刻の流狼第四部 カリスアル編【完】
「ベリザはあんなだけど、いい奴だ。まあ俺から言わせると、あいつにはお前は勿体ないけど、俺の次にはお前の事を大事にしてくれると思えるし……」
シャリノは今まで一度も言った事の無い話を、世間話の様に妹に聞かせ、少しずつ震えだした彼女の体を感じた。
「何……言ってるの……?」
ミシャールは唇を震わせながら、シャリノの膝に掛かっていた彼の髪を掴んだ。
「どうしてそんな事言うの? 変だよ……」
「変か? 年頃の妹の心配しているだけなのにな」
軽い笑いを交えるシャリノの腕をミシャールは振り払う。そして震えそうになる声に力を込めた。
「ふざけないでよ! 何が年頃よ、今までそんな事一度も言わなかったじゃない。お兄ちゃん変だよ。まるで……」
「まるで?」
「………」
「兄ちゃんが死ぬと思ったのか?」
涙を溜めたミシャールに笑い掛けながら、口にしたのは彼女が言えずに胸の奥にしまおうとした言葉だった。
その言葉にミシャールは何度も首を振ったが、その表情は違っていた。
「馬鹿だな、お前を残して兄ちゃんが死ぬわけないだろ?今のは確認だよ」
一筋だけ頬に伝ったミシャールの涙を指先で拭い、慰める様に頬を撫でる。
「お前がベリザの事が好きなら、俺も一寸は我慢してやろうかなってな。なんせ俺が一番に考えてるのは、お前の幸せだからな」
「嫌! 我慢しなくていい! あたしも一番に考えてるのは、お兄ちゃんなんだから、お兄ちゃんのしたい様にして」
「良いのか? 兄ちゃん手加減しないぞ?」
「お兄ちゃんは、あたしがベリザの所に行って良いんだ。あたしの事が要らなくなったんだ。だからそんな事言うんだ」
握ったの髪を引っ張り、ミシャールは怒った様にそっぽを向く。
シャリノは子供みたいに頬を膨らませてまで怒る妹に、少しだけ困った。
ミルナリスの話を聞き、考えた末にそれを引き受けたが、確実性の無い話しには流石に準備が必要だろう。
シャリノに必要な準備はミシャール以外に無く、そしてそれが思いっきり厄介だった。
互いに大切に思うあまりに依存している関係な事を、誰に言われなくても理解している。無論その関係を終わらせるつもりなど露程にも無いが、妹を大切に思えばこその兄としての立場もあった。
しかしそうした思いがあっても、目の前で膨れている彼女を見れば、どうにもならない感情が大きくなってしまう。
「兄ちゃんからお前を取ったら何が残るんだよ。要らない訳が無いだろ。判った、ベリザの奴には渡さない。約束する」
ミシャールの頭を撫でながら顔を向けた彼女に笑い掛けると、疑わしい眼差しが向けられて苦笑に変わる。
「約束だよ?」
「ああ、約束だ。お前はずっと俺だけの妹だ」
「お兄ちゃん!」
感情の発露をそのまま態度で示したミシャールに抱き締められ、シャリノはソファーに押し倒された。
「ミシャール……兄ちゃんを押し潰す気か…」
言葉の割には嬉しい顔を浮かべて、シャリノはミシャールの頭を撫で続けた。
胸に潜む不安と、それに伴う葛藤を捨て去り、今は妹と過ごす時間だけに集中する事に決めるのは、意外と簡単だと思う。
ミルナリスに頼まれた事自体に興味は無かった。事のあらましを聞かされた訳ではないが、それに自分が関わらなければならない理由も無い。
適当な偽善者的な考えで協力を口にしたのは、彼がきっかけを求めていたからだ。
「兄ちゃんは、何時までもお前だけの兄ちゃんだよ」
今の状態には慣れているし、何かと都合は良い。しかし、そう思える様にしてきただけだ。心だけが大人になって、止まったままの体に苛立たない事は無い。
この姿のまま老いていくのを考えると、耐えられない時もある。
だから今回のきっかけに自分から飛び込んだ。
もしそれが、この身を破壊する結果をもたらしても良いと思える程まで、大切な者を包み込む為の己の腕の小ささに、シャリノは我慢出来なくなっていた。
episode.38 fin
作品名:刻の流狼第四部 カリスアル編【完】 作家名:へぐい