小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

自己紹介・自己雑感

INDEX|3ページ/5ページ|

次のページ前のページ
 

ものかき談義


■今回の登場人物■
名寄椋司:文系右寄り字書き。貧乏。酒も煙草も賭け事も駄目。真面目系駄目人間。お寿司大好き。
シャン・ウィー:文系右寄り変質者。生の肝が肺病に効くという迷信を未だに信じている、不法滞在中のタイ人。おぼこ。妄想の産物。
ジョルジュ藤堂:文系右寄り政治活動家。趣味はダイビング。いつイルカ漁を邪魔されてもいいようにモリは常備している。オージーとかニュージーとか、ージーという響きが嫌い。妄想の産物。
吉祥寺の眼鏡屋の店員:とてもわかりやすく人を舐めくさった接客をする。チャラ男を勘違いしている。実在の人物。だから名前とか書けない。でも一生恨む。恨み節。
ウニぼうや:文系右寄り海産物。最初に食べた人は何考えてたんだろうランキングで常に上位。仲間が喰われすぎたせいで近寄る者全てを殺戮せずにはいられない。妄想の産物。

 まさかのウニぼうや続投。今回唯一面白いところはここだけです(断言)。

 今回は少し、少しだけ真面目なトーンで話をさせていただきますので、普通の文章よりテンションは低めで行きます。ものかきの談義というか、まあようするに「この名寄とかいう阿呆はどういった基準で人様の小説を読んだり読まなかったりしているんだ」という話です。別名、言い訳です。
自分なりに趣味で小説を書き続けて、何となくわかってきたこと、感じたことも併せて書いていきますので、それが少しでも読んで下さった方の参考になれれば幸いです。まあ、反面教師という意味でも。

 ネット上にも実社会にも、沢山の小説が溢れています。面白いかどうかは個人の意見ですが、あくまで僕個人の意見として、『面白い、面白くない』の前に『読める、読めない』の差が出てくるように思います。とてもフワッとした物言いになってしまうのですが、その小説が果たして自分の肌に合うか合わないかの違い、とでも言いましょうか……まあ小説に限らず、全ての文芸作品について言えることなんでしょうけど。
 Novelistにも沢山の作品があり、日々生み出され続けていますが、その全てに目を通すことは──少なくとも僕には──できません。量の問題は勿論ですが、それ以上に前述の『読める、読めない』の問題があるからです。
 では、その差はどこから来るものなのでしょうか?
 一応僕には僕なりの基準があります。
 主な基準は三つ。
1:改行、段落空けがあまりに多すぎるものは読まない。
2:段落頭の一字空けをしない等、基本文法から著しく逸脱しているものは読まない。
3:それが小説の形を為さなくなる程極端な擬音描写が多いものは読まない。
 ──の、三つです。

 一つ目の基準、『改行、段落空けがあまりに多すぎるものは読まない』については、これはもうそのまんま、読んで字のままの意味です。なんだかこれをやられると中身がスカスカに見えるというか、「これって小説なの?」という感じになります。どっちかって言うと散文詩とか自由詩とかその辺のジャンルなんじゃねえの、というか。
 一時期ケータイ小説が流行って、とにかく改行しまくり、段落の間が空きまくり、会話文の前後に空白行、という文字の視認性だけを追求したような文章が乱造されましたけど、もういい加減こういうの止めてくんねえかなあ、という気がします。どれだけ素晴らしいものが書いてあったとしても、なんとなーく読む気が失せてしまうというか。冷めてしまうというか。
 別に改行しまくりであったとしても素晴らしい作品はあるのでしょうし、なんかもう段落ごとに一行空けるのだって視認性の観点から言えばそれはそれで良いのでしょうが、少なくとも僕はそういう作品を小説作品だと思って読むことはありませんよ、という話です。小説じゃなくて別の何かというか。良い悪いではなくて、小説を読みたいテンションのときにわざわざそういう作品を選ばない、ということです。

 二つ目の基準もまあ、似たようなものですね。「!」「?」の後は一字空けるとか、ナカグロ(「・」のことです)は「・・・」とか使うもんじゃないんですよ、三点リーダを二つ並べて「……」にするんですよとか、もうこれは小説技法っていうか作文の技法です。特に段落頭の一字空けをしないのは、何かもうすっごい読み辛く感じるのですよ。いやほら、明確な目的があってそれをやってるんならね、全然いいんですけど……特に意味がないとか、既存の文学表現に逆らう俺カッコイイみたいな、そういうのをね、うん、そういうのがなければさ……。ね、トンガるにしてももうちょっと別のトンガリ方があったんじゃないの、トンガリキッズぶりをもうちょっと大人しめにしようゼーみたいな、そういう感じ。
 そこらへんがね、うん……ちょっとこう、気持ち的に引いてしまいます。んー。んんー。みたいな。どんなだ。

 三つ目は、まあ、オノマトペは少なめにしようぜというか、「ドガァッ!」とか「バキィッ!」とかが地の文で普通に頻出されちゃうと、何かこう、読んでる内に照れてしまうんですな僕が。オッサンだから。オッサンは若い子のセンスについていけないから。でもなるべくならそういうの、減らした方がいいと思うんだ。これはラノベ書いてる人に多く見られる気がします。
 自分もたまにやらかしてるだろ、とか突っ込まれたら、土下座するしかないんですが。
いやでも頻出はさせていない。させていないはずだ。

 ようするに、ごく普通の小説の体を為しているなら僕は読みますよ、特にジャンルで選り好みはしませんよ、という話ですよね、ええ。
 でもNovelistに登録して思いますが、「連載作品なのに一話アップするたびに別作品としてアップして、トップページに載るようにする」っていうアレは、アレいいの? アレ反則なんじゃないの? 一部完とかならともかく、本当に細切れに、ぶつ切りに、たとえて言うならボスのことを調べようとして輪切りにされたソルベのごとく、一ページとかだけアップして、んでまた一ページ書いてアップするとか、アレはアリなの?
連載を、おんなじ作品枠の中でアップし続けるのが、何かばからしくなるじゃないか。アレやっていいんなら僕も凄い真似するよう。沢山の人に読んで欲しいもんよう。
 正直アレ、皆さん的にはどうなんでしょう?

 あと、本気で詩を書いてる人が凄く沢山いらっしゃるとは思うんですけど、えーと、そのう、僕はオッサンでばかで感受性が低くてダメ映画ばっかり見ている文化レベルの低いシリーズ・駄目人間なので、詩の善し悪しがさ、よくわかんないんだけどさ。
 ……んーと、こう、何だろうなあ。味方を誤爆してばっかりだお前はって友達に言われ続けてもう五年経つんだけど、んー……その、詩をね、アップするじゃない? トップページの新着作品のとこに掲載されるわけじゃない? 当然人の目は惹くわけじゃない?
作品名:自己紹介・自己雑感 作家名:名寄椋司