「哀の川」 第二章 変化
タクシーを拾って混雑している道路をホテルに向かうより、今夜はクリスマスイルミを眺めながら、はずれまで歩こうと麻子は言った。風はあったが寒さはそれほど感じさせなかった。どこからか井上揚水のリバーサイドホテル♪が聴こえて来た。甲高い声で耳に突き刺さる。切ないそのメロディーに直樹は繋いでいる手を強く握った。ボディコンのファッションに毛皮のコートを羽織っている麻子はどこから見ても子供が居る人妻には見えなかった。少し歩き疲れて、やはりタクシーを拾う事にした。乗り込んで、麻子は運転手に「新高輪プリンスへ」と告げた。
「レストランは8時に予約してあるから、まだ大丈夫よね。混んでるみたいだけど、間に合いますよね?」運転手は大丈夫と返事した。
「どんなところ?聞いたことあるホテルだけど・・・」
「よく芸能人が結婚式やるでしょ、お部屋にバルコニーが付いているのよ」
「へえ〜、そうなんだ。楽しみ」
後部座席で二人はピッタリとくっついていた。運転手が話しかける。
「お客さんたちはどちらからお見えなんですか?」
「渋谷なの、近いでしょ」
「そうでしたか、私も渋谷なんですよ!偶然ですね」
「ボクは高田馬場です」
「こりゃ奇遇だ!営業所は高田馬場なんですよ!」
「こういうこともあるんですね・・・広い東京で」
直樹はなんだか感心してしまった。縁って不思議だとも思った。車は山手通りを五反田から品川に走らせていた。8時少し前にホテルに着いた。チェックインを済ませて、荷物を預けそのまま予約してあるレストランへ向かった。コートをクロークに預けてウェストがきゅっと締まったボディコンの麻子は直樹の視線を釘付けにした。すでに見慣れている身体も今日は別人のように映っていた。
レストランはクリスマスの予約客でほぼ満席だった。ゆったりとした空間の場所ではあったが、少し話し声が騒がしく感じる印象を受けた。案内されて席に向かう途中で声をかけられた。
「中西さん!こんばんわ。ご無沙汰してます。こんなところでお会いできるなんて・・・あっ、そちらは斉藤様・・・そうでしたか・・・」
「あら!大橋さん、こちらこそご無沙汰をしております。先日はお電話でご無理お聞き戴きありがとうございました。ご存知ですよね?こちらは斉藤さん」
「こんばんわ!先日はありがとうございました」
「そうだ、お食事の後でバーでご一緒しませんか?妻も同席させて頂きますが・・・いかがです?」
直樹のほうを見て目で合図した。
「はい、喜んで。ではロビーで待ち合わせしましょう」
「楽しみですね。では、後ほど・・・」
偶然とはいえ、ここで大橋に会うとは思わなかった。主人と同級生なのだ。中小企業診断士として大橋と同じ事務所で以前は働いていた。何となく気乗りしなかったが、これも運命だろう。乗った船は流れに逆らわずに漕がないと転覆する。直樹を紹介した大橋とここで出会うことは決まっていたことなのだろう・・・そう思うことにした。
席について二人はシャンパンで乾杯した。カチン!と良い音が響く。
「麻子!メリークリスマス!」
「直樹!メリークリスマス!そして、ありがとう!直樹が好き」
「ボクもだよ。大好き」
運ばれてくるコース料理は今日のために用意された最高のメニューだ。そのどれもが直樹には始めて口にする美味しさだった。一つしかないスーツを汚さないように、ゆっくりと味わっていた。
作品名:「哀の川」 第二章 変化 作家名:てっしゅう