安心なのだと態度で示している篠原を見るのは嬉しいからだ。そう待つこともないだろう。すぐに、その機会はやってくる。だから、今は、大切な人の頬を撫でて生きている体温を確かめる。