もしも翼があったなら
「はあ~、やっぱりウイングの新曲はいいわねえ~」
紀羅々は教室で溜息をついた。放課後の休み時間、紀羅々は今、売れに売れているバンド、『ウイング』の新曲、『僕に翼があったなら』に夢中になっていた。
「またあ、キララ。もうその話やめてよ~」
親友の絵梨が別の意味で溜息をつく。
「毎回毎回こっちは聞き飽きてるんだって。ウイングなんてつまんないわよ。早く卒業して、ちゃんと受験のこと考えたら?」
現実路線の絵梨は、勉強に集中していい高校に入学することが大事だと紀羅々に説く。しかし夢見がちの中学生紀羅々には、それが親の説教と同じものにしか聞こえなかった。
「つまんないこと言ってるのは絵梨よ。あたしの親かっつーの! 絵梨だって、少しは男に夢見ないと、将来つまんないのに引っかかるわよ!」
「それでけっこうよ」
絵梨は机の上にあった国語の教科書をパラパラとめくった。
「ほらまたそんなことする! 勉強と親友の話と、どっちが大事なの!」
「『どっちが大事なの』とかいう言い方は、ちゃんとした男の人は嫌いなはずよ」
「う! このぉ……!」
紀羅々はいつも現実を突きつけてくるこの親友に悔しさを覚えていた。中学生というのは、ちょうど夢を見たい年頃なのだ。それを否定されることに対して紀羅々は憤慨していた。
「ま、いいのよ。こういう現実の辛さをウイングは癒してくれるのよ。僕の背中に~♪ ああ、翼があったなら~♪」
「ちょっとやめてよ、恥ずかしい! あんたの声、美声だから余計恥ずかしいのよ!」
「あたしの声を馬鹿にするのはやめてよ!」
二人の会話は毎度毎度こういうものだった。クラスの女子はそんな二人に「仲いいねえ~」とよく言っていた。
翼がほしい。
どこまでもどこまでも飛んでいけるような。
そう思うのだ。
家に帰った紀羅々は、毎日ウイングのプロモーションビデオを見る。ボーカルのケイは、このバラードを切々と歌い上げる。バックのメンバーもその穏やかな音色を哀しくも美しく表現していた。
紀羅々は幻想の世界にどっぷりはまっていた。そしてその夜にはウイングの夢を見たのだった。
イントロが鳴り響く。曲が始まる。ケイが透明な声で歌い始め、メンバーの奏でる音は細やかに絡み合ってゆく。
そして真っ白な天使が舞い降りてくるのだ。ケイはその天使に向かってサビの部分を歌った。
「僕の背中に、ああ、翼があったなら」
柔らかな手で天使はケイの頬にそっと触れる。するとメンバー全員に真っ白な翼が生えた。ウイングはさらに熱く演奏し熱唱する。そして天使と共にきらめく紫色の空に舞い上がっていくのだった。
ウイングのプロモーションビデオの夢だった。いい夢を見た。窓から光が差し込む。雀もちゅんちゅん鳴いている。いい朝だと思った。
のもつかの間。なんだか首の辺りがやけに苦しい。なんだろう。そう思って紀羅々は首に手をやった。
触ってみると、パジャマの首の部分が自分の首を絞めているようなのである。紀羅々は焦ってパジャマの前ボタンをはずした。そして起き上がりかけたその時。
「え?」
重いのである。体がやけに重い。動かないのだ。
「なになに?」
紀羅々の頭はパニックになった。金縛り? いや、でもボタンははずせたはずだ。紀羅々は勢いをつけて頑張って起き上がってみた。すると。
「バサ……」
変な音がしたのである。
「なに、『バサ』って……」
背中に違和感を感じた。それはものすごく嫌な予感をよぎらせた。首をゆっくりと後ろへ回してみる。そこにあったものは……。
『翼』であった。紀羅々の背中には立派な翼が生えていた。
「ぎゃあ――――!」
その大声で近所の犬がわんわんとほえ始めた。
「どうしたの、キララちゃん!」
二階にある紀羅々の部屋に飛んできたのは、一階の台所でお弁当を作っていた母だった。母親は紀羅々の真っ白な翼を見て「あらあ~」と頬に手を当てた。
「どうしよう……。どうしよう、お母さん」
紀羅々は半べそをかいている。母親は「う~ん」と首をかしげてからこう言った。
「ほら、キララちゃん、ウイングみたいな鳥人間になりたいって言ってたじゃない」
「誰が鳥人間よ!」
紀羅々は涙がすっ飛ぶほどの勢いでツッコんだ。
「これ! この翼、どうしようって言ってんの!」
「そうねえ~」
母は辺りをきょろきょろと見回した。
「あったあった。これよ」
そう言って母親は机の上にあったペン立てからハサミを取り出した。
「ちょっとやめてよ! ハサミってどういうことよ!」
「いやあね、冗談よ、ホホホ」
笑った母親はハサミをペン立てにシュッと投げた。
「ガラガラガッチャ――ン!」
ハサミは当然入らなかった。
「そういう当たり前のミス、しないでくれる!」
そんなやりとりをしているところに、一階に寝ていた父親がのっそりと階段を上がってきた。
「おおい、キララ。朝から何叫んどるんだ? お、翼が生えたのか?」
「そうよ、お父さん、どうすればいいの?」
紀羅々はまた涙ぐんだ。父親は背中の翼に顔を近づけた。
「あ、翼って臭くないんだ」
「臭くないわよ!」
紀羅々の涙はまたもや吹っ飛んだ。
紀羅々の家族はのんきに朝食を食べている。しかし、のんきに食べているのはもちろん父と母だけだ。紀羅々は息も絶え絶えに階段を降りてきて、やっとテーブルについたところだった。
「はい、野菜ジュース」
母親は毎朝の一杯を出してくれた。それをなんとかごくりと飲み込む。紀羅々は毛布を羽織っていた。普通の服が着れないからだ。
「まったく、どうしてこんなもんが生えてきたのかしら」
紀羅々はげんなりした。
「パンと目玉焼きは食べる?」
母親が聞いてきた。
「いらないわ」
すると父親がこう言った。
「まあそう落ち込むな。とりあえず様子を見てみたらどうだ? 気晴らしに絵梨ちゃんにでも電話するか?」
「絵梨ね……」
紀羅々の頭には自分の話を思い切り不信がる絵梨の顔が浮かんだ。でもわらをもつかむ思いだ。突破口はもしかして絵梨が握っているのかもしれない。そう思って、紀羅々は自分の部屋から携帯で絵梨に電話した。
「はい、もしもし」
「あ、あたしよ、キララよ」
「わかるわよ、その変な声で」
相変わらずかわいくない奴だ。紀羅々は相談するのをためらった。しかし、いい案がふと浮かんできた。
「実はさ、昨日家で骨折しちゃったのよ。だから登校すんの手伝ってくれない?
鞄持ちやってほしいんだ」
絵梨は驚いた声を出した。
「え! あんたが骨折! 分かった。すぐ行くから」
紀羅々はほっとした。ここに心の友がいた。絵梨にならすべてを打ち明けられるわ! そう思ったのである。
十五分後、絵梨が紀羅々の家に到着した。そして翼を見ての第一声はこんなものだった。
「なんのおふざけ?」
絵梨が顔をしかめた。セーラー服から出た細い足は大股に開かれてこちらを威圧している。
「たしか骨折してるって言ってたわよねえ。あれは何? ついでにそれは何?」
紀羅々は教室で溜息をついた。放課後の休み時間、紀羅々は今、売れに売れているバンド、『ウイング』の新曲、『僕に翼があったなら』に夢中になっていた。
「またあ、キララ。もうその話やめてよ~」
親友の絵梨が別の意味で溜息をつく。
「毎回毎回こっちは聞き飽きてるんだって。ウイングなんてつまんないわよ。早く卒業して、ちゃんと受験のこと考えたら?」
現実路線の絵梨は、勉強に集中していい高校に入学することが大事だと紀羅々に説く。しかし夢見がちの中学生紀羅々には、それが親の説教と同じものにしか聞こえなかった。
「つまんないこと言ってるのは絵梨よ。あたしの親かっつーの! 絵梨だって、少しは男に夢見ないと、将来つまんないのに引っかかるわよ!」
「それでけっこうよ」
絵梨は机の上にあった国語の教科書をパラパラとめくった。
「ほらまたそんなことする! 勉強と親友の話と、どっちが大事なの!」
「『どっちが大事なの』とかいう言い方は、ちゃんとした男の人は嫌いなはずよ」
「う! このぉ……!」
紀羅々はいつも現実を突きつけてくるこの親友に悔しさを覚えていた。中学生というのは、ちょうど夢を見たい年頃なのだ。それを否定されることに対して紀羅々は憤慨していた。
「ま、いいのよ。こういう現実の辛さをウイングは癒してくれるのよ。僕の背中に~♪ ああ、翼があったなら~♪」
「ちょっとやめてよ、恥ずかしい! あんたの声、美声だから余計恥ずかしいのよ!」
「あたしの声を馬鹿にするのはやめてよ!」
二人の会話は毎度毎度こういうものだった。クラスの女子はそんな二人に「仲いいねえ~」とよく言っていた。
翼がほしい。
どこまでもどこまでも飛んでいけるような。
そう思うのだ。
家に帰った紀羅々は、毎日ウイングのプロモーションビデオを見る。ボーカルのケイは、このバラードを切々と歌い上げる。バックのメンバーもその穏やかな音色を哀しくも美しく表現していた。
紀羅々は幻想の世界にどっぷりはまっていた。そしてその夜にはウイングの夢を見たのだった。
イントロが鳴り響く。曲が始まる。ケイが透明な声で歌い始め、メンバーの奏でる音は細やかに絡み合ってゆく。
そして真っ白な天使が舞い降りてくるのだ。ケイはその天使に向かってサビの部分を歌った。
「僕の背中に、ああ、翼があったなら」
柔らかな手で天使はケイの頬にそっと触れる。するとメンバー全員に真っ白な翼が生えた。ウイングはさらに熱く演奏し熱唱する。そして天使と共にきらめく紫色の空に舞い上がっていくのだった。
ウイングのプロモーションビデオの夢だった。いい夢を見た。窓から光が差し込む。雀もちゅんちゅん鳴いている。いい朝だと思った。
のもつかの間。なんだか首の辺りがやけに苦しい。なんだろう。そう思って紀羅々は首に手をやった。
触ってみると、パジャマの首の部分が自分の首を絞めているようなのである。紀羅々は焦ってパジャマの前ボタンをはずした。そして起き上がりかけたその時。
「え?」
重いのである。体がやけに重い。動かないのだ。
「なになに?」
紀羅々の頭はパニックになった。金縛り? いや、でもボタンははずせたはずだ。紀羅々は勢いをつけて頑張って起き上がってみた。すると。
「バサ……」
変な音がしたのである。
「なに、『バサ』って……」
背中に違和感を感じた。それはものすごく嫌な予感をよぎらせた。首をゆっくりと後ろへ回してみる。そこにあったものは……。
『翼』であった。紀羅々の背中には立派な翼が生えていた。
「ぎゃあ――――!」
その大声で近所の犬がわんわんとほえ始めた。
「どうしたの、キララちゃん!」
二階にある紀羅々の部屋に飛んできたのは、一階の台所でお弁当を作っていた母だった。母親は紀羅々の真っ白な翼を見て「あらあ~」と頬に手を当てた。
「どうしよう……。どうしよう、お母さん」
紀羅々は半べそをかいている。母親は「う~ん」と首をかしげてからこう言った。
「ほら、キララちゃん、ウイングみたいな鳥人間になりたいって言ってたじゃない」
「誰が鳥人間よ!」
紀羅々は涙がすっ飛ぶほどの勢いでツッコんだ。
「これ! この翼、どうしようって言ってんの!」
「そうねえ~」
母は辺りをきょろきょろと見回した。
「あったあった。これよ」
そう言って母親は机の上にあったペン立てからハサミを取り出した。
「ちょっとやめてよ! ハサミってどういうことよ!」
「いやあね、冗談よ、ホホホ」
笑った母親はハサミをペン立てにシュッと投げた。
「ガラガラガッチャ――ン!」
ハサミは当然入らなかった。
「そういう当たり前のミス、しないでくれる!」
そんなやりとりをしているところに、一階に寝ていた父親がのっそりと階段を上がってきた。
「おおい、キララ。朝から何叫んどるんだ? お、翼が生えたのか?」
「そうよ、お父さん、どうすればいいの?」
紀羅々はまた涙ぐんだ。父親は背中の翼に顔を近づけた。
「あ、翼って臭くないんだ」
「臭くないわよ!」
紀羅々の涙はまたもや吹っ飛んだ。
紀羅々の家族はのんきに朝食を食べている。しかし、のんきに食べているのはもちろん父と母だけだ。紀羅々は息も絶え絶えに階段を降りてきて、やっとテーブルについたところだった。
「はい、野菜ジュース」
母親は毎朝の一杯を出してくれた。それをなんとかごくりと飲み込む。紀羅々は毛布を羽織っていた。普通の服が着れないからだ。
「まったく、どうしてこんなもんが生えてきたのかしら」
紀羅々はげんなりした。
「パンと目玉焼きは食べる?」
母親が聞いてきた。
「いらないわ」
すると父親がこう言った。
「まあそう落ち込むな。とりあえず様子を見てみたらどうだ? 気晴らしに絵梨ちゃんにでも電話するか?」
「絵梨ね……」
紀羅々の頭には自分の話を思い切り不信がる絵梨の顔が浮かんだ。でもわらをもつかむ思いだ。突破口はもしかして絵梨が握っているのかもしれない。そう思って、紀羅々は自分の部屋から携帯で絵梨に電話した。
「はい、もしもし」
「あ、あたしよ、キララよ」
「わかるわよ、その変な声で」
相変わらずかわいくない奴だ。紀羅々は相談するのをためらった。しかし、いい案がふと浮かんできた。
「実はさ、昨日家で骨折しちゃったのよ。だから登校すんの手伝ってくれない?
鞄持ちやってほしいんだ」
絵梨は驚いた声を出した。
「え! あんたが骨折! 分かった。すぐ行くから」
紀羅々はほっとした。ここに心の友がいた。絵梨にならすべてを打ち明けられるわ! そう思ったのである。
十五分後、絵梨が紀羅々の家に到着した。そして翼を見ての第一声はこんなものだった。
「なんのおふざけ?」
絵梨が顔をしかめた。セーラー服から出た細い足は大股に開かれてこちらを威圧している。
「たしか骨折してるって言ってたわよねえ。あれは何? ついでにそれは何?」
作品名:もしも翼があったなら 作家名:ひまわり