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美しの森物語

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笛太鼓は拝殿の両脇に、獅子は鳥居の前に陣取り、練り込みの合図を待っている。 拝殿では礼服姿の総代達が正座をして獅子頭の奉納を待っている。
太鼓を合図に 獅子を神殿の前に引き出して頭の奉納になるのだ。
どうした事か、いつまでも練り出しが始まる気配がない。 観衆も騒いでいる。 堪らず拝殿から総代の一人が出て来た。
何かしら太鼓の人と話していたが、近くの太鼓を連打させた。 それを合図にようやく笛太鼓のお囃子が始まった。 団長達は仕方なくそれに従った。
何回も何回も笛太鼓が気勢いを挙げるが、それでも獅子は鳥居の前を動かない。 ただ頭を左右に振っているだけだ。
少し 間が抜けて来た。
本殿に正座している総代達の緊張も無くなり、一人二人と席を立った。 数人の長老達が薄暗い拝殿の隅に集まって、何やら話しているのが博司のところから 見えた。
そのうちに、笛のところまで事情が伝わって来た。 『獅子の連中が抵抗している』と言うのだ。 昭夫がすぐに『団長は長老達と手打ちをしたけれど腹の虫が収まらないので、獅子の連中を焚きつけて 無理矢理時間をかけているのだ』と解説した。
何だか面白くなったと博司は思った。 そして『昔からこんな事が繰り返されて来たに違いない。日本武尊が此処に来た頃も、いやそれ以前から 庶民はこうして逞しくしたたかに抵抗しながら、そして哀しく迎合して来たに違いない』と思った。
時間がたち、根負けした獅子連たちは一気呵成に拝殿に踏み入り、獅子頭が奉納された。
痺れを切らした総代達が平静を振る舞う格好が、博司には可笑しく写った。
神殿の横の舞台では、拝殿の神事をよそに青年団の演芸が始まった。
博司は 観客の中に入って行った。 若者達の勢いは 益々盛り上がって いった。



綾子と会ったのは祭のあとの日曜日だった。 朝からの雨が湖面を叩いている。
「お祭り大変だったのね。 父もぐったりなのよ。 ひどい人達ね、今年の若い人達は。」
綾子は軽蔑するような目で博司を見た。 綾子の父はお祭りの祭祀だったのだ。
しばらく沈黙が続いた後、綾子が言った。
「博司くん私ね、結婚するの。 同じバスで東京へ行ったこと あったでしょ。 あの時デートだったの。 大学時代からの友人よ。 教員をしているのよ、彼。」
そうか、お嫁さんになるんだ。 そうか。 博司はただそうなのだと、現実を受け止めることに集中した。
映画音楽が流れている。 甘い調べがせつなかった。
「それからこれが西行さんの書よ。 写真大きく引き伸ばしてあるからね。」
大きな封筒を博司に渡した。
「式は来春よ、でも来月から 東京へ行くの。 お別れね。 雨、止むかしら。」
今日も綾子は自分の言いたい事が済むと、飲み残しのコーヒーを後に席を立った。
博司は封筒の中の写真を出した。
三頭の親子馬の画と文字が描かれてあったが 博司には読めなかった。
同封の便箋には、

神祇道ハ我国ノ大租ナレバ
糸竹ノ直ナランコトムネニタエナカラン

駒ガ嶽スソ野ノ森ニ来テ見レバ
小町ガ家ニハヤス七草

と綾子の字で書かれてあった。
博司はそれを見ながら、ひろこから来た御礼の手紙に書いてあった事を思い出していた。
それは二人が九州阿蘇の幣立神社にお参りした時、神社で
『その昔、九州の神さまが信濃に行って帰って来ないが、今九州が大変だから帰る様に伝えて欲しい』
と言われたというのだ。
そこで早速に視たけれど、阿智にも美女ヶ森にも神様はいなかった。 よくよく視たら戸隠に居たので、ひろこは戸隠まで行ってその言葉を伝えた。
そしたら戸隠の山に寝ていた神さまは、すっ飛んで九州に帰って行った、という事だった。

『そうか、美女ヶ森に神様は居なかったんだ。 願いごと叶わず、か!』


作品名:美しの森物語 作家名:史郎