夢の運び人1~5
夢の運び人1
夢の運び人はいつものように夢を人間たちに運んでいた。
深い眠りに着いた人間にそっと入り込み、袋の中から取り出した夢を頭に置いていく。
いい夢、悪い夢。人間に選ぶ権利はないが、運び人には袋の中を覗いて選ぶ事ができる。
さて、この男にはどんな夢を見せようか……
運び人の眼下には、気持ち良さそうに眠る男がいた。歳は二十代半ば。読書の途中の寝てしまったのであろう。男の手には人指し指が挟まった本があった。タイトルには『必殺の弾丸』とある。
きっとアクションのカテゴリに入る小説なのだろう、と運び人は思った。
それならばと運び人は大きな袋から一つの夢を取り出す。そしてその夢を男の頭の中に静かに入れた――
――私はビルの屋上にいた。
周りには森の様なビルが建ち並び、私がいるビルはその中で最も高い。雲一つない青空に手が届きそうだ。
ここにいつからいるかは分からない。だが、私はその状況を理解してた。
なぜここにいるのか。なぜ銃に取り付けられたスコープで反対側のビルの窓を覗くのか。なぜスコープの先にいる男の頭に標準を合わせるのか。その全てを漠然と理解していた。
憎い。スコープの先にいるあの男が憎い。あいつが着ている白いシャツにすら苛立ちを覚える。早くその白いシャツを自らの血で真っ赤に染色してやりたい、と指先が疼く。
しかしまだその機ではないことを私は分かっていた。
「ニック、まだ準備はできないのか……!」
私は耳に付けられた小型の無線機で仲間に呼びかける。ニックという人間には覚えはなかったが、今はそんなことはどうでもよかった。
「もう少しだアレックス。そろそろ配置に着く」
アレックス? 私はそんな名前だったか……いや今はいい。
「了解」
短く言い、無線を切った。
スコープ先の男が葉巻を口に咥えて窓から外を眺める。
「ニック、今なら確実に奴の額を撃ち抜ける!」
またも無線に呼びかける。
「待て! そう焦るな。ブラボーチームがまだ配置に着いていない。今撃てば彼女を救う計画が台無しだぞ!」
ニックの彼女という言葉で私は思い出した。頭に一人の女性が浮かんで、私に微笑む。
彼女の名前は分からない。ただ分かるのは、大切な人だという事だけだった。
私は何としてでも彼女を救わなくてはならない。
右腕に着けた腕時計を確認する。午後二時四十分。
あれから四十六時間経つ。タイムリミットまで後二時間。しかし私は四十六時間前がはっきり思いだせないでいた。
わだかまりを残しながらも再び銃を構える。
あの男はまだ葉巻を吸いながら景色を眺めている。
私は天候の確認をした。
狙撃手に取って一番の敵は地球その物だ。風、重力、時には地球の自転によって生み出されるコリオリも考慮しなければならない。もちろん撃った後も然りだ。この『シャイタックM200』と呼ばれる銃には、一応消音装置が着けられているが、標的が撃たれた角度から撃った位置はすぐに分かってしまう。すぐにでもあの男のガードマンが私のビルに駆けつける事だろう。
しかしそれは事後の事だ。私が逃げる時間は作戦上十分にあるだろうが、彼女を助ける事が出来るならば死んでも構わない、と私は思っている。
今日は晴天だ。風はない。五百メートル程度の距離ならばコリオリの心配もしなくていいだろう。重力もそこまで考えなくてもいい。絶好の狙撃環境だった。
不意に無線からニックの声が聴こえる。
「アレックス。全てのチームが配置に着いた。お前の合図で開始だ。自分のタイミングで撃て」
私は短く「了解」と応えて無線を切った。
奴はまだ窓際で葉巻を吸っている。
私は深呼吸して心を落ち着かせた。ゆっくりと右手人差し指を引き金に掛ける。スコープの標準を男の額に合わせた。
そして彼女の事を想った。
今助けてやる、加奈英!
心でそう叫び、引き金を絞る。
瞬間、バシュッという音が聴こえ、スコープ越しにはっきりと見た。放たれた弾丸が窓を割り、割れたガラスの破片が地面に落ちる前に男の額を撃ち抜いた瞬間を。
男が白いシャツを赤く染めながら倒れるのと無線から「突入! 突入!」とニックが言ったのは同時だった。
男の死を確認した私は、念のため銃のボルトを引き次の弾丸を装填してニックの報告を待った。
しばらくしてニックから無線が入る。
「……ご苦労だったなアレックス」
ニックの声がやけに近く感じた。
はっ、として振り向く。
そこには、私と同じ黒い戦闘服に身を包んだニックがいた。マシンガンをこちらに構えている。
腰のハンドガンを抜く隙がないと思った私は、今まで構えていた狙撃銃を彼に向けようとした。
パパパッ
ニックのマシンガンが火を噴き、私の胸を撃ち抜いた。
不思議と痛くはないが私は倒れる。
倒れた私にニックは近づいて、顔に銃口を向けた。
待てよ……彼の顔には見覚えがある。彼は私の友人の和――
――夢の運び人は空から男を見てくすくすと笑っていた。
男は額の汗を拭い、呼吸を整える。
「ゆ、夢か……」
そう一人呟く。
夢の運び人は遂に笑い声を挙げた。誰かに聞かれる訳でもないが、聞こえていたら相当うるさいだろう。
「まさか和也が……いや、ただの夢だ」
男はそう洩らして、その日を普通に過ごした。
その夜、男が結婚を申し込んでいた女性が、別の男と腕を組んで楽し気に歩いているのを男が見てしまったのはまた別の話。