刻の流狼第三部 刻の流狼編
――この戦の中心は神殿に間違いは無さそうだが、王を差し置いてでは成り立つ筈がない。しかし、そうする理由は? ……私が考えた所で仕方ないか。
そう結論づけても後を引きそうな現状に、ソルティーは頭を悩ませた。
どうしても以前瑞姫が話した事が頭から離れないのだ。
「ツァラトストゥラとグリューメか……一番厄介な相手だ」
まだ自分達の前に現れているのが妖魔だけであっても、現実的に精霊が敵とならない保証を持っていない。特に攻撃属性を持つ火精や、結界・封印を無効にしてしまう土精は厄介所の話ではない。
「関わりは避けたいな」
アジストラの住民には申し訳ないが、何かを知って巻き込まれるには相手が悪すぎた。
煙草を銜えたまま外を見つめ、今回は一切情報を集める事をソルティーは念頭に置く事に決めた。
「主っ!」
「?!」
思わず体勢を崩して窓枠から落ちそうになる位の大声に、慌てて窓から下を見下ろすと、目の上に血管を浮き上がらせたハーパーが、拳を握り締めた片腕を振り上げて睨んでいた。
「我がお育てした主が、事もあろうにその様な体に害を与える物を口にするなど、我は情けないですぞっ! それもその様な場所で、もしも火の粉が何の罪も無き者に落ちたらどうするおつもりかっ!」
「…あ…いや……ハーパー…」
しどろもどろになりながら慌てて壁で煙草を消したが、時既に遅しと言った状態だ。
「言い訳など必要ありませぬ!」
「何だ? どうしたんだ?」
「……いや…その……」
隣の窓から恒河沙と須臾が顔を出し、あまりのばつの悪さにソルティーは言葉を失った。
気が付けばハーパーの周りにも人が集まりだし、そこら中の窓から恒河沙達の様に顔を出す者も多い。
「どうして我の頼みを聞いて下さらぬのか。我は、我は悲しいですぞ!」
今度は泣き落としの体勢に入ったハーパーに、ソルティーは溜息を漏らす。
「幼少の砌より大事に大事にお育てした主が、何故にその様なお人と成られるのか。我の育て方が間違っていたと申すのですか」
「……どうしたのハーパー?」
「いやぁ、竜も泣くんだね」
「…………」
下で打ちひしがれるハーパーと、頭を抱えるソルティーを交互に見る恒河沙達にソルティーの返事はなく、もう一度ハーパーに視線を落とした。
すると二人に溜息が聞こえまた横を見ると、ソルティーは窓枠から消え、彼の手が窓を閉めるのが見えた。
「主っ! 逃げるおつもりか!」
ハーパーは閉められた窓に向かって怒りを募らせ、恒河沙達には隣の扉が閉じる音が聞こえ、二人揃って廊下に向かった。
「ソルティー、ハーパーどうしたの?」
恒河沙が三度目の同じ質問を、頭を抱えて廊下を歩くソルティーの背中に投げ掛け、振り返った彼の一言、「煙草が見つかった」に須臾は失笑した。
「何だそれぇ、子供じゃあるまいし」
「彼から見れば、私が何歳だろうと同じだよ。……ハァ、潔く叱られに行ってくるよ」
「ご苦労様、がんばってね」
「……がんばって」
力無く項垂れて廊下を歩くソルティーに手を振りながら、須臾は同情と哀れみを込めて彼を見送った。恒河沙はあまり事態を飲み込めていなかったが。
「あ〜あ、可哀想」
――ハーパーが居たらお姉さんと仲良くもなれないや。
想像していた以上のハーパーの切れ方に、もし自分がソルティーだったらと思うとゾッとする。
それと同時に、以前ソルティーが悲痛さを抱えながら言った、ハーパーの筋金入りの道徳観と貞操観念が自分に向いていないのを心底安堵した。
「なあ、ソルティー怒られる事したのか?」
「僕としては怒る程じゃないとは思うけど、彼にしてみれば煙草吸うのも悪い事なんじゃないの? 人それぞれ価値観なんて違うからさ、僕には何とも」
「ソルティー可哀想……」
「まあ二人の問題だし、僕達が口出ししても何にもならないよ」
下手に同情して間に入れば、あまり素行について胸を張れない須臾では藪蛇になりかねない。
此処はひとまず関係ない振りをして自分の保身を優先させ、ソルティーに肩入れする恒河沙を部屋に押し止める事にする。
――買い物行けるのかな?
須臾の手によって部屋の中へ押し込まれながら、恒河沙は先刻約束した時間までにソルティーが戻らなければ、自分がハーパーを叱ってやろうと心に決めた。
性も根も尽き果てソルティーが部屋に戻ったのは、彼がハーパーの元へ行ってから数刻経過してからだった。
これと言った遊興事が無い為か、物見高い街の住民達を前にしての泣き落とし半分の小言と、宿の後ろに回ってからの本格的な説教は過去の細々とした出来事にまで及び、一言の言い訳を口にする事も許されなかった。
耳に残るハーパーの叱責をなんとか振り払い、やっと部屋に戻って一息付けると思ったら、今度は何故か意気込んでいる恒河沙に、何かを言う前に買い出しへと外へ再び連れ出された。
無論買い物が目的である。
殆ど底を尽いた四人分の旅道具等を、ソルティーを見ては面白そうに微笑む住民に店を尋ねながら買い揃え、両手一杯の荷物を抱えて二人が宿に帰る頃には夜になっていた。
残念ながら恒河沙の短剣だけは、武器屋が店を構えていなかった為に、買う事は出来なかった。が、相変わらずお菓子を買って貰えて喜んでいる彼の頭の中に、そんな事を気にする空間は存在していなかった。
「なあ、これ部屋に置いたら、先刻のお店にご飯食べに行こうな」
宿屋の階段を上りながら、六枚目の焼き菓子を口にする恒河沙に、力無く頷くのがソルティーの精一杯だ。
まともな椅子に座っての食事もこの宿同様に久しぶりで、幾ら脳裏に嫌だと浮かんでも、既に行くものと決めている恒河沙を言いくるめる言葉は浮かんでこない。
――足りるか……?
軽くなった財布を感じながら、これから恒河沙の腹の中に吸い込まれる予定の食事代に頭を悩ませても、彼の勘が働くのは彼の都合が良い事のみのようだ。
「んじゃ、後で迎えに行くな」
「はいはい」
元気の良過ぎる恒河沙に目眩を感じつつ、返事をしてからソルティーは彼の前を通りすぎ、恒河沙は一端両腕の荷物を床に置いて扉を開けた。
「うぁ?!」
そんな素っ頓狂な声を上げた恒河沙は、扉を開けた瞬間目に飛び込んできた何かに押し飛ばされた。
「恒河っ……!」
派手な破壊音に振り向いたソルティーが目にした物は、向かいの部屋の扉を突き破って倒れる恒河沙と、彼を下敷きにして仰向けに気絶している若い女だった。
「何なんだよっ?!」
その声は部屋の中に居た須臾の叫びで、慌てて中を見ると彼の足下に一人の男が、矢張り気を失っているのか、ぴくりともせず床に倒れ込んでいた。
「何があったんだ?」
「そんな事、僕が聞きたいよ!」
ソルティーは両手を振り下ろし訴える須臾から男へと視線を移し、そして女へと顔を向ける。
――また、巻き込まれるのか?
見覚えのある気絶した二人の顔を見ながら、ソルティーは深い溜息を吐いた。
「……誰か……助けろ…」
女の背中に押し潰された恒河沙に助けがもたらされるのは、この少し後になる。
episode.22 fin
作品名:刻の流狼第三部 刻の流狼編 作家名:へぐい