遼州戦記 保安隊日乗 番外編 2
「だって俊平は特に味とか気にしないんでしょ?」
「それはそうなんだけどな……もったいないような食べたいような……」
ヘルメットを脱ぐシャムをちらちらと見ながら吉田はただ箱を抱えているだけだった。
「ご飯作んなきゃね」
そのまま手のヘルメットを座席の下の開いたところに入れて鍵を閉めるとそのままシャムは奥の隊の所有する車両置き場の隣の大きな檻に向かって歩いた。
「わうー」
大きな熊の声が響く。シャムは笑顔で檻に手を入れると巨大なヒグマグレゴリウスはうれしそうに彼女の手をなめていた。
「俊平!開けてあげて!」
シャムの言葉に街灯の下で吉田は渋い顔をした。
「こいつ俺のこと嫌いだからな……」
「そんなことないよ!ねえ!」
「わう!」
大好きなシャムの言葉にうなづいているように見えるグレゴリウス。それを見ながら苦笑いを浮かべつつ吉田は電子ロックを解除した。
グレゴリウスはしばらく周りを見渡す。全長五メートルの巨体だが、コンロンオオヒグマとしては子供のグレゴリウスはただびっくりしたように慎重に歩き始めた。
「じゃあアタシはグレゴリウスのご飯を作ってくるから!」
「おい!待て!」
シャムがそのまま裏手の倉庫に向かったときにすぐにグレゴリウスは吉田に襲い掛かった。
「馬鹿!糞熊!」
サイボーグらしく間一髪でかわす吉田。だがグレゴリウスはうれしそうに右腕を振り上げる。
「こいつ!俺を殺す気か!」
「こんなもんじゃ死なないからやってるんだろ?」
「うわ!」
突然背中から声をかけられて吉田はバランスを崩した。その顔面に突き立てられそうになったグレゴリウスの右腕だが寸前で止まり、そのままおとなしく地面についた。
「隊長……見てたなら止めてくださいよ」
じりじりと後ろに下がっていくグレゴリウスを警戒しながら吉田は声の主のほうに目を向けた。
着流し姿の保安隊隊長嵯峨惟基特務大佐のすがたがそこにあった。
「だってさあ……楽しんでいるように見えたから」
「俺のどこが楽しんでたんですか!」
「いや、お前じゃなくてグレゴリウス君がだよ」
「わう!」
嵯峨の言葉をまるで理解しているようにグレゴリウスがうなづいた。
吉田は真剣な表情で襲いかかろうとする熊をにらみ付けた。グレゴリウスは近くに仲良しと思っている嵯峨がいることもあって殊勝な表情で腰を下ろして座った。
「なに?何かあったの?」
シャムが手にボールを持ちながら現れる。ボールの中にはりんごや先ほどさばいた鮭の切り身が入っていた。うれしそうにそれを見るグレゴリウス。
「はい、朝ごはん」
そう言うとシャムはグレゴリウスの前にボールを置いた。
「キウ……」
「食べて良いよ」
シャムの一言を聞くとうれしそうにボールに頭を突っ込む。その無邪気な姿にさすがの吉田も牙を抜かれたように肩の力を抜いた。
「それより……隊長、また泊まりですか?」
「悪いか?」
「悪くはないですけど……たまには同盟会議のネットワークと接触できる端末から離れてもいいじゃないですか」
吉田の言葉に嵯峨はポケットから紙タバコを取り出しながら苦々しげに微笑む。
惑星遼州のもっとも伝統のある国家遼南帝国。その皇帝を務めていた嵯峨だが堅苦しいのが嫌いだということで国内が安定すると宰相の位を政敵であるアンリ・ブルゴーニュ首相に与えて退位を宣言して下野した。
だがその奇妙な行動に不信感を持っていたブルゴーニュと嵯峨のシンパ達は退位の無効を議会で議決して名目上は嵯峨はまだ遼南帝国皇帝の地位にあることになっていた。こうして嵯峨が皇帝在位中に遼州に領土を持つ国の参加した遼州同盟の司法特殊部隊『保安隊』の隊長に就任してからも両派から新法の提出前に嵯峨にお伺いを立てるのが日常となっており、嵯峨にとっては隊長の仕事よりも遼南の新法の修正に比重が置かれることになっていた。
「アイツ等も結構必死だからね……経済状況は先月の遼南元の切り上げで悪化するのは間違いないんだ。誰にでもすがってなんとか乗り切りたいんだろうな」
「それは遼南政府の仕事でしょ?」
「まあ……皇帝退位が認められないとねえ」
とぼけたようにそう言うと嵯峨はタバコに火をつけた。
嵯峨のタバコが赤く光りだすと同時に空が白んでいくのがわかる。
「日の出だね」
シャムの言葉に一時食べるのを止めたグレゴリウスがシャムを見つめた。
「もう!かわいい!」
そう言うとシャムは巨大な熊の頭にしがみついた。うれしそうに舌をだして喜ぶグレゴリウス。それを眺めながらのんびりと嵯峨はタバコをくゆらせた。
「しかし……この状況がいつまで続くんですかね」
「俺のこと心配しているのか?いい部下を持ったもんだなあ」
「そんなことないですよ。法術がらみのごたごたの話です」
嵯峨の様子を見ながら吉田がつぶやく。それには嵯峨は答えるつもりはないというように上空にタバコの煙を吐き出した。
そんなシャム達に近づく影があった。
金髪の耳まで見えるようなショートヘアーの女性仕官。整った顔に浮かぶ二つの青い瞳の鋭さがその人物がそれなりの修羅場を経験した戦士であることを印象付ける。
「おはようございます、大佐」
いったん軽くとまった女性仕官、マリア・シュバーキナ中佐はまるで敬意のこもっていない敬礼を嵯峨にするとそのままグレゴリウスが食事をするのを眺めているシャムの隣にまで来た。
「ああ、マリアお姉さん。何?」
「昨日頼まれていた件だ。残したのは16名だ」
マリアの話にシャムはしばらく天を見上げた後思い出したというように手を打った。
「ああ、畑仕事のお手伝いね。ありがとう。でも……」
「ああ、古株の連中は家畜小屋の掃除をさせてる。まあ軍警察関係者がヤギに引っ掛けられて労災だって訳にはいかないからな」
そう言うとようやくその戦いの女神というような硬い表情に少しばかりやわらかい笑みが浮かんできていた。
「それじゃあ……行くよ!グリン!」
シャムはそう言うとグレゴリウスの首輪をはずした。当然吉田はそれを見てすぐに止めようとするが向かってくる巨大な熊を相手にしてさすがにかなわないと悟って走り出す。うれしそうな表情を浮かべたグレゴリウスもその後を追う。
「いいねえ、朝から運動」
「でも俊平はサイボーグでしょ?」
「関係ないよ。運動することはいい事だ……俺は宿直室で寝ているから。シュバーキナ。何かあったら」
「了解しました」
去っていく部隊長に敬礼するマリア。それを真似してシャムも後姿だけの上官に敬礼をする。
「それじゃあもうそろそろ始めるか」
そう言うとマリアがシャムの頭をたたく。小柄なシャムはそれに笑顔で答えるとどんどん部隊の隊舎に向けて歩き出した。
「寒いな」
「そうね、寒いね」
二人の吐く息が白くなっているのが照り始めた朝日の中に見える。ちょっとグラウンドのほうに目を向ければグレゴリウスに反撃しようとバットを振り回している吉田の姿があった。
「あれが伝説のハッカーの姿かね」
「いいじゃん、身近に感じられて」
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 番外編 2 作家名:橋本 直