刻の流狼第三部 刻の流狼編
子供の姿では似合わない仕種も、年期の入った仕草から妙に似合っている。しかも落ち着いた動作でズボンの後ろポケットから煙草を取り出すと、慣れた手つきで火を灯す有様だ。
「あんた一体何歳な訳?」
「俺か? 確か……今年で三十二かそこらになった筈だな。まっ、見てくれはこの通り、九つの時で止まっているけどよ」
「三十二……まじかよ…」
須臾は驚きながらシャリノの頭から足まで何度も観察し、シャリノはそれを煙草を銜えてしたい様にさせていた。
奇異な目で見られるのは慣れているし、須臾の視線が気に障る程度でもないと思ったからだ。
「言っとくけど、俺は亜人様じゃねぇぜ。ミシャールと俺は、正真正銘同じ腹から産まれた兄妹だ。途中で混じった種族はわかんねぇが、別に長命でもない。これはオレアディス様に、俺の時間を渡した所為だ」
「時間を渡した?」
耳慣れない言葉を復唱する須臾にシャリノは煙草の煙を吐き出し、顔には年相応を感じさせる笑みが浮かぶ。
「ああ、だが此処から先は、俺の質問に後でお前が答えるって条件なら、話してやる。どうだ?」
シャリノは煙草を燻らせてながら、一癖も二癖もある表情で言葉を躊躇っている須臾を睨め付けた。
――なんか、幕巌を思い出すな…。
須臾にはその感覚は好印象になる。
それぞれ立場は違っても、しっかりと自分の立場に腰を据えて居る。
一度だけ須臾は幕巌に、『二つも顔を持つのって疲れない』と聞いた事がある。それを彼は笑いながら、
『三つも持てねぇから二つにしただけだ。それによ須臾、全く違う個性の女だが、どっちも自分にゃぁ掛け替えの無い女が居るとするじゃねぇか、男ならそのどっちも命掛けて護りてぇと思うよな。俺にはこの酒場の店主も、傭兵団も欠かせねぇ女だったと言う訳よ。まあ、おめぇ見てぇなガキには、まだまだ女一人も護れねぇとは思うがな。とは言っても、この上等の女二人の所為で、本命に逃げられはしたがな。旦那の顔って言うのが、一番難しいのかも知れねえな』
今のシャリノと同じように煙草を燻らせて、冗談混じりに人生の重さを言葉にした。
確かに須臾には判らない言葉だった。けれど、こうなりたいと思わせる言葉だった。
まだ自分には他人の人生を支える事は不可能だと思うが、それを支えられる者の言葉は信用するに足る言葉になる。
その幕巌と同じ心を感じさせるシャリノを信用するのは、些かの苦労も感じなかった。
「判った。聞かれる事にはちゃんと答える。だから詳しく聞かせて貰えないかな」
揺らがない決断をした須臾の瞳を見て、シャリノは深く頷き短くなった煙草を梁で揉み消した。
恒河沙が子供が苦手なのは、思った事を直ぐに口にするからだ。
「あっ、変な目のお兄ちゃんだ」
そう言って自分を指差す子供に悪意は無いと判っていても、気分が良くなる訳でもない。
現に遊んでくれるのかと近寄ってくる子供達を、恒河沙は寄ってくる前に牽制した。
「生まれ付きなんだから仕方ねぇだろっ! うっとうしいからどっか行けよっ!!」
「っ! ……う…ひっく…」
八つ当たり気味に子供に大声を出し、その子が泣き始めると連鎖的に他の子まで泣き始めたしまった。
「……泣くなよ……、泣きたいの俺の方なんだから……」
苦々しく吐き出し、宥めるのも嫌だから足早に其処から逃げ出した。
子供の泣き声から逃げ出した先は、もっと逃げ出したい場所だ。たが折角決意したのだからと、必要以上に握り締めた拳を応接間の扉に叩き付けた。
「ソルティー、俺だけど、話出来ないかな」
聞こえている筈の部屋からは何も返事はなく、暫くして扉は開いたが姿を見せたのは、矢張りハーパーだった。
「何用だ」
「あの…ソルティーと話がしたいんだ」
「用件が在るなら我が聞こう」
「……ソルティーとは駄目なの?」
「否」
はっきりと言いきられ、やっぱりと恒河沙は肩を落とした。
ハーパーが隠す扉の隙間から中の様子を確かめても、其処にはソルティーの姿は見えない。ほんの少しでも、足の先でも居る事が確認できれば気分はまだ楽なのに、ソルティーの気配すら恒河沙には感じられなかった。
「何用だ」
恒河沙が此処に来た理由は判っているが、それに自分から触れる気はハーパーにはない。
「無いのならば――」
「俺なんかした? 俺、ソルティーを怒らす事なんかしたのか? したなら謝るから、ソルティーと会わせてよ」
その恒河沙の必死の言葉に、ハーパーは一瞬だけ嫌悪をその目に露わにした。
謝罪というのは、気持ちが込められていなければ何の意味も持たない。したかどうかも判らずに、ただ謝れば良いと言っている恒河沙の言葉が、ハーパーには軽薄な言葉にしか思えないのは当然の事だったろう。
「なあ、俺……」
「お主の部屋で話そう」
此処で恒河沙を責めるのは、ソルティーに話が聞こえてしまう。
それでは更に自分の主を苛んでしまうと思い、ハーパーは素早く廊下に出て扉を閉めた。
そのハーパーが離れ、扉が閉まる一瞬だけ恒河沙にソルティーの姿が見えた。
先刻思わず泣かしてしまった子供の怯える顔が、自分を見る彼の顔と重なって、取り留めのない不安が胸を締め付ける。
「行くぞ」
ハーパーが退き、今なら飛び込んでいける筈の扉を見つめ、足は先に行くハーパーに従っていた。
――どうしてだよ……。
あんな彼の顔は見た事がなかったし、見たくなかった。
恒河沙が見たいのは、強くて優しい所だけだ。
ソルティーが必死でそうしてきた事にも気付かず、恒河沙はただ彼の内面から目を背けていただけだった。
恒河沙を連れてハーパーが部屋を去ってからも、ソルティーは閉じられた扉を見続けていた。
部屋に誰も入れなかったのはハーパーの判断からだ。
しかしそれをソルティーは反対もせずに、扉越しにすら恒河沙に答える事が出来なかった。
たった一言さえも浮かばない。これまで恒河沙や須臾に語っていた言葉の全てが空虚な響きに変わり、今の自分が出せる言葉が見つからない。
ハーパーに胸の内を吐露してから、どんなに頑張っても、もう一度昨日までの“自分らしさ”が作り出せなかった。
――化けの皮が剥がれたな……。
外見に併せた考え方に言葉遣い。それは周囲が求める“らしさ”を演じる事だった。
父や母、そしてハーパーに恥を掻かせてはならない、名前に泥を塗ってはならない。そんな思いが強ければ強いほど、周囲の期待を自らの在り方に変え、気が付けばそうする事が普通になっていた。
時間は止まっているのに。演じていた物を全て破り捨てれば、残っていたのは何事にも臆病なただの子供と言うのに。
今の彼はある意味、本来の彼だ。
相手の反応を伺い、相手の望む事をする。そんな演じる大人ではない彼の本当の姿だ。
「……ごめん……」
扉から目を離し、両手で顔を覆う。
恒河沙が何を自分に望んでいるのか、どんな言葉を求めているのか判っている。
しかし、もうそれを演じる事が疲れて仕方がないのだ。
「何を泣いているのかしら?」
肩に触れた小さな手にソルティーはなんの反応も示さない。
「そんなにお疲れでしたら、何もかもを擲てば宜しいのではなくて?」
作品名:刻の流狼第三部 刻の流狼編 作家名:へぐい