篠原 めい4
外へ出て、病室の続く廊下を歩きながら、板橋夫人は鈴村の肩を抱いた。まだ涙が止まらなくて前が見づらいだろうから道案内すべくのことだ。
「やっぱり本物なのね? びっくりしたわ。」
まだ泣き顔のままの鈴村も目を細めて頷く。どう見ても高校生にしか見えない義行は、あのVF艦長と親しげに話していた。とても仲の良い兄弟といった感じだった。
「でも、義行には威厳もなんにもないのよね? 」
「そりゃ、かあさん、比べてやるのは可哀想だろう。義行は一番年下だって言ってたじゃないか。しかし、義行の愛称は『ポチ』なんだね? 思わず噴出しそうになった。」
「あれはおかしかったわ。でも、あの子、犬っていうよりは猫だと思うのだけど。」
「まあ、そこは人それぞれ感じることは違うんじゃないか? 少し緊張して喉が渇いた。食堂でお茶でも飲もう。」
「そうね。鈴村さんも落ち着くまで、そうしてくださいな。」
夫婦で鈴村を宥めるように声をかけて、食堂へ向かう。これで鈴村も落ち着くだろう。ずっと、罪悪感一杯の顔をしていたのは理解していた。ただ、それをどう言ったところで鈴村は聞き入れてくれなかった。はっきりと、VF艦長と義行が、「忘れてくれ。」 と、言ったから気持ちの区切りもつけやすいだろう。
三人が外へ出てから、しばらく見送って、「何かあったの? 」 と、篠原が尋ねる。わざわざ、両親を遠去けたのは、機密事項に抵触する話があるのかと思ったからだ。
「何もない。めい、そこの椅子、こっちに運んで座れ。」
付き添い用の椅子はひとつしかなかった。それに、どっかりと腰を下ろして五代は、離れたところに折りたたんである椅子を指し示す。はいはい、と、めいも、それを持って来て五代とはベッドの逆側に陣取った。
「わたし、今日は雪乃なので甘やかしてあげる。」
めいは、篠原の右手を持ち上げて、マッサージを開始する。そういうことなら、俺は橘さんだから、怒鳴らないとならないな、と、五代も笑う。 めいは看護師の資格もあるので、こういうリハビリもできる。
「・・・どういうこと? 」
「うちのスーパーテロリストに、ここへ隠密裏に侵入する手筈を整えてもらったんだ。さすが、スーパーテロリストは手際が良かった。」
IDカードと携帯端末の交換で、それを可能にしたことを説明すると、篠原も呆れた、と、大きく息を吐いた。
「確かに問題点は、俺についている監視役だけなんだ。それも、ちょっと変装すれば、斯くも見事にクリアーだ。俺とりんの髪質の違いは帽子で、めいと雪乃の髪の色の違いは金髪のウィッグで誤魔化すなんて、すごくないか?」
くせっ毛の五代と直毛のりんではサングラスだけでは誤魔化せない。それに、めいのハニーブロンドの金髪と、雪乃の絹糸のような青みがかった金髪の違いも、同様だ。そこを完全にクリアーしている。そして、病院に出入りしている橘とりんが交代するのも、よく考えられている。IDカードと携帯端末で補足される動きは、普段とまったく変わらないものだ。
「それに、ちゃんと筋書きもあるのよ? りんと雪乃が遊びに来て、お見舞いに行くから帰ったけど、夜に、もう一度、食事をする約束で買い物して届けてくれるっていうことになっているの。お陰で、ひさしぶりに高之とデートして買い物もできる。あの才能は、ほんと偉大ね。」
もちろん、疑われないため時間は短めの設定になっているが、それでもめいたちの気分転換も兼ねた外出も用意してくれているところが素晴らしい。
「・・・・あれ? 同居してるの? めい、実家に居たんじゃなかったっけ? 」
前回、五代がマンションを借りるという話は聞いていたが、そこからの話は聞いていなかった。
「こうでもしないと、一々、逢うのに許可取ったりチェックされたり、ウザかったから、前回の時に私の荷物も運んだの。くくくくく・・・あとで、お揃いのパジャマを買いに行くのだ。うらやましかろー? 篠原。」
「・・・なんで?・・・」
ふたりでいちゃいちゃするのだ、と、めいは宣言したのだが、篠原のほうは、なぜ、自分は羨ましいのだ? と、首を傾げている。
「めい、篠原は同居どころか同衾しているんだから、ちっとも羨ましいことはないと思うぞ。」
具合が悪ければ、雪乃は篠原の添い寝をしている。それを当たり前のことだと思わされている篠原には、お揃いのパジャマごときで羨ましいということはない、と、五代が説明する。
「あーそうか。じゃあ、雪乃が傍に居なくて寂しくない?」
「何事もなければ週末は家に帰っているし、今は、雪乃が時間があったら顔を出してくれるから寂しいことはないよ。」
すらすらと普通に答える篠原に、五代もめいもがっくりする。もうちょっと、そこは寂しがってやったほうが、雪乃は喜ぶのだ。
「そこは寂しいって言うところだろ? 」
「そうかなあ。」
精神的未熟児なのは相変わらずであるらしい。あの激しいアプローチと、他の女性を寄せ付けない鉄壁の防御をされていて、何も感じていない篠原は大物なのか、単なる鈍いバカなのか、微妙なところだが、VFのメインスタッフは、ほぼ後者だと確信している。
「まあ、思っていたより元気で安心した。」
「・・うん・・・」
「怪我の具合は? 左手は骨折? 」
「折れてはいないんだけど、ヒビが入ってるところと剥離骨折してるとこがあるって言われた。首の後ろは、爪が刺さったから傷ごとに一針ずつくらい縫ってるのと、左胸は点滴の針を強引に抜かれて裂傷になって、そこも縫ってる。そんなものかな。」
簡単に自分の症状を説明するので、めいはマッサージしていた右手の指をぎゅーっと引っ張った。痛いっ、と、叫んで篠原は逃げようとする。そうは問屋が卸さない。がっしりと指と手はホールドされたままだ。
「そんな簡単なものじゃないっっ。裂傷って・・・引き裂いたってことでしょ? そういうののほうが時間かかるわよ。」
「・・・そうなの?・・・もう寝てるのも飽きてきたんだけどなあ。」
「テレビでも見なさい。・・・あっ忘れてた。平田さんから差し入れ。」
そうだ、そうだ、と、コートのポケットから小さな紙袋を取り出した。中は、黄金色をした飴がタブレットで収まったシートがふたつだ。
「・・飴?・・」
「今回の任務は平和だったから、平田さんと余暇を利用して開発しました。以前よりはクスリ味はしないと思う。一日一個が目安。」
以前、篠原がVFに乗艦していた頃、あまりの小食さ加減に、生活環境班主任のめいと副主任の平田は頭を悩ませた。篠原の摂取量が少なすぎて、カロリーも栄養も摂れていなかったからだ。一番年下であろうと若い世代には違いないのに、これでは体力が保たないだろうと、栄養素を添加した飴を開発して食べさせていた。その名残であるらしい。
「それ、公私混同。」
「じゃかましい。平田さんが嘆いてたわよ? 全然、元に戻らないって・・・だから、開発して、情報交換の席でりんに渡すつもりをしていたのよ。」
「やっぱり本物なのね? びっくりしたわ。」
まだ泣き顔のままの鈴村も目を細めて頷く。どう見ても高校生にしか見えない義行は、あのVF艦長と親しげに話していた。とても仲の良い兄弟といった感じだった。
「でも、義行には威厳もなんにもないのよね? 」
「そりゃ、かあさん、比べてやるのは可哀想だろう。義行は一番年下だって言ってたじゃないか。しかし、義行の愛称は『ポチ』なんだね? 思わず噴出しそうになった。」
「あれはおかしかったわ。でも、あの子、犬っていうよりは猫だと思うのだけど。」
「まあ、そこは人それぞれ感じることは違うんじゃないか? 少し緊張して喉が渇いた。食堂でお茶でも飲もう。」
「そうね。鈴村さんも落ち着くまで、そうしてくださいな。」
夫婦で鈴村を宥めるように声をかけて、食堂へ向かう。これで鈴村も落ち着くだろう。ずっと、罪悪感一杯の顔をしていたのは理解していた。ただ、それをどう言ったところで鈴村は聞き入れてくれなかった。はっきりと、VF艦長と義行が、「忘れてくれ。」 と、言ったから気持ちの区切りもつけやすいだろう。
三人が外へ出てから、しばらく見送って、「何かあったの? 」 と、篠原が尋ねる。わざわざ、両親を遠去けたのは、機密事項に抵触する話があるのかと思ったからだ。
「何もない。めい、そこの椅子、こっちに運んで座れ。」
付き添い用の椅子はひとつしかなかった。それに、どっかりと腰を下ろして五代は、離れたところに折りたたんである椅子を指し示す。はいはい、と、めいも、それを持って来て五代とはベッドの逆側に陣取った。
「わたし、今日は雪乃なので甘やかしてあげる。」
めいは、篠原の右手を持ち上げて、マッサージを開始する。そういうことなら、俺は橘さんだから、怒鳴らないとならないな、と、五代も笑う。 めいは看護師の資格もあるので、こういうリハビリもできる。
「・・・どういうこと? 」
「うちのスーパーテロリストに、ここへ隠密裏に侵入する手筈を整えてもらったんだ。さすが、スーパーテロリストは手際が良かった。」
IDカードと携帯端末の交換で、それを可能にしたことを説明すると、篠原も呆れた、と、大きく息を吐いた。
「確かに問題点は、俺についている監視役だけなんだ。それも、ちょっと変装すれば、斯くも見事にクリアーだ。俺とりんの髪質の違いは帽子で、めいと雪乃の髪の色の違いは金髪のウィッグで誤魔化すなんて、すごくないか?」
くせっ毛の五代と直毛のりんではサングラスだけでは誤魔化せない。それに、めいのハニーブロンドの金髪と、雪乃の絹糸のような青みがかった金髪の違いも、同様だ。そこを完全にクリアーしている。そして、病院に出入りしている橘とりんが交代するのも、よく考えられている。IDカードと携帯端末で補足される動きは、普段とまったく変わらないものだ。
「それに、ちゃんと筋書きもあるのよ? りんと雪乃が遊びに来て、お見舞いに行くから帰ったけど、夜に、もう一度、食事をする約束で買い物して届けてくれるっていうことになっているの。お陰で、ひさしぶりに高之とデートして買い物もできる。あの才能は、ほんと偉大ね。」
もちろん、疑われないため時間は短めの設定になっているが、それでもめいたちの気分転換も兼ねた外出も用意してくれているところが素晴らしい。
「・・・・あれ? 同居してるの? めい、実家に居たんじゃなかったっけ? 」
前回、五代がマンションを借りるという話は聞いていたが、そこからの話は聞いていなかった。
「こうでもしないと、一々、逢うのに許可取ったりチェックされたり、ウザかったから、前回の時に私の荷物も運んだの。くくくくく・・・あとで、お揃いのパジャマを買いに行くのだ。うらやましかろー? 篠原。」
「・・・なんで?・・・」
ふたりでいちゃいちゃするのだ、と、めいは宣言したのだが、篠原のほうは、なぜ、自分は羨ましいのだ? と、首を傾げている。
「めい、篠原は同居どころか同衾しているんだから、ちっとも羨ましいことはないと思うぞ。」
具合が悪ければ、雪乃は篠原の添い寝をしている。それを当たり前のことだと思わされている篠原には、お揃いのパジャマごときで羨ましいということはない、と、五代が説明する。
「あーそうか。じゃあ、雪乃が傍に居なくて寂しくない?」
「何事もなければ週末は家に帰っているし、今は、雪乃が時間があったら顔を出してくれるから寂しいことはないよ。」
すらすらと普通に答える篠原に、五代もめいもがっくりする。もうちょっと、そこは寂しがってやったほうが、雪乃は喜ぶのだ。
「そこは寂しいって言うところだろ? 」
「そうかなあ。」
精神的未熟児なのは相変わらずであるらしい。あの激しいアプローチと、他の女性を寄せ付けない鉄壁の防御をされていて、何も感じていない篠原は大物なのか、単なる鈍いバカなのか、微妙なところだが、VFのメインスタッフは、ほぼ後者だと確信している。
「まあ、思っていたより元気で安心した。」
「・・うん・・・」
「怪我の具合は? 左手は骨折? 」
「折れてはいないんだけど、ヒビが入ってるところと剥離骨折してるとこがあるって言われた。首の後ろは、爪が刺さったから傷ごとに一針ずつくらい縫ってるのと、左胸は点滴の針を強引に抜かれて裂傷になって、そこも縫ってる。そんなものかな。」
簡単に自分の症状を説明するので、めいはマッサージしていた右手の指をぎゅーっと引っ張った。痛いっ、と、叫んで篠原は逃げようとする。そうは問屋が卸さない。がっしりと指と手はホールドされたままだ。
「そんな簡単なものじゃないっっ。裂傷って・・・引き裂いたってことでしょ? そういうののほうが時間かかるわよ。」
「・・・そうなの?・・・もう寝てるのも飽きてきたんだけどなあ。」
「テレビでも見なさい。・・・あっ忘れてた。平田さんから差し入れ。」
そうだ、そうだ、と、コートのポケットから小さな紙袋を取り出した。中は、黄金色をした飴がタブレットで収まったシートがふたつだ。
「・・飴?・・」
「今回の任務は平和だったから、平田さんと余暇を利用して開発しました。以前よりはクスリ味はしないと思う。一日一個が目安。」
以前、篠原がVFに乗艦していた頃、あまりの小食さ加減に、生活環境班主任のめいと副主任の平田は頭を悩ませた。篠原の摂取量が少なすぎて、カロリーも栄養も摂れていなかったからだ。一番年下であろうと若い世代には違いないのに、これでは体力が保たないだろうと、栄養素を添加した飴を開発して食べさせていた。その名残であるらしい。
「それ、公私混同。」
「じゃかましい。平田さんが嘆いてたわよ? 全然、元に戻らないって・・・だから、開発して、情報交換の席でりんに渡すつもりをしていたのよ。」